第14話移植
それは、セミナーの終わりの挨拶の時だった。
風邪をひいていた総元は、舞台の上、信者たちの前で倒れこんだ。私は彼の手を握り続けたまま、病院まで行った。このまま、手術のないまま総元が死んでしまえば、後継者はウィロードになることになっていた。私にはあくまで総元の意識が必要なのだ。
「がんばってよ。あんたが私を連れ込んだのよ。あんたが望む共同生存を実現させないとだめよ」
そのまま寝たきりになった総元は、筑恩寺博士に移植を依頼した。
手術の前日、皆が私の意志を確認してくれたが、私の望みは移植のみであった。
博士から手術の説明を受けた。左右の耳から頭頂部にかけてメスを入れ、前後に頭皮を剥がし、露になった頭蓋骨にドリルで穴を3ヶ所開ける。そこからメスを入れて頭蓋骨を開く。そして、額の辺りの前頭葉の右側に1部と、右耳の後ろからメスを深く入れて、海馬の部分に1部、総元の脳の片鱗を移植するそうだ。前頭葉の片鱗には、保君が探し当てた薬品により総元のそれまでの記憶が集中されている。海馬にはそれを引き出す事の出来る細胞を移植するのだそうだ。
当日、私が剃髪する前に、慶子さんと保君が見舞ってくれた。
「博士の手は、神の手と呼ばれているんだ。安心してください」
「ありがとう」
私は何の迷いもなかった。もし、死んでも構わないと思っていたのだ。
「あなたの美しいふわふわの栗毛色の髪がしばらく見れないのは残念よ」
慶子さんは涙目で私の手を握ってくれた。
「私は今度は慶子さんのような艶やかな黒髪が生えてきてくれればと望んでいるのよ」
私は得意の引きつった満面の笑顔を慶子さんに返した。
暗闇の世界、白いひらひらとしたものが舞い降りてくる。
「ああ、ああ、ああ」
手術後、初めての意識。私は気持ちが悪いのか痛いのか、そんな判断も出来ないまま叫んでいるようだった。耳が聞こえないのか、振動だけで自分の叫び声が聞こえない。心で叫んでいるのか? 実際に声を出しているのか? 苦しい、苦しい。そして、意識が途絶えた。
次の意識。
天を見つめ、両手を空に向けて何かを取ろうとしているようにもがいた。
「沙也!」
慶子さんが、私の手を握ってくれたようだ。今度は耳が聞こえる。そして、すぐに意識はなくなった。
「沙也!」
再び、慶子さんの声が聞こえた。今度は目を開くことが出来た。私の寝室にいる。
「大丈夫?」
慶子さんの顔が見えて、慶子さんの顔は綺麗だわと思いながらただ眺めていた。そして、いつの間にか、また眠ったようだ。
次に目覚めた時も、やはり慶子さんがいた。窓の外を眺めている慶子さんは、日の光を浴びて輝いて見えた。私が何とか右手を挙げると、慶子さんは気が付いてくれた。
「おはよう、気が付いたのねえ。もう、1週間よ。痛くはない?」
慶子さんが笑顔で言った。
「おはよう、慶子さん」
かすれた声を私は発した。
「よかった。しゃべれるのね。総元さんは?」
私は脳みそを探ってみた。すると頭痛がした。
「わからない」
私はかすかに首を振った。ドアがノックされた。
「入るよ。慶子さん、今、総元が息をひきとった」
遠野さんの声だった。何かが頭の中で動いた。
「沙也が、気が付いたわ」
慶子さんが私を見た。遠野さんが近づいてきた。そして、私の口が開いた。
「手術からどのくらいたった?」
慶子さんは話し方でわかったようだ。
「総元さんね」
私はいつの間にか頷いていた。遠野さんは感心したように言った。
「1週間です。驚いたな。私たちはあなたの意識があなたの脳と沙也さんの脳に2つ存在する事を確認したかった。しかし、残念ながら、あなたが亡くなってから、沙也さんの中で意識が働き始めた。不思議なものだ」
「ご自分の身体にお会いになりますか?」
慶子さんが聞くと、私の首は左右に動いた。
「いや、別にいい。医者たちには、ミイラにするように既に頼んであるから。それより、ウィロードを呼んでくれ」
私を支配しているのは完全に総元であった。私は何か発しようとしたが、声は出なかった。遠野さんがウィロードを呼びに行った。
「失礼します」
ウィロードが大きな声で挨拶しながら、ドアを開けて入ってきた。博士、保君と後に続いた。
「おめでとうございます。これで、後、50年は存在することが出来ます」
ウィロードはベッドに走りより、私の顔を覗き込んだ。
「ああ、信者に緊急セミナーを開くと伝えてくれ。重大発表をすると」
私の意識は大きな重圧を感じた。総元の意識に飲み込まれそうな恐怖が走った。
「でも、まだ起き上がるには早いですよ」
博士は私の脈を採った。
「立てなくてもいい。車椅子でいいから信者の前に出たいんだよ」
「でも、意識が安定しているかもまだわからない。沙也さんはどうなのですか?」
「沙也の意識もしっかりしている。さっきまで、古沢さんと話していたよ。大丈夫だ」
「私は沙也さんと話がしたい」
筑恩寺博士は強い口調で言った。総元の強引さに少し怒ったようだ。ふと、私の口が私の物になったのを感じた。
「沙也です。私もしっかりしています」
「苦しいとか痛いとか、ないかね? 意識がはっきりする前、随分苦しんだようだから」
博士の口調が優しい。
「頭の傷が多少痛みますが、大丈夫です」
私が言い終わるや否や、私は既に主導権を総元に握られた。
「ほら、沙也は大丈夫でしょう? ウィロード、明日、緊急セミナーを開くぞ」
私は総元の考えが全く捕らえられなかった。私たちは意思疎通が出来ていないようだった。博士が言っていた総元の脳の移植量は、私の脳の100分の1にも満たないはずなのに、その100分の1に支配されているのだ。
「歩いてみてください。恐らく、左は教祖、右は沙也さんが動かすはずです」
ベッドを降り歩いてみたが、左が出るが右が出ない。四苦八苦してやっと出すと、今度は左が出ない。そんな状態のため4歩でやめた。もう息が切れてしまった。
「ウィロード!」
私の口は叫ぶと、ウィロードに抱えられてベッドに戻った。
「沙也さんの身体です。沙也さんの意識から行動は始める方がいいと思います。出来れば、意思疎通を意識してやってみてください」
博士は総元を諭した。
私は総元の部屋に移った。博士の言葉など聞かず、彼は私の脳を我が物顔で支配した。さすが、教祖のパワーだ。70を過ぎた老人に私は負けてしまっていた。彼の意識に語り掛けようとするが、全く無理であった。
翌日、セミナーが開かれた。いつものように始まり、私は白いベールで包帯だらけの頭を被い、舞台の中央に車椅子で上がった。ウィロードが、前回、総元が倒れてからの事を説明した。寝たきりになってしまった事。そこで、後継者が決められた事。脳移植はまだ信者には伝えられていなかったので、ここで初めて、信者は私の中に総元の意識がある事を知るのだ。
私は総元の後継者として名が呼ばれるのを待っていた。話すのは総元だし、皆も総元として私を扱う事になるのはわかってはいるが。
「さて、後継者として、皆様に発表されていた深海沙也ですが、残念ながら、総元が寝たきりになった事にショックを受け、2階のバルコニーから飛び降りました。そのため、頭を強打してしまい、自分を総元だと思い込んでしまっている状態です。ですので、恐縮ではございますが、私、ロジャー・ウィロードが皆様の総元教の代表者として、皆様の未来を支えて行きたいと思います」
ウィロードの突然の裏切りであった。
「ウィロード! それは裏切りか! 私の意識は存在しているのだぞ! 皆様! 私、深海沙也が後継者になる事は、周知の事! 以前、紹介した偉大なる筑恩寺隼人博士の研究グループによって深海沙也の脳の中に私、総元の脳を移植いたしました。私は、総元は、深海沙也の中におります。ですから深海沙也が後継者です!」
私は叫んでいた。頭に血がのぼって、傷口から吹き出しそうな気分だった。総元の怒りを感じた。そして、私自身も怒っていた。
「申し訳ございません。皆様に今の深海の状態をお見せする事は、いけないと思ったのですが、皆様に納得していただこうと思ったのです」
「筑恩寺博士を呼んでくれ! 彼の説明を聞いてもらわなければ」
博士は会場にいるはずであった。
「すみません。彼は地下に閉じ込めました」
ウィロードが囁いた。
何、他の医者や警備はどこだろう。ごく1部しか知られていないけれど、知っている人間が会場にいるはずだわ。
突然、車椅子が後ろに下がった。舞台から降ろされた。私は喚いた。ウィロードが裏切ったと。
信者たちは私を見て悲しんでいるようだ。
「かわいそうな沙也さん。総元の事がそんなにショックだったなんて」
耳に入ってきたのはそんな信者の声だ。
ああ、何、この脱力感。だめ、頑張らないと。ウィロードをどうにかしないと。総元、総元はどうしちゃったの。私を支配していたのに。
そして、私は次第に気が遠くなっていった。