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十代の終わりくらいから、明日もしかしたら俺は死んでいるかもしれない、と思いながら生きることにした。
そう思うと、きょうをなかなか終わらせられなかった。
それだけ生きることに執着があったということなのかもしれない。
徹夜して本を読み、徹夜して物語を書き、徹夜して酒を飲み、徹夜して人を愛した。
なにもかにも一生懸命だった。
そのあげく、過労やストレス性障害で倒れたりもした。
それこそ、そっちの方が本当に死んじまうよ、という生活だった。
けれども今思い出せば、本当にまっすぐだった時期だったな、と、うれしくなる。
始発電車に揺られ、恋した女の子のアパートに向かうときのドキドキ感は、すごく僕を高まらせたけれど、今では本当のそのときの感じは思い出せない。
物語を残しておけばよかったのかもしれない。
僕はその時代時代で書き記した物語を、その時代が過ぎたと感じた時点で捨ててきた。
僕が僕である限り、どの物語も僕から消えていかないと信じていた。
それはある年齢までは、そのとおりだった。
だが、今は、それが違っていたことがわかる。
それだけ実際の死に近づいたということなのかもしれない。
あっけなく死ぬ前に、何かを残そうか、と、ときどき思う。
この文章を書いている僕は、そちらの気持ちの僕だ。
けれども、すぐに別の僕が顔を出す。
何物にもなっていない物語を、そのまま晒すことは、止めるべきだ、という僕だ。
今の時点で、そのふたりの僕に対する落としどころは、まず、書いてみるがいい、そして何物にもならないとはっきりしたら、墓場に捨ててやればいい。そんなところだ。
ただはっきりするよりも前に、僕が死んでしまうことも充分あり得る話で、さじ加減が難しいところだ。
まぁ、そこら辺りの保険として、今、ここにこうして晒しているってことなのかもしれない。
まぁ、いいさ。
少なくとも明日の朝日は、まだ見れそうだ。




