六年越しの
薄暗い部屋だった。
二十メートル四方の正方形。応接室も兼ねたその部屋は、調度品も揃えられ、電気さえついていれば嫌みではないほどに豪勢で、なかなかに落ち着く部屋であるはずだった。
しかし、薄暗い。常につけられていた光源は今は消されていて、壁に埋め込まれた巨大なテレビが、唯一の光源となっていた。
『抵抗したくばするがいい』
その画面の中央。細い男と分厚い男。それらに挟まれる小柄な女性が、冷たく口を開いていた。
『その結果がどうなるかは、諸君らも知っていよう。そして我らに懐柔はない。従属か、死か、選べ。ソレが為政者の義務だ。この星を汚し穢し傷を負わし続けてきた貴様らの義務だ』
「ええ……わかっていますよぉ」
それはいかな偶然か。まるで映像に答えるかのように漏れ出た言葉は、しかし違った。
今の時代となっては滅多に手に入らぬ天然物を用いた木製の執務机に革張りの椅子。そこに腰掛ける中年の男である。
その右手には電話が握られており、彼はその向こうへと、返答を返したのだった。
「責任はとりますとも。今この事態になっているのは、まあ、私の責任だと言いたいあなた方の理論はわかります。であるからこそその責任はぁ……とりますともぉ、ねぇ?」
くつくつと。くつくつとのどを鳴らしながら、男が言った。
「でぇすがお忘れ無くぅ……最終的に決定を下したのはあなた方だということをぉねぇ?」
そう言って、男は受話器を耳から離し、左手を右耳にかぶせる。それでも耳に届く怒声にさらに嘲笑を深めて、男はしばらくしてから受話器をまた耳に当てた。
「そう怒らないでくださいよぉ。私は事実を言っただけ……そして言ったでしょぉ? 責任はとるぅ、とぉ?」
その、背後。
まるで男を守るかのように立つ、小柄な陰があった。
薄暗い部屋で、薄くぼんやりと輝くような、白い服。しわ一つ無いそれは、女性らしい曲線を描いている。容姿も美しい、というよりも可愛らしい少女である。ただし、その首に、鈍い色の巨大な首輪がつけられていなければ。
「とりますよぉ、心配せずとも、ワタクシに任せていただければぁねぇ。アレから六年……我々とて何もしていなかったわけではありませぇんよぉ」
少女の瞳には色がない。いや、そもそもその表情には感情という色がなかった。
何を見ているかもわからない瞳で、ただ、ぼうと正面を見ている。
正面のテレビを、見ている。
《レギオン》を、見ている。
「とりますよぉ、ご心配には及びませんともぉ。とりますよぉ、責任は――」
びきり。
「――英雄たちを殺した責任は、ちゃぁんとぉ、ねぇ」
主の指示が無くては動けぬはずの少女の首筋に、血管が浮かび、すぐに、消えた。
第二夜『六年越しの』
ぱちぱちぱちぱち、と。
凍り付いたような静寂の中に、場違いな拍手が響いた。
その元は――
「――さあ」
ぱん、と掌を打ち鳴らした、スーツ姿の男である。
「開幕のベルが鳴りました」
大仰に手を広げ、男は、もう光の消えた電光掲示板を仰ぐようにのけぞる。
「これより始まるのは、我々が演出する恐怖劇。幕はすでに上がり、観客は席を立つことはできません。この地に足をつける全ての人間が観客だ」
いつの間にか、男の周囲には多くの人間が立っていた。まるでできの悪い特撮のような、頭部全体を覆う覆面に、巨大な一つ目レンズ。メタリックカラーのプロテクターにぴっちりとした黒のインナースーツ。太っている男もいれば、背の高い女もいる。しかしその全ては、人では、無い。
《レギオン》の戦闘員。意思持たぬ、しかしそれ一体ですでにあらゆる近代兵器を寄せ付けぬ、圧倒的な戦闘力を誇る戦闘機械。
決して人では勝てぬ、正真正銘の機械の化け物――混合兵である。
「では……お楽しみください」
右手を前に、左手を腰に。そして丁寧に、辞儀を一つ。
それが、引き金となった。
「ッ、うわあああああああっ!?」
「うっ、嘘だろぉっ!」
「はっ、はははっ、いよいよ、いよいよかぁっ!」
上がる悲鳴。怒号。混じる若干の歓声すら押し流して、ひしめき合いながら、少しでも遠くと離れていく。
恐怖の氾濫――まさしく、それだろう。
怖い。怖い、怖い、怖い、怖い。
ただ純粋に、怖いのだ。
《レギオン》が活動したのは二年と、首領が打ち倒され、残党が狩られていった一年。その三年だけで、これだけの恐怖を植え付けた。
怖いんだから、しかたねぇさな。
そう言って、死んでいった男がいる。決して恨むな、そう言って笑って逝った男がいる。
でも、それでも、納得はできない。理解もできない。
流れる人並みを、彼は、冷めた目で見ていた。
何事かもわかっていない子どもを抱えて走る母親。我先にと押しのけ逃げる中年男。へたり込み、呆然とする女子中学生と、彼女の腕を引いて立たせようとしている少年。それらを、まるで戯れるかのように追いかける下級混合兵――。
光写さぬ片目にかかった前髪に手を当てて、残った右目でそれを見る彼は、何の感情も浮かべず、ただ、冷たく。
「ん?」
その目が、僅かに細められた。
逃げる人々を追う下級混合兵の一角。一糸乱れぬはずの動きが、変化したのだ。
「なんだ……?」
逃げるだけなら、あんな乱れ方はしない。人のカタチこそしているが、アレらは基本的に機械そのものの正確な動きをする。たとえ予想外の逃げ方をしたとしても、最初からそれがわかっていたかのように対応するはずだった。
だが、それがない。
むしろ、何かと争っているかのような――
「……まさかな」
――あり得ない。
不意に浮かんだそれを打ち消して、しかし何かが胸に巣くったのを、彼は感じた。
「くそ……なんだ、この胸くそ悪い感覚」
その感情の名を少年が知るまで、あと少し。
その後のことさえ考えなければ、分厚いコンクリの壁さえも砕けてしまうその威力さえ、振り抜くには至らず。
一切を考えずただ無心で目の前のバケモノをぶん殴ったサンタは、拳よりじわじわと広がってくる激痛よりも先に、全くダメージを受けた様子もない混合兵の反応に舌を打った。
「ッたく、冗談だろう、これで下級かって、マジか!」
こちらに手を伸ばす下級混合兵をかいくぐり、尻餅をついていた中学生を抱き起こしていたアキラをかばうように立つ。
「サンタ!」
「早く逃げろ! 足止めもできるかも怪しいって、何なんだよこの差は! くそったれ!」
初めて見るような真っ青な顔だった。普段なら呵々大笑してやるところだったが、なにぶんこちらにも余裕はない。ようやく走り始めたアキラを視界の隅におきながら、サンタはすでに握れているかも怪しい右拳をもう一度混合兵にたたき込み、それでも止まらないバケモノの顎に膝をかちあげる。
常人なら顎は砕け、立つことすらままならない程度のダメージを負うはずだった。しかし相手は条理外のバケモノ。通じるはずもない。
ほんの少し、まるでそよ風にあおられたかのように首をのけぞらせて、両腕をこちらに伸ばしてくる。
それに捕まれば終わりだ。サンタはそのまま後ろに倒れ込んで転がり、距離をとる。
幸い拳とは違って膝には痛みがなかった。それに、何のつもりかはわからないが、《レギオン》の側はあまり本気ではないらしい。本気なら、少し常人よりも喧嘩慣れしている程度の自分ごとき、歯牙にもかけず戦闘不能にしているはずなのだから。
そういえば、と思い出す。《レギオン》の行動指針の第一は、恐怖を植え付けることにあった。圧倒的な力により、人を殺さず根深に恐怖をたたき込むその手法。人間を自然回復の労働力として見なした、彼ら曰くの効率的な方法である。
今回もそれに準じる行動をとっているのだとすれば、うまく立ち回れば一般人の逃走の手助け程度はできるかもしれない――
「サンタ!」
「って、なんで戻ってきたんだ阿呆!?」
――そこまで考えて、行動に移そうとしたときだった。アキラが息を切らせてこちらに駆け寄ってきたのだ。
「だって、だめなの! 他の子はともかく、あたしや、あんたは、此処に残ってちゃだめなの!」
「なぁっ!?」
理屈など一切ない、訳のわからないアキラの言葉――しかし、彼女の言葉と言うだけで、それは何よりも説得力があった。
もとより《レギオン》などというふざけた存在こそ条理外。ならば同じく条理の外ともとれる彼女の勘もまた、この場では常よりも信じられるものとなる。
「っ、クソが!」
「きゃっ!」
アキラの腕を引き、こちらを捕まえようとする混合兵から距離をとる。
残っては駄目だ。つまり捕まってはだめだと言うことなのだろう。聞いたことがあった。奴ら《レギオン》は、侵略先で捕まえた人間を改造し、自分たちの先兵とするのだと。混合兵となるには一定の適性が必要なのだそうだが、その素材となる人間の数は膨大である。総当たりすればいいだけの話であり、《レギオン》が侵略行為において殆ど人死にを出さないのも、それが理由なのだろう、というのが最も有力な説だった。
「ちぃっ!」
どうやら混合兵たちの目的も、その素材の捕獲にシフトしているらしい。見ればすでに数人の人が捕まっているようだった。中にはあの、恭順派の男たちもいる。
「助けてぇが……!」
そして今やこの広場での一般人は自分たちのみらしい。十や二十では聞かない数の巨大な一眼が、ゆっくりとした動きでこちらに向かってきている。
「くそっ、が!」
自分だけならどうとでもなるが、今はこの馬鹿がいる。普段からして何物にも飄々としているような女だったが、後ろで震えている姿は年相応のモノだった。これでは――放っておく訳にもいかないだろう。
――使うか。
サンタはふとよぎったソレを、小さく頭を振って打ち消した。
アレはだめだ。時間制限に加えて、その後の反動。この状況下で使ってしまえば、それこそ逃げられなくなる。
今の優先順位の第一は、この場からの離脱。しかし実際問題、逃げ続けられているのは、一重にあの金髪碧眼の男がこの状況を楽しんでいるからに他ならない。何もできない雑魚、蟻に毛が生えた程度の羽虫としか、自分たちを見ていないのだ。
だからこそ本気にならない。だからこそ、もてあそぶ。
故に、そこから出てしまえば、あいつらは本気になってしまう。明確な敵と認識してしまえば、一瞬で捕まってしまうだろう。
「サンタ、前ッ!」
「わぁってるって!」
アキラを半ば小脇に抱えるかのように振り回しながら、こちらに迫ってくる下級から逃げていく。
しかしそれだけだ。逃げるだけならできる。しかし、それもこの限定された空間でのみの話。この場からの離脱が可能かといえば、はっきりいって不可能である。
だからといって、この現状を続けていれば助かるかと問われれば否。
使うか、使わないか。その先の結果はどのみち一つしかない。
「ッ、ぅおっ!?」
伸ばされた下級混合兵の腕が、アキラの上着をつかんだ。その人外の力には、少しばかり喧嘩慣れしている程度のサンタがあらがえるはずもない。下級混合兵はアキラを抱えるサンタごと引き寄せ、そのまま地面にたたきつける。
「ぐぉっ!」
「きゃ!」
何とか体をひねり、アキラの下に体を入れることに成功するが、その結果、サンタは背中を地面に打ち付け、その衝撃に思わずのけぞってしまう。
「かはっ!」
「ちょっ、サンタ!」
「う、っ……るせっ、耳元で……怒鳴るな」
咳き込みながら、それでもアキラを引き込み自分の後ろへと押し込む。背中に固まるアキラの気配は、自分たちにさしかかるいくつもの影が原因なのだろう。
「ざけんなよ……!」
本当に――ふざけるな。
感情が一切排除された戦闘機械。下級混合兵。
その程度の雑魚にすら、自分は勝てないのか!
「ざっけんなああああああああああああっ!!」
吼える。もう知るか。ふざけんな。後のことなんて、考えるのもばからしい。
ゆっくりと手を伸ばしてくる下級混合兵をにらみつけて、サンタは左手を懐に入れて『ソレ』をつかみ――
「……ぇ?」
――目を。目を疑う光景が、広がった。
浮かんでいる。浮かんでいるのだ。至近距離からバズーカ砲の直撃を食らっても微動だにしない下級混合兵が、何かに首をつかまれ持ち上げられて、浮かんでいるのだ。
そして不思議なことに、持ち上げられている混合兵はだらんと四肢をたれ下げているだけで、一切の抵抗をしていない。
「作り自体は変わっていないのか……」
ぼそり、と。浮かび上がっている混合兵の向こう側から、そんな声が聞こえてきた。
男の声だ。それも、まだ声変わりして間もないような、むしろ声変わりの途中であるかのような、どこか幼さの残る声。
「ま、いい」
まるで、木の枝でも振るうかのように、下級混合兵の姿が、ぶれた。
瞬き一つしていないというのに、次の瞬間には下級混合兵の体は別の下級混合兵へと激突していた。どれだけの衝撃があったのか、ぶつかった混合兵はその勢いを受け止めきれず、周りの数体を巻き込んで倒れる。
そして、サンタとアキラの視界に残ったのは、背中だった。
パーカーを着た人影だ。右腕だけが、不自然に膨らんでいるが、それ以外はどこにでも居るような少年の後ろ姿にしか見えない。
「……驚きました」
顎に手を当て、しかし依然口元には厭らしい笑みをたたえつつ、金髪碧眼の男が言った。
「先ほどの一連の行動。まさか貴方、知っているのですか。下級の欠陥を」
サンタたちに背を向け、男と静かに相対する少年は答えない。ただ静かに、金髪碧眼の男を見据えている。
「その、右腕……明らかに何かがありますねぇ。さて、何か――考えられることは、脱走兵か。しかして、先ほど、強制的に変身させる特殊な音波が発生しているはず。となるとこの時点で人の姿を保っている以上、混合兵ではあり得ない」
青年が僅かに手を動かした。瞬間、みるみるうちに右腕が細くなり、通常の太さへとなる。
ソレを見て、ぱん、と。男が納得したように手を打った。
「ああ、なるほど、なるほど、そうでしたか。理解いたしました、欠陥を知っていたことも、納得です。聞くところによれば、全大戦時終戦間際、国連軍は下級にすら届かないモノの、なかなかのパワードスーツを開発していたとか。ソレを用いて、数が優勢であれば下級程度なら倒すことはできないまでも、どうにか相手取っていたとか? 貴方、その関係者なのでしょう、そぉでしょぉ?」
くつくつと嘲笑をあげて、男は続ける。
「しかしざぁんねんでしたぁ。所詮は人間が作った程度のモノ……いかに欠陥を知っていようが、このヘルバロンどころか、この戦力差、下級にすら勝てますまぁい?」
金髪碧眼の男、ヘルバロンが指を鳴らすと、一体の混合兵が青年へと襲いかかった。
二人は、アキラとサンタは声を出さずにそれを見ていた。確信していた。確信していたのだ。この程度では、この青年はどうにもならない、と。
手を伸ばす混合兵。その腕に沿うように、青年の腕が伸ばされ、そのまま流れるように外側に。くん、と力の向きを変えられた混合兵は、無防備な背中を青年へと向け――
「シッ!」
ヘルバロンの言う欠陥、人間でいえば頸動脈に位置する場所へと、貫手が突き刺さった。肘のあたりから異常に肥大化しているその腕は容易く混合兵の頭部を突き抜け、その動きを停止させる。
そこで初めて、ヘルバロンの顔から笑みが消えた。
「確実に知っているようですねぇ、それに戦い慣れている。いかに日本人が若く見えるとしても……その年若さ。そう、まるで、かつての『彼ら』を彷彿とさせる」
ぴくり、と少年の眉が動いた。ヘルバロンはそれをどうとったのか、わずかに警戒の色を瞳に浮かべて、優雅に顎に手を添える。
「まさか……とは思いますが、ねぇ。しかし、万全は期すべきですか」
再度、ヘルバロンが指を鳴らす。すると下級混合兵たちは一斉に距離をとり、一定の間隔を開けてぐるりと周囲を取り囲んだ。まるで――処刑場のように。
「まずは自己紹介を。我が名はヘルバロン。此度の日本侵略部隊の一隊を任された、中級混合兵です」
相変わらず、少年は答えない。それもわかっていたのか、ヘルバロンは構わずにつづけた。
「ふふ……だんまりですか。まあ、いいでしょう」
そしてヘルバロンはゆっくりと、両手を広げ――
「――ハイブリッド」
その体が、膨張する。
仕立てのいいスーツを突き破り、散らしながら現れたのは、漆黒の毛皮に包まれた肌だった。その要所には金属製と思わしきプロテクターが融合していて、機械なのか生物なのか、わからない。人で言えば広背筋に位置する場所から手首にあたるところにまで皮膜のようなものが生まれ、まるで翼のように広げられている。
口は顔の両端に至らんとばかりに裂け、端正な顔つきは凶悪なモノへと変貌していた。その額の部分にも金属質のものが植え込まれていて、やはりどこか生理的な嫌悪感を覚えさせた。
「そしてこれが私の混合態! 蝙蝠と機械の混合兵ェッ!」
ぶわり。両脇の翼をはためかせ、重力を無視してヘルバロンは飛び上がる。
「不確定要素ではありますが捕らえて、我らの礎とさせてやりましょう、人間ンン!!」
漆黒の軌跡を空間に刻み、ヘルバロンは青年へと突貫する。音の領域へと迫るその速度は、中級混合兵の中でも有数のモノ。その速度をもってぶつかるこの攻撃こそ、ヘルバロンの最も得意とした戦法であり、必殺そのものである。
その威力は、混合態となって防御に集中したとしても中級、下手をすれば上級ですら耐えきれるモノではなく――
「なっ!?」
――まして、ただの人間態の状態で、片手で受け止められるはずが無い。
「ばか、な!?」
金属質の爪が伸びる左腕が、青年の異常に肥大化した右腕に止められていた。その足下にはよほどの力が込められたのだろう、青年の靴は地面に沈み、その跡が削れ軌跡として残っている。しかしソレもほんの少し。後ろの人間二人にまでは至っていない。
「くっ……」
そして青年の口から苦悶の声が漏れた。ヘルバロンの突進を止めた右腕は、ゆっくりと赤く染まっていっている。しかし、その腕から伝わる感触は――
「……やはり、貴方は」
「おおっ!」
青年が腕を振るい、ヘルバロンは逆らわずに距離をとった。
その目にはありありと警戒心が浮かび上がり、しかし口元には隠しきれない歓喜が浮かんでいる。
「やはり貴方はァァッッ!!」
青年が、片手をあげる。
じわじわと赤の色は広がりを見せているが――青年の行動からは少しの痛みも感じさせない。
「……やっぱり、無理だよ」
ぽつりと、彼が言った。
「最初はほっとこうと思った。人間がどうなろうが、知ったこっちゃ無いって思ってた。恨むな、なんて言われても、無理な話だからさ」
力なく、彼が言った。
「でも……無理だった。人間なんてどうでもいい。それは変わらない。でも、でも、お前らを放っておくと、無駄にされるんだ」
青年の体が、ぼこり、ぼこりと隆起を始める。しかしそれも僅か。すぐに収まって、何か、得体の知れない何かを、青年の体は発し始めていた。
「無駄に、されるんだよ。あの、戦いが。あの人たちの、戦いが。そして、あの人たちの、死が。できるかよ、そんなこと、看過できねぇよ、そんなこと」
ゆっくりと、腕を下ろす。腰元まで下げた腕を背後に回し腰だめに。同時に軽く開いた左掌を前に突き出し、腰を落とす。
そのまま、掌は握り込まれていき――
「だから、僕はもう一度この名を名乗る。それだけは、絶対に許せないから。それだけは、絶対に」
その、背中を。
サンタとアキラは、ただ眺めていた。
この人だ。アキラは確信した。後ろ姿だけで、顔は見えない。声も先ほど漏れ出た苦悶のそれが初めて聞いたものだ。しかしそれでも、確信した、したのだ。
彼が、彼こそがサンタに会わせたかった人。いつもこの場所で、死んだような顔で『人』を眺めていた人!
「機人――」
サンタは、その光景に見惚れていた。そう、見惚れているのだ。
ずっと、ずっと夢見てきた光景。あの日、六年前のあの日から、ずっと夢見てきた光景――それが、今、目の前にある。
探してきた。ずっと探してきたのだ。もうだめかと思った。何度もあきらめかけた。それでも歯を食いしばって、ずっと、探してきたのだ。
溢れ出しそうな歓喜を押さえつけて、サンタはそれを見る。
実に六年ぶりの、大名乗りを。
「――混合!」
刹那、呟かれたそれが、引き金だった。
青年の腰元が膨れあがる。市販のベルトをはじけ飛ばして出現したそれは、メタリックカラーのベルトである。そこから黒いモノが青年の体を覆い、胸部を、背を、足を、金属質のプロテクターが覆っていく。
そして、頭部までそれが及んだ時、青年の変貌は終わった。
――満身創痍。彼の姿を言い表すのならば、その四字こそ相応しい。
背後にいるにもかかわらず、アキラにもサンタにも、それが理解できた。
傷という傷が全身に刻まれ、無傷な箇所はどこにもない。かつては背中の殆どを覆っていたプロテクターは半分以上が削れ、今にも火花が飛び散ってきそうだった。両腕の肘から先を覆う手甲もまた、左は七割が消失、右はかろうじて半分近くは残っているが、それでも細かな罅が全面に走っている。
そして最もひどいのが、左肩から、頭部にかけての傷跡だった。
肩のプロテクターをえぐり、首、後頭部の左側全てがその傷で覆われている。
下手をすれば、いや、確実に顔面にまで達しているだろう。
それほどの傷を負いながらも、しかし彼は立っている。立っているのだ。
ふらつきもせず、ただ、自然に、その場に、そうであるのが当たり前であるかのように、立っているのだ。
「やはり! やはり貴方はァッ!!」
その姿を見て、ヘルバロンが歓喜の咆哮をあげた。
それは彼の持つ蝙蝠としての特性と絡み合い――超音波となって、広場を囲むビルというビルのガラスを破壊させた。
その中で、ヘルバロンが言った。降りしきるガラス片を苦ともせずに、ヘルバロンが叫んだ。
その名を。怨敵の名を。
かつて彼らの総統を倒した、十体の裏切り者。その、最後の一体!
「――ハイヴリッタァァアアアアア!!」
「十号、三森進。――罷り通る」
右目に死んでいるかのような暗い光をともして、一歩。ハイヴリッター十号が、足を踏み出した。
3/12 修正
3/13 修正