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脳片鱗幻影  作者: 多加也 草子
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第3話研究室

 初めて保に抱かれた翌日、私は保から離れることが出来なかった。仕事を病欠して保と共に研究室へ行き、彼の研究の間彼を待つことにした。私の興味と言うものがすべて保に向けられた。

 研究室に入ると椅子に座りカップラーメンを食べている男と、机で何か書き物をしている男がいた。2人とも私を見て少し驚き緊張した様子だった。

「優美を紹介します。お、俺の彼女です」

 保が顔を赤くして私を紹介してくれた。私はペコリと頭を下げた。

「ラーメン食べているのが遠野拳さんで、奥が辻本徹さん。2人ともここの研究員だ」

「おう、保、前もって言ってくれよな。ラーメン食べながら初対面なんて情けないだろう。25歳。独身。よろしく」

 遠野さんがシャツで手を拭きながら握手を求めてきた。私は保に身を寄せながら握手を交わした。遠野さんの手はがっちりとしていて、腕の筋肉も盛り上がっていた。ピッタリとした白いTシャツ から胸の筋肉が鍛えられているのがうかがえた。私は昨夜初めて見た、保の筋肉の感じられない薄っぺらな胸を思い出し、それでも幸せな気分になり耳が熱くなった。

 辻本さんは静かに立ち上がると、遠野さんの隣に立った。

「こんなむさ苦しい所へようこそ。ついでに23歳、やはり独身。よろしく」

 辻本さんは背が高く色白で細い目をしていて冷たそうな印象だけれども、話し方がやわらかだ。

 突然、実験室の扉が開いた。

「保、移植したラットがお目覚めだ」

 年齢は50を少し過ぎたぐらいであろう。すらっと背が高く痩せていて、白髪交じりのふさふさの髪の男性が実験室から出てきた。私を見つけると、ぎょろっとした大きな目でじっと私を見つめていた。額が異様に広く、神経質そうな顔付きだ。私はすぐに保の尊敬する筑恩寺隼人博士だとわかった。

「博士、紹介します。唐沢優美さんです」

「はじめまして、お邪魔しています」

 私が挨拶すると、彼は私を一瞥し、頭を僅かに下げただけで、何も答えてはくれなかった。

「保、今、久納が観察している。君のラットだ。久納と交代しなさい」

 博士は抑揚のない話し方で言うと、また、すぐに実験室に入っていった。

「ごめんな、優美ちゃん。博士はああ言う人だから気にしなくていいよ。保、行って来い。俺が優美ちゃんの面倒見るから」

 遠野さんが私に気を使って言ってくれた。

「優美、俺はもう行くけれど、皆もしばらくしたら実験室に籠もるよ。本当に今日はここですごすのでいいの?」

 保が私の顔を覗き込んだ。私は彼の顔を見るだけで嬉しくなり笑顔で頷いた。

 保が実験室に入ると、入れ違いで細身で背の低い男が実験室から出てきた。

「久納さん。保の彼女の優美ちゃんだよ」

 遠野さんは残っていたラーメンを食べながら私を紹介した。

「ああ、博士の助手をしている久納純一と言います」

 なぜか、久納さんも私を見て少し驚いているようだった。

 私は皆が実験室に入ると、1人、木々の生い茂る窓の外の景色を見ながら、やはり保の事を考えていた。

 もう、彼から離れることなんて出来ないのだ。人というものにあんなにも温もりがあることを初めて知った。私は1人でいるのが大好きな子供だったから、両親がいなくても寂しいと思うことはなかった。それなのに、今、彼は隣の部屋にいるのに、私は彼がいないことに寂しさを感じた。そして、今まで自分が孤独だったということを、初めて知った気がした。いや、知ってはいたが、孤独と言うものの寂しさ感じたのが初めてであった。

 私は保の机の上の脳の本を読み始めた。彼が読んでいた本だと思うと、それだけで興味が沸くのだ。3時間、本を読み続け、トイレに席を立った。

 研究室に戻ると、女性が1人窓際に立ち、あの日の光の入らない木々と雑草の景色を眺めていた。女性は私が研究室に入ってきた事に気が付き振り向いた。

 テレビで見たことのある綺麗な顔。

 女優の古沢慶子だ。

 彼女は背が高く細身で、白いパンツスーツを着ていた。白い肌に黒いショートヘアがとても似合っていて、この薄暗い場所でもパッと輝いていた。確か、彼女は40前後のはずだ。なのに、なんてかわいらしい美しさなのだろう。

「こ、こんにちは」

 私は緊張しながら声を出した。すると、彼女はにっこりと笑顔になりながら、私に近づいて来た。

「はじめまして、保君の彼女でしょ。噂は聞いてるわ。堅物の保君が夢中になっているって。私は古沢慶子と申します。よろしくね」

 彼女は右手を差し出した。私は赤くなりながら慌てて右手を出した。

「唐沢優美と申します。こちらこそ、よろしくです」

 私の右手のひらはじわりと汗をかき震えながら、彼女と握手をした。

「こんな暗い研究室に入り浸っている男でいいの?」

 彼女は明るく言い、すぐに次を続けた。

「でも、私もそうなんだけどね。私、筑恩寺の女よ」

 そして、2人で話をした。慶子さんは話しやすい人だった。初対面の私たちは話を途切れさせることなく、自然に話をしていた。話し下手な私にとっては驚異的な事だった。話しているうちに、私は興奮してきてこんな話をした。

 保と一緒にベットでまどろんでいると、このまま、このまどろみのまま、彼の心の中に入り込んで、彼の行動に身を任せていられたらどんなに心地よいのだろうと思う。そうに考えている時が至福の時で今までそんな喜びを感じたことはなかった。彼の胸に顔を埋めて、彼の心臓の鼓動を聞きながら彼の体温を感じながら眠るのが何よりも安らぐ時だと。

 女はみんなそんなものよと慶子さんは幸せそうな、そして、少し寂しそうな笑顔で答えてくれた。

 その直後に筑恩寺博士が静かに部屋に入って来た。

「今の話、聞こえていました? 甘い話でしょ。男にとってはどうなのかはわからないけれど」

 慶子さんが甘い声で博士に聞いた。

「ああ、心の中に入り込む話しは興味をそそるねえ」

 博士は私に笑顔を見せた。私は話を聞かれたことに赤面した。

「ねえ、今度うちの事務所のパーティーに出席してくださる?」

 慶子さんは博士に聞いた。

「そんな、マスコミに騒がれでもしたら困るだろう」

「大丈夫、内輪のパーティーだし」

「筑恩寺博士の脳みそ話は、結構、皆に人気なのよ」

 慶子さんは私に向かってうれしそうに言った。

「よかったら、あなたも来る? 保君と一緒にどう」

「いいのですか?」

 私は思わず裏返った声を出してしまった。

「いいのよ。そうよ、研究室の皆で来ればいいわ」

 私が女優さんのいるパーティーに出席出来るなんて、すごい事だと喜んでいると、突然、隣の実験室で歓声が上がった。博士が何事かと走り出すと、遠野さんが扉を開けた。

「博士、成功ですよ。保の理論で成功しましたよ。奴め、俺より冴えている」

 私たちは、博士の後から実験室に入った。棚にはいくつものホルマリンに浸けられた脳のサンプルと薬品のビンが有り、そして、中央の机を囲んで、保と辻本さん久納さんが立っていた。博士と遠野さんがその輪に加わると、保が興奮気味に言った。「ラットBはAの性格を受け継いでいますよ。」

 見ると、小さなラットを皆は取り囲んでいた。保は私に気が付き言った。

「ラットAの人で言えば自我の部分と記憶の部分を、薬品を投与して、脳の1部に投影させたんだ。そして、その1部分をラットBに移植した。このラットはその移植をしたBの方さ。明らかにラットBの行動パターンが、ラットAの行動パターンに変化しているんだ」

 保ってすごい。それに、この時の保の顔の表情はすばらしく輝いていた。

「保、これでやっと我々の研究も一歩進んだよ。ありがとう」

 博士が保と握手を交わした。すると、皆が保を囲み、代わる代わる握手を交わした。慶子さんが私の肩をポンと叩いた。

「あなたの彼氏はすばらしいわよ」

 私はその時、満面の笑みだった。



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