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終わりから五年後の始まり



 ――五年前・新東京メガフロート・北部廃棄区画


 昨夜から降り続いた雨が、朝から続いた異常なほどの狂騒を全て洗い流した頃には、処刑が終わって一日以上がたってしまっていた。

 未だ空は曇天に覆い尽くされていて、周囲は夜かと思えるほどに薄暗い。

 そんな中で、刑場をぐるりと取り囲む鉄柵の外に佇みながら、少年はぼんやりと前を見つめていた。

 ここは最終決戦の場だった。

 周囲はがれきの山と、今にも倒壊しそうな廃ビルが数多く並んでいる。

 一年前はそうでもなかった。覚えている限りでは、移動要塞の残骸と、そこかしこに混合兵の死体が転がっていたはずだった。

 しかし、それはもうどこにもない。

 自分たちが戦ったという証は、もうどこにもない。

 感情が全て抜け落ちた暗い目で、少年はそれを見つめていた。

 刑場の中央に設置された処刑台。十字架に磔にされた、男を。

 すでに男は死んでいた。雨が降り始める寸前に執行された公開処刑。そこで、彼の命は終わってしまっていた。

 それをただ、自分は、処刑台をぐるりと取り囲む鉄柵の外から、見ていることしかできなかったのだ。

 雨が、雨が降っている。

 死んだ。死んでしまったのだ。

 仲間ももういない。最後に一緒だった男も、つい昨夜、自分の目の前で笑って逝った。

 自分は、もう、一人だけだった。

 涙はもう流し尽くしてしまった。今はしたたり落ちる雨が、涙の代わりだった。

 男の最後の言葉が耳に残っていた。

 降りしきる雨の音でもそれはかき消されず、的外れな怨嗟をぶつける人間どもの罵詈雑言すら受け流して、その言葉だけは、まだ。


「浩二、さん」


 ぽつりと漏れた言葉は、雨にかき消された。


「すいません……僕、まだ、わかりません」


 男は、もう自分の意思などとうにわかっていると言うように、物言わぬ体となった今もまだ笑っている。

 それが、わからない。

 どうしてって、裏切られたのだ。最後の最後に、最悪の形で裏切られてしまったのだ。

 なのに笑った。笑って見せた。

 そして最後まで、自分にも。


「だから……」


 ぽつりと、そうこぼして。

 少年は、男に背を向けた。

 ぼう、と空を見上げる。片目はもう光をうつさない。本格的なメンテナンスをすればまた見えるようになるだろうが、そうするつもりはもうなかった。もう、敵はいないのだ。もう、戦うことも、きっとない。

 ……そう、思わなければ、やっていけなかった。


「だから――」


 そこから先を口にせず、少年はゆっくりと歩き始めた。

 振り返らずに、死んだような目で、ぼんやりと前だけを見て。




第一夜『終わりから五年後の始まり』




「サンタ! 聞いて! 気になる人ができたの!」


 部室の金属扉を騒々しく開けて飛び込んできた彼女は、開口一番にそう言った。

 寒々しいコンクリ製の壁で四方を囲まれた長方形型の部室には、彼女の大声は思いのほか響いたようだった。その直撃を受けたただ一人の男が、耳を押さえてノートPCの前に突っ伏している。


「あれ? なに、サンタ、どしたの? 風邪なわけないわよね、サンタ馬鹿だし」

「お前には言われたくねーよ馬鹿アキラ」


 唸るように、サンタと呼ばれた男が声を漏らして、顔を上げた。

 年は二十を過ぎたあたりだろうか。ワックスで固めたつんつん頭がどことなく子供っぽさを感じさせる。もっとも、老け顔とまではいかないものの実年齢より幾分か年かさに見られる風貌と打ち消しあっていて、年齢相応の雰囲気におちついていた。


「馬鹿って何よ馬鹿って。馬鹿って言ったほうが馬鹿だって小学校で習わなかった?」


 対しほほを膨らませる女性は、サンタとは対照的に大人びた容姿をしていた。身長は百七十センチは優に超えていて、女性としては高めの身長に、艶のある黒髪をストレートに流している。スタイルは少々凹凸がないように見えるが、それでも女性とわかるだけの曲線を描いており、おとなしくしていれば、大人な、といった形容詞がつく美人だというのが彼女を知る人間の評価である。


「うん、お前のほうが馬鹿って言ってるよな」

「細かいこと言わないでよ。禿るわよ?」

「残念、うちの家系に禿てるやつはいねーよ。曾爺ちゃんも髪フサフサで逝ったしな」

「ふぅん、まあ、どうでもいいわ」

「……本当にお前は傍若無人を地でいくなー」


 若干呆れを含んだ声で言ってやると、アキラはふふんと薄い胸を張って「どんなもんよ」と言って見せる。それにさらに頭痛を感じるサンタであったが、まあ、ここまで神経が図太くもなければ、闇賭博で一生普通に暮らせる額の金を稼いでおきながら、それを自分の学費だけを残してそのまま潰れかけの孤児院に寄付するという暴挙にはでなかっただろう。

 理不尽なことにこの女、賭け事と名のつくものにはめっぽう強いのである。闇賭博の女王と裏社会では恐れられていたりして、警察にもマークされているというのだからよっぽどだった。


「で? なんだっけ? 気になる人ってなんだよ?」

「あ、忘れてた、そうそう、それよ」

「……忘れてたって言ったよこいつ」


 頬杖をついて息を一つ吐くと、サンタは先を促した。


「それで、どんなやつなんだよ」

「ああ、えっと……うん、一言で言えば変人、というか今にも死にそうな、というか自殺しそうなぐらい暗い人。日がな一日駅前の広場の噴水の縁に腰掛けて、ものすごく暗い表情で人の流れを眺めてるのよ。まるで半年分のお給料をギャンブルで溶かしちゃった人みたいな雰囲気で。馬鹿よねぇ、そういうギャンブルって負けるものなんだから、そんな大勝負やめときゃいいのに」

「……おまえがそれを言うなと言いたいんだけどなー」

「私はいいのよ、人生かけた大勝負なんてしないもの。ギャンブルのコツは引き際を見ることにあるのよ」

「あー、はいはい」


 適当に相づちを打って、サンタはPCの電源を切った。


「あら、レポート?」

「ま、そんなところだよ。で、そんな男がどーしてまた気になるんだ? まさかおまえそんな男が好みだったのかよ」

「え? まさかそんなのあり得ないって。私が好きになるのは私にギャンブルで勝った人よ。そんな半年分ぽっちの給料をスったぐらいで死にそうになる男なんて好きになるわけないじゃん」

「……まあ、そーだろーとは思ってたけどな」


 このギャンブル狂いとは二年前に大学に入ってからの短い付き合いではあったが、それでも彼女の行動指針を熟知する程度には、なぜか縁が続いていた。

 決して大学で親しいと呼べるのが彼女ぐらいしかいないというわけではない。というか友達を作るために大学に入ったわけじゃないし。などと自分をごまかしつつ、サンタはほろりとこぼれかけた涙をこらえた。

 しかしサンタは知らない。都内学生交流サークル『ウメヤフヤセヤ』が二人をなぜかベストカップルに認定し、いろんな意味で邪魔が入らないよういらない気を利かせているのを。


「そもそも半年分の給料云々ってのは、おまえの主観じゃねーか。つーかそれ以前に、おまえならそんなアホ何人もみてきただろ? どうしてそんなの気になるってんだよ」

「それがねぇ、何でかわからないのよ」


 困ったようにアキラが言った。


「どうしてか気になるのよ。だから相談に来たわけ」

「……おまえは俺をなんだと思ってるんだろーなー」


 半眼でにらんでやると、アキラは悪びれもせず答えた。


「私のヤマ勘を抜いて入学試験でトップとった天才」

「ったく、おまえぐらいだよ、この国の最高学府の入学試験をヤマ勘で突破した上に、一問だけしか間違えてなかったってのは」


 ちなみにアキラはそれを堂々と公言していたりしていて、それがまたアキラと、彼女とつきあっていると思われているサンタに人が寄りつかない理由だったりする。


「私は入学試験が満点だったってのは貴方が初めてだって聞いたけれど」

「……普通そういうのってプライバシーだかなんだかで秘密にされると思うんだがなー」

「だって私より上って、満点ぐらいでしょ。私の勘が外したの一問だけだったし」


 そういったアキラの顔はあっけらかんとした様子で、まるで何も間違っていないと確信しているかのようだった。

 そしてだからこそ、彼女はサンタを認めているのである。学力を全ての頂点と位置づけ信仰する阿呆どもに、入学生代表としてその幻想をぶち壊すという自分の計画を、自分の最も唾棄するソレで打ち砕いたサンタという男を。

 しかしそんな彼女の内心などいざ知らず、サンタはアキラを胡乱げな目で見ていた。


「その自信はいったいどこから来るんだマジで」

「だってあんた、私がギャンブルで負けるってことが想像できる?」


 サンタは考えるそぶりも見せずに首を横に振った。


「つまりそういうことよ」


 つまりどういうことだよ。サンタはのど元まででかかったその台詞を、すんでの所で飲み込んだ。突っ込めばまた話が脱線する上に、疲れるのだ。


「お前が俺を何と思っていようとまあいいや。それで? 結局それを俺に相談してきて、俺に何をしてほしいんだよ」

「うん、会ってほしいのよ」

「……お前の思考回路は本当にどうなっているんだろうなぁ」


 会ってほしいときたか。予想の斜め上を突っ走った答えに、こめかみをかきつつ、サンタは盛大にため息をはいた。


「あ、ため息。運が逃げるわよ」

「ため息一つで運が逃げるんなら、とっくに俺の運はゼロだよ」


 軽口を返しつつ、サンタは立ち上がった。そしてノートPCから伸びるACアダプタを引き抜いて、PCと一緒に専用のバックに納める。


「あ、来てくれるんだ。せっかくコイン出したのに」

「お前に勝てる姿が思いうかばねぇからな。無駄なことはしねぇ主義なんだよ、俺は」

「ふぅん?」


 バックを肩にかけて、そのままサンタはアキラの脇を通り過ぎる。そうしてサンタがドアノブに手をかけたところで、アキラがふと口を開いた。


「――じゃあ、どうしてあんた大学に通ってるのよ。入学してから一度も、授業に出ていない癖に」

「……さてな。忘れたよ」


 サンタは振り向かず、肩だけをすくめて、さびた音を響かせた。





 かつて日本という国は、その技術力という類い希なる力でもって、小国でありながら世界の先進国と対等に渡りあっていた。そしてかつての大戦からの混乱から抜け出しつつある世界の中であっても、その地位は変わらず、むしろさらに向上していると言っていい。

 それを可能としたのが、かつての大戦時において、全世界の消費量の三割以上を支えきったとも言われる食料プラントや、その課程で発見され生み出された新たな酵素や技術による、十年先を進んでいると言われる超技術の数々である。

 そして、その最大の象徴とも言われるのが、東京湾海上に浮かぶ半径百キロを超える巨大浮遊島、『新東京メガフロート』だった。

 かつては世界中から集まってくる難民の避難場所として増設に増設を重ねたこの都市は、今や世界でも有数の巨大都市として知られていた。そこにはすでに人種や信教、国籍の壁などあってないようなもので、ある意味では巨大な実験場とも言われるように、あらゆる最新技術が惜しみなく使用されている。自然物が全く無い、しかしそれが自然であるという不自然な都市――かつての世界の敵が何度も破壊しようと狙い、ついには最終決戦の場になったのも、うなずける話であった。

 そんな都市であるから、いろいろな、それこそ中には眉唾物の噂話が飛び交っている。

 たとえば、この都市の地下奥深くの一般人では立ち入ることもできない区画では、人体実験が行われているとか――


「そんな噂話が大好きってのも、あんたのイメージからかけ離れているわよねぇ」

「お前が言うなと言いたいよ、ギャンブル狂い」


 駅構内の売店で買った、三流ゴシップ誌を歩きながら熱心に読むサンタの姿は、本当に二十歳の大学生なのかと疑ってしまいかねない絵面となっていた。その光景に思わず苦笑を浮かべるアキラであるが、外見のイメージと実際の行動がかけ離れている、という点においては彼女も負けてはいない。


「そもそも、こんなに移動するとは聞いてねぇんだがよ?」


 半径百キロを優に超えるメガフロートの南端に設置された、巨大学術機関、大峰亜大学。かつての大戦で半壊した日本の最高学府をそのまま移設し、全てを一新した世界でも最大級の巨大大学である。アキラがサンタを連れてきたのは、そこから電車を乗り継いで、約一時間も移動した商業区であった。


「言ってないもの。でも、私の行動範囲よ? 大学周辺な訳がないって、わかるでしょう常識的に」

「お前の常識を俺に当てはめないでくれ、頼むから」


 相も変わらず三流ゴシップ誌から目を離さずに、サンタは器用に肩を落とした。


「けど好きよねぇ? 何、今日はどんなネタ?」

「ん? ああ、別にたぶん、どの雑誌もニュースも新聞も、ネタ自体は変わらねぇだろうぜ。何せ、アレから今日でちょうど五年だからな」

「……そういえばそうだったわね」


 少し首を伸ばしてゴシップ誌をのぞき込んでみると、案の定――『終息宣言から五年』、そんな煽り文が目に飛び込んできた。


「早いものね……時間って」

「そうだな」


 ぼんやりと、アキラは人混みを見る。

 行政機関やビジネス街からはほどよく離れているため、このあたりにあるのは娯楽施設や巨大なショッピングモール。その他にも大小の商店が並んでいて、まるで人がいない空海が存在しないようだった。

 居住区からも学術区からもそれほど離れておらず、夕刻の足音が迫ってきている今が最も人が増える時間帯であることも、それに拍車をかけている。


「平和ねぇ」


 平和。その二文字を象徴するかのような光景。

 幼子は母親にお菓子やおもちゃをねだり、少年少女の集団は無邪気に笑顔を浮かべている。活気に充ち満ちたその虚勢――。

 本当は誰もが恐れている。誰もが口にしない。だから新聞は、ニュースは、ゴシップ誌は、『終息宣言』を大々的に口にする。

 そうして忘れようとしないのだ。忘れたら、忘れたら最後、奴らは来る。どこからか、また、必ず、絶対に、《ヤツラ》は必ず。

 五年前。まだこのメガフロートが、避難民で満ちあふれていた頃。

 あの頃この場所は悲壮感に満ちていて、五年がたった今でも、必死に皆は虚勢を張っているのだ。

 それだけ、それだけ《ヤツラ》は強かった。怖かった。一時は世界の七割をその支配下に置いた《ヤツラ》は。


『かつて大戦がありました』


 ショッピングモールの壁面に設置された巨大な電光板には、どこかの式典が映し出されていて、そんな字幕が流れていた。そこには黒人のスーツ姿の男性が、確か有名な集会場であったはずの場所で、日本語ではないどこかの国の言葉で演説をしている。


『最後の《混合兵》の公開処刑から五年。すなわち、終息宣言から五年が経ちました。我らは、我らの誇りを取り戻しました。我らは勝ったのです』


 勝った。本当にそうなのだろうか。

 噛み締めるように、何度も、何度もスクリーンの中の男は言う。

 勝った。勝った。勝った。五年前から、何度も、何度も。あらゆるマスメディアの中で、その言葉が乱舞していた。

 それを信じろと。それが真実だと。まるで何かを隠すように――

(……ギャンブラーの性よねぇ。何でも疑ってしまうのって)

 都合がいいことがあれば、それは何かの罠である。そう考えて、ずっと生きてきたのだ。今更それは変わらないだろう。

 そんなことを考えながら、アキラはぼうとスクリーンを見る。


『かつて大戦がありました。戦争ではない。戦争、などという言葉で片付けてはいけない。アレは生存です。生存競争だ。そして我らは勝った。一時は世界の七割もが《ヤツラ》に跪き、我が国もその大半を支配下のうちにされてしまった』


 男は何かに耐えるかのように目をつむり、しばらく間を取ってから口を開いた。


『しかし、我らは勝ちました。故に誇りましょう。そして生きよう。それが我らの義務であるのです。志半ばに散り、そしてこの今の世界のために死していった全ての人々のためにも――』

「……チッ」


 ふと、舌打ちが耳に届いた。アキラが目だけでそちらを見ると、まるで苦虫を噛み締めたような表情で、サンタがスクリーンをにらみつけていた。しかしそれも一瞬だ。アキラの視線に気付くと、軽く頭を振ってまた雑誌に目を落とす。


「……?」


 疑問に思わないと嘘にはなる。しかし、五年は、長い。

 疑念がやがて納得に変わるかもしれない。アキラも、自分の中のもやもやとしたものがが、ゆっくりとではあるがそうなりつつあると自覚していた。

 いつの間にか、男性の演説は終わっていた。盛大な拍手に片手を軽くあげて応えながら、壇上から降りていく男性。まるでその姿は何かから逃げるようだと、アキラの中のギャンブラーがそう思う。

 そしてそれは、あながち間違いではないと思うのだ。

 何せそうだ。間違いではないのだ。なぜなら、そう思う自分もまた――


『《彼ら》こそ! 《彼ら》こそ真にこの星を憂えていた者たちである!』

「っ……!」


 突然に鳴り響いた大声――それは機械を通して駅前の広場を突き抜け響いた。

 いつの間にか、噴水の縁に男が数人立っている。その中央にいるのは、まるでつい今し方電光掲示板で流されていた演説に対抗するかのようにマイクを持っている、スーツ姿の男だ。

 男の足下の機器には、サポート役らしき人間が三人ほど、周囲を警戒しながらついている。


「……最悪だな。嫌なモン見たぜ」


 吐き捨てるかのようにサンタが声を漏らした。しかしアキラはそれを攻めようともしない。むしろ、自分も同じ心境なのだった。

 なぜなら、アキラの推測が間違っていなければ、彼らは――


『思い出してみるがいい! 《彼ら》が支配していた大地は、かの一年の間で再生を果たしつつあった! よろしいか!? よろしいか諸君! 《彼ら》が世界にその名を掲げた七年前には、すでにこの世界は死につつあったのだ! 資源は枯渇し、自然は壊滅し、砂漠は増殖し、水は毒となりつつあったのだ! しかし今はどうだ! 死につつあったこの星は、今や再び緑の星となっている! これは、かつての為政者たちが声高に主張し、しかし為し得なかったそれを、唯一《彼ら》こそが為し得た証左に他ならない!』


 マイクを片手に大仰に、政治家もかくやというように声を張り上げる中年の男。それを、今まで電光掲示板を見上げていた人たちが、道行く人たちが、遠巻きに眺めている。

 その顔に浮かんでいるのは侮蔑と、そして恐怖、畏怖もそこにはあった。

 無理もない、とアキラは思う。

 皆が皆、《彼ら》が怖いのだ。《彼ら》が憎いのだ。そしてそれ以上に、やはり、怖いのだ。

 だから誰も彼らを遠巻きに見る。なぜなら彼らは《彼ら》を語る。まるで神をあがめるように《彼ら》を語るのだ。


『故に《彼ら》こそ、真にこの星の支配者に相応しいのである! そして今こそ、今こそ我らは選ばねばならない! 《彼ら》は死していない、未だどこかで必ず、再び立ち上がる時を待っているのだ! 故に、故にこそ、我らは――』


 ああ、間違いは無い。このように《彼ら》を語る連中など、決まっている。決まり切っている。


『我ら《恭順派》は! 訴えよう! 何度も! 幾度も諸君らに! 諸君らが真実に気付くまで――』



 かつて《彼ら》がこの世界を席巻し、支配を目前とした頃。

 かつて《彼ら》が未だこの国にその矛先を向けてはいなかった頃。

 かつてこの国では、《彼ら》に対しての意見は二極化していた。

 すなわち――徹底的に抗戦するか、速やかに傅き恭順するか、である。

 彼らはそれぞれ自らを《抗戦派》、《恭順派》と称し、二十代の若者を中心として激しい衝突を繰り返していた。

 それは《彼ら》がこの国へとついに侵攻を開始しても変わらず、ついに《彼ら》が討ち果たされるまで終わることはなかった。そう、終わったのだ。

 《彼ら》は負けた。故に抗戦する必要も無し。《抗戦派》は姿を消した。

 しかし彼らは、《恭順派》だけは未だその活動を続けている。時折、忘れた頃にこうして――



「《恭順派》……ねぇ。恭順する相手がいないってのに、元気よね」

「あいつらは、まだどこかで生きてるって信じてるみたいだがな」


 噴水広場の縁に設置されているベンチに腰掛けて、未だ演説を続ける《恭順派》の姿をぼんやりと眺める。

 《恭順派》が演説を始めてからもう一時間近くが経過している。最初はどこか敵意すらにじませていたサンタの口調も、今は呆れを含んだものとなっていて、のけぞり仰ぐ顔面にかぶせた雑誌の下には、辟易とした表情が隠れていた。

 ぼふっ、と音がして、サンタの顔に被さっている雑誌が大きくはためいた。よほど強く息をついたのか。数秒ほど間が開いて、サンタが間延びした声で聞いてきた。


「お前はどうだ? まだどっかで生きていると思うか?」

「そりゃ、生き残りはいるでしょうよ」


 アキラはあっけらかんと答えた。


「へえ……?」

「そもそも、六年前の時点で、世界の七割以上が《奴ら》の支配下になってた。けれど、そこからたった一年で巻き返したのよ? いくら戦争がすさまじく科学技術を発達させるって言っても、限度があるでしょ。たった一年で、あいつらを駆逐できるなんて、誰も思ってないわよ」


 ぼやくように、自分に言い聞かせるように、アキラはそれを口にした。

 きっとそれは誰もがわかっていることのはずだった。それでも、やはり怖いのだ。

 口にすれば最後、それを認めてしまったら最後、また、また《奴ら》が――


「……そういうもんか」


 妙な平坦な声で、サンタが言った。顔に乗せた雑誌を、ぎゅうと押しつけて。

 それが何か、妙に落ち込んでいるような印象を受けたから、アキラはくすりと笑う。これだから、こいつはおもしろい。


「そういうものよ」


 アキラはくすくすと声を殺さずに、ぽんぽんとサンタの肩をたたいた。サンタはむずかるように鼻を鳴らすと、わずかに雑誌を持ち上げて、その陰から目をのぞかせる。


「ふん。で? そのお前の気になる人ってのは、いたのか?」


 サンタたちがこうして聞きたくもない演説を聴いているのは、この広場にやってきた目的であるアキラの気になる人がいつもこのあたりにいるからだった。しかし、此処に到着した時点では目的の人物は見つからず、アキラの要望によりしばらく広場の縁のベンチで待つことになったのである。


「うーん……いつもはあの辺の噴水の縁に座ってるんだけどねー。今日はアレがあるから」


 そしてそれからもうそろそろ一時間が経過する。にもかかわらず相も変わらず元気いっぱいに演説する《恭順派》に恨みがましい視線を向けながら、アキラはすねたように唇をとがらせた。


「帰るか?」

「今日を逃せば会えない気がするんだよねぇ」

「お得意の勘か」

「そ。なんなら賭ける? 掛け金は晩ご飯で。帰ってもいいけど、絶対に会えないよ?」

「……俺はそれでも別にいいんだがなー」


 そもそもサンタがここにいるのは付き合い半分、暇つぶし半分である。僅かに、このバカ女が興味を示す男を見てみたいという興味があるだけで、別段いてもいなくても全く問題はない、はずだ。


「いいの?」


 下からのぞき込むようにして、アキラが聞いてくる。その目の中に、似合わない色を見つけて、サンタはくつくつとのどを鳴らした。


「……ま、もうしばらく待つさな」

「そ、りょーかい」


 笑みを含んだ声に、アキラもころころと笑った。似合わない真似をしたかいがあったと。

 とはいえ、全部が全部ソレ目的であった訳ではない。実際この男に、《彼》を見てほしいのだ。

 なぜかはわからないが、そうしなければならない気がしていた。そうしなければ、自分は、いや、もっと大きいものが、『賭け』に負けてしまう。自分の中の自分が、そうささやいているのだ。


「じゃあ賭けましょうか。後どれぐらい待てば会えるか。掛け金は晩ご飯」

「……負けるからやだ。というかお前とは絶対賭ねぇ。勝てる図が思いうかばねぇ」

「ごめん奢って。帰りの交通費で今月の生活費ゼロになるから」

「いや、確かお前、昨日大勝ちしたって言ってたよな」


 呆れた声が届いてくるのも構わず、アキラは両手のひらを打ち合わせてサンタを拝んだ。


「うん、孤児院に寄付してきた。んで、ミスって生活費残すの忘れた。慌ててパチンコ行ったら負けちゃった。勝てる気しなかったけどいけるかなーって思ったら案の定だったわ。やっぱり自分の勘信じなくちゃだめね、ソレが再確認できただけでもよしとしなくちゃ」

「……やっぱお前バカだわ」

「否定しないから晩ご飯奢って」


 意識してかわいらしく舌を出しておねだりしてみる。賭だ。勝てる気はする。だから勝てる。


「ったく。俺もあんま余裕ねぇぞ」

「お腹いっぱいになればよし!」


 不承不承と頷くサンタにアキラは手をたたいて喜色をあらわにする。

 まじめにお腹が減っているのだ。買い出しに行く途中に寄付をしたものだから、冷蔵庫の中身もない。なぜかしばらく賭博に勝てる気がしないので、そちらでの金策もできそうにない。本気でやばい状況だった。


「じゃ、もうしばらくしたらご飯食べに行こう! 私の気になる人も誘ってさ!」

「……待て、何でそいつまで一緒なんだよ」

「だって話聞きたいし。言ったっしょ、妙に気になるって」


 きっとそいつの分も金を出すことになるのだろうなぁ、などとサンタは考えながら、顔にかぶせていた雑誌をぐしゃりと握りつぶして、そのままゴミ箱に投げ込んだ。


「つーか、そこまで入れ込むなんて珍しいな、お前が」

「そうねぇ。自分でも不思議に思ってるわ」

「理由は?」

「聞くまでもないじゃない?」

「……だよなぁ」


 もちろん、自分の中の直感である。アキラにとって『賭博』とは人生であり、すなわち人生のあらゆる出来事が彼女にとっては賭博となる。

 その『賭博』において最も信頼するモノが直感であり、サンタにまとわりつくのも、その直感が彼から離れるなと言っているからだった。

 なぜかはわからない。サンタと知り合い付きまとい始めて一年を超えてもなお、この賭けの勝ち負けは未だにわからない。

 ただまあ、この一年、退屈はしなかったし、なんだかんだで楽しかったから、おそらくこれは勝てているのだろうとアキラは思う。

 できれば、これが長く続いてほしいのだけどと、そこまで考えて、苦笑を浮かべる。

 無理だろう。どんな賭博だって、勝ち続けるのは不可能だ。今が勝っているのなら、いつか負ける時が来る。それが流れというもので、自分はその流れを誰よりも読めるから勝てる賭博しかしてこなかっただけのこと。

 まだまだ先のことはわからないが、それでもきっと、この流れは変わるのだろう。

 なら、自分ができるのは――


「ぁ」


 その、時だった。

 背筋を、冷たいモノが貫いた。まるで氷柱が脳天から自分を地面に縫い付けたように、体が一瞬で動かなくなる。


「何……これ!?」

「……どうした?」


 急に様子が豹変したアキラを、サンタが訝しげにのぞき込んでくるが、それに対応する余裕がなかった。

 初めてだった。初めての経験だった。

 やばい、まずい、だめだ、――死ぬ。

 単語が、今まで浮かんだことのない単語が、脳内を埋め尽くす。

 いや、ある、あった。この単語が浮かんできたことは、確かにあった。

 だけど、それは、それは、それは――!


「ふむ」


 いつの間にか、その男はいた。

 先ほどまで演説をしていた《恭順派》の男。その真正面に、その男は立っていた。

 背丈は高い。周りの男よりも頭一つ抜けている。輝くような金髪と碧眼、彫りの深い顔。外国人も数多く住むこのメガフロートであるから、さほど珍しくはない容姿であるが、何か、おかしい。


「実に、すばらしい演説でありました」


 そう、おかしい。おかしいのだ。

 見えない。見えない。――みてはいけない。

 自分が、アレに関わっては、それは賭博の勝ち負けで終わらない。

 これは、あの男から感じるこれは。

 かつて感じた、六年前の、今の自分を作り上げた臨死体験、その元凶と、同じ――!


「本来ならばこのまま耳を傾けておきたいところではありますが……しかし、我々の予定がソレを許さない。申し訳なく思います」


 男は儀礼的に、僅かに頭を下げて、手を、あげる。

 いつの間にか巨大電光掲示板は映像を映しておらず、式典の模様が流れ続けていたはずの画面は黒一色に染まっていた。それを、男の手は指し示す。


「さぁ、開幕のベルを鳴らしましょう。六年間の幕間、実にお待たせいたしました。第二幕の、始まりです」


 その、時だった。

 電光掲示板に光がともる。

 しかしソレは式典の映像ではない。

 薄暗い部屋だ。

 光源は僅かな炎が揺らめくのみ。その部屋がどのような内装で、どの程度の広さがあるのかもわからない。

 ただ、画面の中央が、揺らめく。ぼう、と人影が浮かび上がってくる。

 まず現れたのは右側だ。

 背の高い、ひょろりとした男である。目も、容貌も、手足も、何もかもが細い。針金のように細い四肢が、しわ一つ無いスーツでさらにほそまって見える。

 次いで現れるのは、細い男とはまさしく対象的な男だった。

 太い。何もかもが太い。首も、腕も、足も、胴体も、全てが分厚い筋肉に覆われている、褐色肌の男である。しかしその全てはあくまで戦うためのモノであると言うことは、男の分厚い唇が描く好戦的な笑みが、証明していた。

 そして、その、中央。

 両脇に立つ男と比べると、さらに小さな女性であった。

 東洋龍をかたどったような肩当てから、体全体を覆う外套をまとっているため、体つき自体はわからないが、それでも、それでも鋭利すぎるほどに整った容姿は、隠しようもない。


『六年が経った』


 女が、口を開いた。


『長い、とても長い時間だった。だが、ソレは決して我々が、我らが主の想いを忘れた証左ではない。我々は、見ていたのだ』


 静かに、とても静かな声だった。まるで極寒の世界から響いてくるような、静かな、しかし冷たい声。


『諸君らを、見ていたのだ』


 その声で、彼女は言う。言うのだ。


『今日この日が訪れたのは、その結果である。故に再び我らが立つのは、その結果である』


 それを、口にするのだ。

 皆が皆、恐れていた。

 今日この日がまたくるかもしれないと、まるで何かに追われるように、耳をふさいで、怖がって。

 それでも気丈に、ようやく前を向き始めたこのときに。


『思い出すがいい。我らの名を。思い出すがいい。我々の力を。我々は――再び、ここに宣言する』


 彼女は、言い放つのだ――!





『我らは――《レギオン》は再び諸君らに宣戦を布告する』





 ソレは全世界に、同時に流れていた。

 故に、彼がソレを見ていたのも、当然の話。

 故に、ソレは、希なる偶然。

 彼がそこに居たのも、彼がその場に居合わせたのも、本当にただの偶然に過ぎないのである。

 五年の放浪、その末に、流れ着いた人工島。

 そこで、彼は、再び――








 初めまして、長居麦発と申します。

 感想、アドバイスなどありましたらいただければ幸いです。よろしくお願いします。


 3/13修正



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