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一族に読心の血族亲王へ生贄にされた私は、慌てて本音を封じ込め、か弱く装った

作者: 熾星
掲載日:2026/10/28



 私は狼族の中でも、最も血筋の卑しい半狼人。


 和平のための生贄として、一族から血族の王弟に差し出された。


 噂によれば、王弟は人の心を読む能力を持ち、誰もが心の奥底に隠している邪悪な本性さえ見抜いてしまうという。


 異母姉のイレーナは、大勢の前で熱々の紅茶を私に浴びせ、私が王弟に八つ裂きにされるのを楽しみにしていた。


 私は魔術で本心を封じ込め、涙を浮かべながら王弟の胸に飛び込んだ。


 演じるのは、従順でか弱く、哀れな花嫁。


 ただ二つの種族の和平を守るために。


 私が偽りの心の声で見せた柔らかさに、王弟は心を奪われた。しかも、私を病的なまでに溺愛するようになった。


 お茶会では、貴婦人たちが私を毒を持つ血薔薇の茂みに突き落とした。


 私は激痛に耐えながら演技を続けたが、心の中ではすでに復讐の段取りを組み立てていた。


 狼族は、かつて私を助けてくれた人の指を切り落とし、王弟を毒殺するよう私に迫った。


 私は従順なふりをしながら罠を仕掛け、敵を全軍まとめておびき寄せた。


 そして決戦の夜、古代の神器、鎮魂鐘が轟音とともに鳴り響いた。


 私の心の声を隠していた障壁が、一片ずつ砕け散り、完全に崩壊した。


 皮を剥ぎ、骨を砕き、夫を守るためなら容赦なく敵を蹂躙する、そんな凶暴な本音が一切の隠し立てもなく王弟の脳裏へと流れ込んだ。


 私はその場に凍りついた。


 そのまま処刑されると思ったのに。


 死屍累々の戦場で、彼は私の前に片膝をついた。


 暗紅色の瞳に、病的なほどの熱狂をたぎらせながら。


「妻よ。やるなら、俺が刀を渡してやる」



1



 私は生まれつき、清らかで純真そうな顔をしていた。


 けれど、その心の中にいるのは、正真正銘の残忍な悪鬼だった。


 狼族の中でも、血筋が最も入り混じった半狼人として生まれた私は、幼い頃から薄暗く湿った地下牢に閉じ込められていた。


 暴力と純血を崇拝する、歪んだ狼族の社会。その中で半狼人は、最下層の奴隷よりも低い扱いを受けていた。


 こんな残酷な世界で生き延びるには、怪物よりも凶暴になるしかない。


 十八歳になった年、私の父は、狼族の部族長としてある決断を下した。


 百年にもわたって続いてきた血族と狼族の戦争を終わらせるため、私を政略結婚の駒として、血族最強の王弟イゼルに差し出すことにしたのだ。


 噂では、イゼルは手段を選ばない、残虐極まりない狂人だった。


 千年以上を生きているうえに、さらに厄介なことがあった。


 彼は、極めて希少な読心術の持ち主だったのだ。


 彼に近づいた者は誰であろうと、その心に潜む最も暗い欲望、貪欲さ、悪意までも、すべて見透かされてしまう。


 人々の偽善と醜さを聞き続けてきたイゼルは、この世界そのものをひどく嫌悪していた。だからこそ、その振る舞いは常軌を逸するほど暴虐だった。


 父が私を婚礼用の馬車に押し込んだとき、異母姉のイレーナは横で腹を抱えて笑っていた。


「行ってらっしゃい、かわいそうな妹。あんたの汚い血で、王弟殿下が一秒でも長く楽しめるといいわね。今夜のうちに引き裂かれないよう、せいぜい祈っておきなさい」


 私はうつむき、涙をぽろぽろとこぼした。声も震えていた。


「お姉様、一族のために、必ず祈ります」


 けれど、本当の心の中では、こう叫んでいた。


【その自慢の純血の顔の皮、いつか一枚丸ごと剥ぎ取って、あんたの臭い口に押し込んでやる。自分で飲み込みなさい、このクソ女!】


 イゼルの読心術に対抗するため、私は嫁ぐ前に、祖母から教わった失われた古代魔術を使った。


 自分の精神世界に、誰にも破れない秘密の障壁を張ったのだ。


 この障壁は、私の中に渦巻く凶暴で血なまぐさい、歪んだ本心をすべて遮断する。そして外には、純粋で無害な精神波だけを流す。


 新婚初夜。


 血族の王弟府にある寝室は、広大でがらんとしていた。周囲には白い蝋燭が灯されている。


 私はウェディングドレスをまとい、丸い寝台に裸足で座りながら、不安そうに指をもじもじと絡めていた。


 次の瞬間、扉が乱暴に蹴り開けられた。


 イゼルが入ってきた。


 燕尾服に身を包み、銀色の長髪を背中に垂らしている。整いすぎるほど美しい顔立ちだったが、暗紅色の瞳には、すべてを破壊しかねないほどの殺気が渦巻いていた。


 彼は私を冷たく見下ろした。


「狼族が送りつけてきたガラクタか?」


 嘲るように笑ったかと思うと、一瞬で私の目の前に現れた。指が私の顎を乱暴につかみ、無理やり顔を上げさせる。


 痛みに眉をひそめる。瞳にはたちまち涙が浮かび、私は怯えた小動物のように彼を見上げた。


 イゼルは目を細め、読心術を発動させた。


 私の心の声を探っている。


 そうわかっていたから、私は慣れた手つきで精神の障壁を作動させた。


 外側に偽装された精神波には、か細く震える声が漂っていた。


【怖い……。でも、この人はとても孤独そう。私は平気。私の命で和平が守れるのなら、喜んで差し出すわ】


 一方、障壁の奥底では、本当の私が狂ったように叫んでいた。


【もっと強くつかめよ! 力が足りないんじゃないの? この一生で、顎を触られるのが一番嫌いなんだよ! この白髪吸血鬼、私に一度でも噛みついてみなさい。牙を二本とも引っこ抜いて、眼窩にぶち込んでやるから!】


 イゼルの体が、びくりと震えた。


 殺意と嫌悪に満ちていた紅い瞳が、私の純真無垢な心の声を捉えた瞬間、ぴたりと動きを止めた。


 千年もの間、彼が聞いてきたのは、貪欲さ、打算、嫉妬、恐怖ばかりだった。


 生きた人間から、これほどまでに一切の濁りを感じさせない心の声を聞いたのは、初めてだった。


 顎をつかんでいた指が、ゆっくりと離れた。


 目の奥から暴虐な気配が消え、代わりに、ほとんど執着に近い熱狂と驚きが浮かんだ。


「お前は……俺が怖くないのか?」


 私は胸の奥に込み上げる吐き気を必死にこらえ、鼻をすすった。そして、か弱くも清らかな笑みを浮かべ、そっと首を横に振った。


「怖くありません。殿下の瞳、とてもきれいです」


 イゼルの呼吸が、完全に乱れた。


 その夜、残虐非道な血の怪物と恐れられる男は、私の血を一滴も吸わなかった。服にさえ手をかけなかった。


 ただ私を強く抱きしめ、耳元で低くささやいた。


「リリア、君は俺のものだ。誰であろうと君に指一本触れてみろ。死んでも墓には入れてやらない」


 私は冷たい胸に身を寄せ、従順にうなずいた。


 心の中では、冷ややかに笑っていた。


【そうよ、私はあんたのもの。それで、あんたを利用して、狼族のクズどもを皆殺しにしてやる】



2



 王弟妃となって三日目。


 イゼルは、血族と狼族の婚姻を祝うために開かれた茶会へ、私を連れていった。


 会場は、血族の領地にある黒鳥荘園だった。


 狼族の有力者たちは、全員が盛装して出席していた。もちろん、父と異母姉のイレーナもいた。


 彼らは、この茶会を単なる葬儀のようなものだと思っていた。私など、とっくにイゼルに血を吸い尽くされていると決めつけていたのだ。


 ところが、イゼルが私の手を取り、自分のそばにかばうようにして会場へ入ってきたのを見た瞬間、狼族の面々は衝撃を受けた。


 とりわけイレーナの顔は、嫉妬で青紫色に歪んだ。


「どうしてよ? あの卑しい雑種が、まだ生きているなんて! しかも、王弟殿下があの女の手を取っているですって!?」


 彼女の心に渦巻く嫉妬は、止めようがなかった。


 当然、その心の声はすべてイゼルに聞こえていた。


 イゼルの瞳に、陰険な殺意がよぎる。


 彼が怒りを爆発させようとした瞬間、私は握られていた手を握り返し、無邪気な顔で彼を見上げた。


「イゼル、どうしたの? ここの日差しが強くて、具合が悪くなったの?」


【今はまだ、狼族に血族内部の政敵を牽制させておく必要があるのよ。ここであんたが暴れて全員殺したら、この先の芝居をどう続ければいいの! 我慢しなさい、この白髪コウモリ!】


 イゼルの胸に燃え上がっていた怒りは、一瞬で、どうしようもなく柔らかな感情へと変わった。


 彼は私を抱き寄せ、優しくなだめた。


「何でもない。ただ、吐き気がするような声を聞いただけだ」


 イレーナは、自分が今まさに死の淵を歩いていたことにも気づいていなかった。


 純血の狼人であることを鼻にかけ、二つの種族が停戦条約を結んだばかりなのをいいことに、淹れたての熱々の紅茶を持って、腰をくねらせながら私のもとへ歩いてきた。


「リリア、妹よ。おめでとう。王弟殿下のそばで、三晩も生き延びられたのね」


 彼女は作り笑いを浮かべて私の前に立つと、突然、手首を返した。


「あら、ごめんなさい。手が滑っちゃった」


 熱々の紅茶が、狙いすましたように私の真っ白なスカートへ降り注いだ。


 数滴は手の甲にも飛び散り、目立つ赤い火傷の跡を残した。


 半狼人である私の回復力なら、妖力を巡らせるだけで、この程度の火傷は一瞬で治せる。


 だが、今は柳の枝のようにか弱い女を演じなければならない。


 私はすぐさま悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。涙をあふれさせ、手の甲を押さえながら、ぶるぶると震えた。


「ご、ごめんなさい、お姉様。私がうっかりカップにぶつかってしまったんです。どうか怒らないでください……」


 泣きながら、私は床に散らばった割れた茶器の破片を、卑屈な様子で拾おうとした。


【このクソ女、よくも私を火傷させたな! その手、いらないなら今夜にでも切り落として犬の餌にしてやる! くそっ、本当に痛い!】


 わざと破片で皮膚を切り、血が絨毯に滴り落ちるようにした。


 その瞬間、会場全体を圧倒的な威圧感が包み込んだ。


 イゼルの瞳が鮮血のような紅色に染まり、唇の端から鋭い牙が突き出した。


 彼は私を床から抱き上げると、傷ついた指先の血を、いたわるように舐め取った。


 それから手をひと振りした。


 目に見えない力がイレーナの顔面を激しく打ち、彼女は悲鳴を上げながら吹き飛ばされた。長いテーブルを粉々に砕いて床に叩きつけられ、口から大量の血を吐いた。


「王弟殿下、お怒りをお鎮めください!」


 父は恐怖のあまり魂が抜けたようになり、ほかの狼族たちと一緒に、転がるようにしてひざまずいた。


 イゼルの声には、むき出しの殺意がこもっていた。


「汚い手で彼女を傷つけたな。手が滑ったというのなら、その両手など残しておく必要はない」


「殿下! 二つの種族は停戦したばかりです! 半狼人一人のために、条約を破るおつもりですか!」


 父は声を張り上げた。体は恐怖で震えていた。


 イゼルが本当にイレーナを殺そうとしているのを見て、私はよろめきながら駆け寄った。背後から彼の硬い腰にしがみつき、涙で顔を濡らした。


「いや……イゼル、お願い、殺さないで」


「お姉様は、わざとやったわけではありません。私のせいで、あなたが和平を破ったと責められるのは嫌なんです」


「もし本当にそんなことになってしまうなら、私なんか死んだほうがましです!」


【離しなさいよ! 寛大な女のふりをしてるだけで、もう吐きそうなんだから! あの女は生かしておいて、いつか私がこの手で皮を剥いでやる! この白髪、私の獲物を横取りするんじゃない!】


 イゼルは目を閉じ、深く息を吸い込んで、天をも焦がすような殺意を抑え込んだ。


 そして振り返ると、私を力いっぱい胸に押しつけた。


「わかった。君の言うとおりにしよう。殺さない」


 地面に倒れたまま死んだふりをしているイレーナを、彼は冷酷な目で見下ろした。


「失せろ。二度と彼女の前に姿を現すな。次に現れたら、狼族を一族残らず滅ぼしてやる」


 狼族たちは、イレーナを引きずるようにして荘園から逃げ出した。


 私はイゼルの胸に顔を埋めた。


 口元には、嘲りと残酷さを含んだ笑みが浮かんでいた。


 芝居は完璧だった。


 だが、あまりにも腹立たしくて、今にも狂いそうだった。


 これは、まだ始まりにすぎない。



3



 狼族の前では一矢報いることができたものの、血族の内部での私の立場は、依然として薄氷の上にあった。


 血族にはいくつもの派閥が存在していた。その中でも最大の勢力を誇り、イゼルを王弟の座から引きずり下ろそうと最も強く望んでいるのが、ハワード公爵だった。


 彼は自分こそ最古の純血を受け継ぐ者だと自負しており、イゼルのような狂人に暗夜の支配者を務める資格などないと考えていた。


 半月後、仮面舞踏会が開かれた。


 イゼルは数人の長老に連れられ、領地の分割について協議するため議事堂へ向かった。私は庭園に一人残され、彼の帰りを待っていた。


 そこへ、公爵夫人が三人の娘と、公爵に従う貴婦人たちを大勢引き連れてやってきた。


 彼女たちは、私を見た途端、あからさまな嫌悪と侮蔑を浮かべた。


「まあ、あなたが王弟殿下を骨抜きにしたという、あの小娘?」


 公爵の長女リリスは、手にしたワイングラスを揺らしながら、意地悪く笑った。


「確かに男を惑わせる顔はしているわね。でも、牙一本生えていないんでしょう? 危険に遭ったら、自分の身さえ守れないんじゃない?」


「リリス、そんな言い方をしてはいけないわ。彼女は和平のために身を捧げた聖女なのよ」


 別の貴婦人が口元を覆い、嘲笑した。


「ただ、その聖女の血も、下等な家畜みたいに生臭いのかしらね」


 私は藤椅子の上で身を縮め、ひどく怯えた様子を装った。声も震えていた。


「皆様、私は何も失礼なことをしていません。どうか、そんなふうにおっしゃらないでください……」


【笑ってなさいよ、このババアども。自慢の純血なんて、私が爪を一振りすれば心臓ごと引きずり出せるんだから。今のうちにせいぜい吠えてなさい。後になったら、その声も出せなくなるわよ】


 障壁の内側では、私は罵詈雑言を浴びせ続けていた。


 それでも表面上は、涙をぼろぼろとこぼしていた。


 公爵夫人は鼻を鳴らし、目に悪意を浮かべた。


 突然、私の前に歩み寄ると、手にしていたミルクのカップをひったくり、床に叩きつけた。


 ガラスの破片が一面に飛び散った。


「王弟殿下は本当にお優しいのね。こんな卑しい雑種にまで、上等な牧場のミルクを飲ませてあげるなんて。あなたには、地面に這いつくばって泥でも舐めるのがお似合いよ」


 リリスはそう言うと、鋭い爪を伸ばし、私の体を勢いよく突き飛ばした。


 私の背後には、血薔薇が一面に咲き誇る花壇があった。


 血薔薇は吸血鬼特有の植物だ。花の棘には強い麻痺毒と腐食性の毒があり、罪人を拷問するために使われる。


 私は歯を食いしばり、体内の妖力も防御本能も、すべて無理やり抑え込んだ。


 そのまま血薔薇の茂みに転がり落ちた。


 毒棘が一瞬で皮膚を突き破り、腐食性の毒液が傷口から血液へと流れ込んだ。全身を引き裂かれるような激痛が走った。


【くそっ、このクソアマ! 覚えてなさいよ。あの薔薇の棘がどれほど長かったか、今度は同じ長さの鉄釘を、あんたの頭蓋骨に打ち込んでやるから!】


 心の中で一万回ほど罵ってから、私は花の中に横たわった。


 息も絶え絶えになり、涙が頬を伝って大粒になって落ちていく。


 異変に気づいたイゼルが、殺気をまとって庭園の奥に姿を現した。


「リリア!」


 彼はほとんど瞬間移動するように私のそばへ駆けつけた。


 腐食性の毒を持つ棘などまるで気にせず、狂ったように腕を伸ばし、私を花の茂みから抱き上げた。


 彼の体から、天地を滅ぼしかねないほどの恐ろしい威圧感が放たれた。


「誰がやった!?」


 瞳は純粋な血の色に染まり、額には青筋が浮かんでいた。


 リリスは顔面蒼白になり、震えながら言い逃れをした。


「ち、違います! 私ではありません! 彼女が自分で足を滑らせて落ちただけです。殿下、私たちはちょっと冗談を言っていただけで……」


「冗談?」


 イゼルが空中で指を握り込んだ。


 見えない力がリリスの喉を締め上げ、彼女の体は宙に吊り上げられた。白目をむき、必死にもがいている。


「殿下、娘を殺さないでください! ハワード公爵が黙っているはずがありません!」


 公爵夫人は悲鳴を上げて懇願した。


 全身を引き裂かれるような痛みに震えながらも、私は今がハワード公爵と完全に敵対する時ではないと理解していた。


 イゼルが公爵令嬢を大勢の前で殺せば、公爵はすぐさま一族を結集して反乱を起こすだろう。


 私は激痛に耐え、血まみれの手でイゼルの服を必死につかんだ。声はかすれ、ほとんど聞き取れないほどだった。


「イゼル……人を殺さないで……血を見るのが怖いの……」


 苦しげに息をしながら、私は彼の首元に顔を埋めた。


「私が自分で転んだだけです。彼女たちは関係ありません……お願い、私を連れて帰って。痛いの……」


【我慢して! 殺しちゃ駄目! この馬鹿どもは絶望のどん底まで泳がせてから、まとめて私が片づけるんだから! 今ここで手を出されたら、私の計画が台無しよ!】


「わかった。殺さない」


 イゼルは突然、指を開いた。


 リリスは地面に叩きつけられ、激しく咳き込んだ。


 イゼルは私を抱き上げたまま、ひどくかすれた声で告げた。


「だが、次に同じことがあれば、ハワード一族をこの土地から跡形もなく消し去る」


 彼は私を抱いて大股で立ち去った。


 あとには、恐怖に震える貴族たちだけが残された。



4



 血薔薇の毒のせいで、私は丸一週間、寝台から起き上がれなかった。


 イゼルはすべての政務を放り出し、昼も夜も休まず、私の枕元につきっきりで看病した。


 自らの最も純粋な本命の血を少しずつ私に飲ませ、体内に入り込んだ毒を取り除いてくれた。


 私の体に幾重にも残った傷痕を見るたび、彼は深い自責の念に駆られ、腹立たしげに、関わった者を全員殺しに行こうとした。


 そのたびに私は、最も優しい笑顔を浮かべて彼をなだめた。


 あなたがいてくれるから、何も怖くない。


 そう伝えた。


【当たり前でしょ! 吸血鬼の王弟の本命の血なんて、最高の滋養じゃない。傷が治っただけじゃなく、妖力まで突破したわ。もっと飲ませなさいよ。そこで止めないで!】


 私が傷を癒やしている間に、さらに胸くそ悪いことが起きた。


 父が見舞いを口実に王弟府の従者を買収し、私に包みを届けさせたのだ。


 包みの中には、骨壺が入っていた。


 この世界で、私が唯一大切に思っていた人。


 すでに亡くなった祖母の遺灰だった。


 あのとき、狼族は祖母を残酷に虐待して死なせただけではなかった。祖母の遺灰まで隠し、私を支配するための切り札として利用していたのだ。


 骨壺の下には、一通の手紙と、緑色の液体が入った小さなガラス瓶が押し込まれていた。


 手紙には、こう書かれていた。


 リリア、いい子だ。


 よくやったな。あの狂人をすっかり夢中にさせたようだ。


 ハワード公爵とは、すでに同盟を結んだ。


 この瓶に入っているのは、吸血鬼を満月の夜に一時的に無力化する「衰亡の水」だ。


 三日後の満月の夜、王弟の酒に混ぜろ。


 もし命令に背いたり、余計な小細工をしたりすれば、お前の祖母の遺灰を狼の檻にばらまき、発情した狼どもに食わせてやる。


 お前がきちんと従うよう、ちょっとした贈り物も添えておいた。


 包みの一番下には、血まみれの切断された指が入っていた。


 それは、狼族の家で唯一、私にこっそりカビの生えたパンを半分くれた、幼い侍女の指だった。


 私は寝台の端に座り、その指をじっと見つめた。


 指先の爪が瞬く間に伸び、鋭い狼の爪へと変わった。掌の皮膚を突き破り、血が手紙の上に滴り落ちた。


 骨壺を見つめる私の胸の中で、かつてないほど激しい怒りが渦巻いた。


【私を脅すの? 祖母の遺灰を人質に取る? 友達の指まで切り落とした? いいわ、いいわよ。狼族も血族の公爵も、そろいもそろって畜生以下ね。とうとう本気で私を怒らせたわね。あんたたちの皮を一枚残らず剥いで絨毯にしてやる。骨は煮込んで濃厚なスープにして、犬に食わせてやる。狂人を敵に回すとどうなるか、骨の髄まで思い知らせてやる!】


 精神の障壁が激しく揺れた。


 天を突き破りそうなほど荒れ狂う私の心の声を、必死に押さえ込んでいた。


 ちょうどそのとき、イゼルが薬湯を持って部屋に入ってきた。


 私は瞬時に狼の爪を引っ込め、瞳に宿っていた殺意をきれいに隠した。


 慌てて手紙と薬瓶を布団の中へ押し込み、切断された指を抱きしめると、耳をつんざくような悲鳴を上げた。


 そして、部屋の隅に縮こまり、ぶるぶると震えた。


「リリア!」


 イゼルは顔色を変えて駆け寄り、私を抱きしめた。


「どうした? 何があった!?」


 私は青ざめた顔で包みを指さし、声を上げて泣いた。


「イゼル……彼らが、あなたを殺せと私に命じてきたの……。私のたった一人の友達を捕まえて、祖母の遺灰まで人質に取ったの……。私、どうしたらいいの? あなたを傷つけたくない。でも、おばあちゃんが辱められるのを黙って見ていることもできない……。私は罪深い人間なの。死んだほうがいいの……」


 大粒の涙が、彼の手の甲に次々と落ちた。


 精神の障壁を通して、イゼルには私の心に満ちた絶望と自責の念が伝わっていた。


【神様、どうして私にこんな罰を与えるの? 誰か一人が死ななければならないのなら、私を殺して。イゼルだけは傷つけないで……】


 イゼルは手紙を読み、骨壺を見て、薬瓶を手に取った。


 そして、私をさらに強く抱きしめ、頭のてっぺんに口づけた。


 声は優しかったが、その奥には人を震え上がらせるほどの殺気が潜んでいた。


「怖がらなくていい、リリア。俺は死なない。君の祖母の遺灰にも手出しはさせない。君の友達も必ず救い出す。薬を俺に渡してくれ。あとはすべて俺に任せろ」


 私は首を振り、気を失いそうになるほど泣き続けた。


 けれど彼の腕の中で、私の目は布団の中に隠した緑色の毒薬を、じっと見つめていた。


 あなたに任せる?


 いいえ。


 この復讐の宴では、私自身が包丁を握らなければならない。


――――――――――



5



 満月の夜が、予定どおり訪れた。


 王弟府には、息が詰まるほど重苦しい空気が漂っていた。


 イゼルは私の前では平然としていたが、今夜、ハワード公爵と狼族の連合軍を迎え撃つため、すでに親衛隊を密かに動員していることを私は知っていた。


 ただし、彼は知らない。


 私が本物の「衰亡の水」を渡していないことを。


 彼に渡したのは、すり替えた普通の薬剤だった。本物の毒薬は、今も私の手元にある。


 夕食の時間になった。


 私は血の酒を満たしたグラスを手に、玉座に座るイゼルのもとへ歩み寄った。


「イゼル、お酒を飲んで体を温めてね」


 優しく微笑み、グラスを差し出した。


 その酒には、確かに「衰亡の水」が入っていた。


 ただし、私はあらかじめ自分の手首を切り、半狼人の血を数滴垂らしていた。


 私の血液には、この毒に対する天然の抗体が含まれている。毒性を中和するだけでなく、短時間、吸血鬼の潜在能力を大幅に引き上げる効果もある。


 こうして、私は本当に毒を盛ったように見せかけた。


 外で待ち構えている敵が何の疑いも抱かずに攻め込んでくるように。そして、自ら罠に飛び込んでくるように。


 イゼルはグラスを見つめ、私をじっと見た。


 読心術で障壁を探っても、聞こえてくるのは相変わらず柔らかな心の声だった。


【大丈夫。毒なんて入っていないわ。イゼルが飲めば、何事もなく済むから】


 彼は、すでに私を盲信するほど信頼していた。


 グラスを受け取っても銀の針で毒を調べることすらせず、そのまま一気に飲み干した。


「リリア、今夜が終われば、もう誰も君を傷つけられなくなる」


 彼は私の頬を撫で、低い声で告げた。


 私は素直にうなずいたが、心の中では冷笑していた。


【そうね。今夜が終われば、私をいじめた連中はみんな、肉片になっているもの】


 それから三十分後。


 王弟府の外壁を覆う結界が、突然、激しく揺れた。


 凄まじい狼の遠吠えと、吸血コウモリの群れが羽ばたく音が絡み合い、夜空の静寂を引き裂いた。


 ハワード公爵と狼族の連合軍が、王弟府の目前まで迫っていた。


 イゼルは立ち上がり、瞳に強烈な紅い光を宿した。


 そして私を振り返った。


「リリア、地下の密室へ行け。あそこには最も強固な防御陣がある。俺の命令があるまで、絶対に出てくるな」


 私は目を赤くし、彼の袖をぎゅっとつかんだ。


「必ず、生きて帰ってきてね!」


 彼は私の額にそっと口づけた。


 それから長剣を抜き、足早に王弟府の外の闇へと飛び込んでいった。


 遠ざかる背中を見送った瞬間、私の顔から弱々しさも、心細さも、跡形もなく消え去った。


 私はゆっくりと、複雑なドレスの裾を引き裂いた。


 その下から、体にぴったりとした戦闘服が現れた。


 手首を軽く回す。十本の指先から、骨が鳴る乾いた音が響いた。


 狼の爪が一本ずつ飛び出し、冷たい光を放った。


 私は音もなく王弟府を抜け出した。


 外周の薄暗い一角で、最初の獲物に狙いを定めた。


 公爵の長女、リリスだった。


 彼女は戦場へ直接出ることなく、高台に立って、得意げに戦況を眺めていた。


「王弟が死んだら、次の王弟妃になるのは私よ。あの狼族の雑種は、城門に逆さ吊りにして血を抜いてやるわ」


 リリスは、くすくすと笑った。


「そうなの?」


 氷のように冷たい声が、突然、彼女の耳元で響いた。


 リリスの笑顔が、一瞬で凍りついた。


 勢いよく振り返ったときには、私がすでに目の前に立っていた。


 ぐしゃっ。


 短い音が響いた。


 私の片手は、彼女のそばにいた護衛の心臓をすでに貫いていた。


 リリスは悲鳴を上げた。


 助けを呼ぼうと口を開いた瞬間、もう片方の手が彼女の顎を強くつかんだ。


「リリス様。数日前、あなたが私を血薔薇の茂みに突き落としたこと、覚えていますか?」


 私は首をかしげ、恐怖で顔を引きつらせた彼女を見つめた。口元には、病的な笑みが浮かんでいた。


「あなたに言ったでしょう。自分のしたことには、きっちり代償を払ってもらうって」


「お、お前……どうして……あの無能な雑種が……」


「しっ」


 私は長さ十センチほどの毒棘を取り出し、彼女の額にそっと押し当てた。


「ゲームは、今始まったばかりよ」


 そして容赦なく、毒棘を少しずつ、ゆっくりと彼女の頭皮へ打ち込んでいった。


 リリスの悲鳴が、極限まで高まった。


 私は狼の爪を彼女の生え際に沿わせ、誇りにしていた顔の皮を、生きたまま引き剥がした。



6



 私はリリスの血まみれの顔の皮を、近くにあった彫刻入りの街灯に無造作に引っかけた。


 地面に転がり、悲鳴を上げ続ける彼女を見下ろし、私は満足げに唇の端についた血を舐め取った。


 一方、王弟府の正面広場では、戦闘がすでに最高潮に達していた。


 イゼルは、ハワード公爵や狼族が予想していたように、力を失ってはいなかった。


 それどころか、私の血の作用で、疲れを知らない殺戮兵器と化していた。


「あり得ん! 確かに衰亡の水を飲んだはずだ! なぜ何の影響もない!?」


 ハワード公爵は、腹立たしげに叫んだ。


 父も慌てふためいていた。


「公爵閣下、もう持ちこたえられません! あの狂人は強すぎます!」


 しかし、どれほどイゼルが強くても、一人で何十人もの敵を相手にするには限界があった。


 連合軍の兵力は親衛隊の数十倍に達していた。しかも、明らかに入念な準備を整えて攻め込んできていた。


 イレーナは赤いドレスをまとい、連合軍の後方に立っていた。手には、魔法を帯びた鋼鉄の鋲が埋め込まれた長鞭を握っている。


「どうせ無理をしているだけよ! あいつが力尽きたら、私がこの手であの女、リリアを殺してやる! それから、あの思い上がった王弟を足元に踏みつけてやるわ!」


 そのとき、長時間攻め続けてもイゼルを倒せないことに業を煮やしたハワード公爵が、突然、自分の舌先を噛み切った。


 口から吐き出した心臓の血を、一つの小箱に吹きつける。


「古代の聖器、鎮魂鐘よ! 我が呼びかけに応えよ!」


 それは、血族に伝わる伝説の古代法器だった。


 精神と魂を攻撃するためだけに作られた、恐るべき神器。


 箱を中心として、目に見えるほど濃い暗金色の音波が、周囲へ猛烈な勢いで広がった。


 その音波は肉体を傷つけない。


 だが、魂を直接攻撃する。


 修行の浅い吸血鬼や狼族の多くは、音波に触れた瞬間、七つの穴から血を流し、その場で脳死状態に陥った。


 真正面から音波を受けたのは、イゼルだった。


 彼は低くうめき、ほんの一瞬、動きを止めた。


 音波の広がる速度は凄まじく、たちまち広場全体を覆い尽くした。


 そして、暗がりに身を潜めていた私にも襲いかかった。


 頭の中を激しく殴りつけられたような衝撃が走り、世界がぐるぐると回った。


 何日も、何か月も、ずっと私の心の声を隠し続けてきた障壁。


 それが。


 パキッ。


 表面に一本の亀裂が走った。


 次の瞬間、亀裂は一気に広がり、障壁全体が砕け散った。


 私は顔色を変えた。


 しまった。


 そのとき、戦場でも、決定的な変化が起きていた。


 イゼルが鎮魂鐘の衝撃で動きを止めた隙に、狼族の長老の一人が背後から襲いかかった。


 鋭い狼の爪は、イゼルの強靭な肉体を貫くことこそできなかったものの、彼が大切にしていた服を無残に引き裂いた。


 その服は、私が自分の手で縫い上げたものだった。


 布地が裂ける音は、騒然とした戦場ではほとんど聞こえなかっただろう。


 けれど、私にははっきりと聞こえた。


 ほぼ同時に、長い間押さえ込まれていた私の本当の心の声が、凄まじい怒りとともに、砕けた障壁の裂け目を通り抜けた。


 百メートルほど先にいるイゼルの脳内へ、轟音のように流れ込んでいった。



7



【このクソ野郎どもがああああ!!!】


 耳をつんざくほどの罵声が、イゼルの脳内で爆発した。


 血まみれになりながら戦い、反撃に転じようとしていたイゼルは、その場で硬直した。


 冷たく紅い瞳が大きく見開かれ、瞳孔がきゅっと縮まった。


 続いて二つ目、三つ目の心の声が、怒涛のように押し寄せた。


 一言一言に、背筋が凍るほどの血なまぐささと凶暴さが込められていた。


【私の旦那の服を汚しやがったな!? その服を縫うのに、私は三日三晩も徹夜したんだぞ!! 下水道の中で孵化したような雑種どもめ! クソを食って育ったウジ虫どもが! お前らの皮を一寸ずつ剥いで、足拭きマットにしてやる! 骨は粉々に砕いて、犬の出汁にしてやるからな! 服を引き裂いたあのクソジジイは、生きたまま目玉をくり抜いて、地面に置いて踏み潰してやる!!!】


 イゼルは呆然とした。


 千年もの間、彼は数えきれないほどの人間の心の声を聞いてきた。


 悪意に満ちた声、貪欲な声、淫らな声。


 それでも、これほど純粋で、これほど狂っていて、これほど身内を守ることに命を懸けた暴言は、聞いたことがなかった。


 何より重要なのは、その精神波の周波数も、魂の印も、彼があまりにもよく知っているものだったことだ。


 間違いない。


 毎日のように彼の胸に潜り込み、甘えてくる、あの小さな妻。


 蟻を一匹踏み潰しただけでも涙をこぼしてしまうほど、純粋で、無垢で、優しいリリアだった。


 イゼルは勢いよく振り返り、精神のつながりをたどって視線を向けた。


 戦場の端、崩れた壁の陰で、私もちょうど彼を見ていた。


 目が合った。


 その瞬間、空気そのものが凍りついたように感じられた。


 私は、まだぴったりとした戦闘服を着ていた。


 けれど、彼がこちらを見た瞬間、体が勝手に反応した。


 私は慌てて狼の爪を引っ込めた。


 目を赤くし、両手を胸の前で組み、怯えきったか弱い女のふりをした。目尻には、ついさっき絞り出した涙まで二滴ほど残っていた。


 震えながら、心の中では絶望の叫びを上げた。


【終わった終わった終わった! 障壁が壊れた! この白髪に全部聞かれた! 今までのキャラ設定が完全崩壊じゃない! 私が変態だって知ったら、その場で斬り殺されるんじゃないの!? こっちを見ないで! 私は一番おとなしくて、か弱くて、優しい女なのよ!!!】


 イゼルは、弱々しく怯え、風に吹かれただけで泣き出しそうな私の表情を見た。


 同時に、脳内では今にも罵声を吐き散らしそうな、狂気じみた心の声が響いている。


 その瞬間、彼の全身を、これまで経験したことのない奇妙な興奮が駆け抜けた。


 不条理で、滑稽で、それでいて、どうしようもなく刺激的な感覚だった。


 恐怖はなかった。


 裏切られたという怒りもなかった。


 むしろ、もともと病的だった彼の魂が、この瞬間、初めて完全に共鳴したのだ。


 世界で最も純粋な存在だと思っていた妻は、実はまったく純白などではなかった。


 彼以上に残虐で、彼以上に狂った悪党だった。


 しかも、心の中では一言ごとに「旦那」と呼びながら、必死に彼を守っている。


 イゼルは突然、笑い出した。


 死屍累々の戦場で、無数の敵に囲まれながら、あの恐ろしい血族の王弟が笑い始めたのだ。


 胸が震えるほど笑い、紅い瞳は燃え上がりそうなほど輝いていた。


 狼族も血族の反乱軍も、彼の笑い声を聞いて背筋を凍らせた。思わず後ずさりする者までいた。


 イゼルは、周囲からの攻撃などまるで気に留めず、一歩ずつ戦場を横切って、まっすぐ私のもとへ歩いてきた。


 私は恐怖に駆られ、その場にへたり込んだ。


 そして、哀れなほど弱々しく彼を見上げた。


「イゼル……わ、わざと外に出たわけじゃないの。ただ、あなたが心配で……」


【来ないで! 殺さないで! どうしてもっていうなら、こっちだって戦うわよ! この爪で顔を引っかけば、あんただって立派に傷ものになるんだから!】


 私の心の中の抵抗を聞くたび、イゼルの口元はますます大きく弧を描いた。


 彼はゆっくりと私の前に片膝をついた。


 そして、手を伸ばし、私の目尻に残った涙を優しく拭った。


 全員が驚愕する中、彼はこの上なく甘く、それでいて狂気を帯びた声で、私に尋ねた。


「妻よ。君の爪はずいぶん鋭いな。俺に刀を渡してほしいか?」



8



 イゼルの「刀を渡してほしいか」という言葉を聞いて、私は一秒ほど固まった。


 怒っていない。


 私を嫌ってもいない。


 それどころか、私の変態じみた本性を知って、目を輝かせるほど興奮している。


 だったら、もう何のために演技を続ける必要がある?


 私は顔の偽りの涙を一気に拭い取った。


 哀れでか弱い表情は一瞬で消え去り、代わりに、見る者の背筋を凍らせるような、血に飢えた凶悪な笑みが浮かんだ。


 立ち上がり、胸の前で両手の指を組んで、ぐっと折り曲げる。


 パキパキッ。


 骨が鳴る乾いた音が響いた。


 シュッ。


 十本の暗金色の狼の爪が飛び出し、空気を切り裂いた。


【もう演技は終わり! 今日は思う存分、殺しまくってやる! ずっと我慢していたせいで、骨まで錆びつきそうだったんだから!】


 私の迷いのない心の声を聞いて、イゼルの瞳には、私を飲み込んでしまいそうなほどの熱狂が宿った。


 彼は立ち上がり、長剣を軽く回して、私の隣に並んだ。


「さっき俺の服を破った老いぼれは、どこにいる?」


 私は彼に尋ねた。


 イゼルはかすかに笑い、長い指で、先ほど背後から襲いかかってきた狼族の長老を指し示した。


「あそこだ。だが、妻よ。目玉は君に譲ろう。頭は俺がもらう」


「取引成立!」


 言い終わるより早く、私はその場から姿を消した。


 半狼人が持つ恐ろしい速度と爆発力が、一切の遠慮を捨てた状態で、最大限に発揮された。


 狼族の長老は、私が頭上に現れたことにさえ気づいていなかった。


「雑種め、何をする気だ!」


 長老は慌てて爪を掲げ、防ごうとした。


 けれど、私にそんな理屈は通用しない。


 私はあっさりと両腕を切り落とし、そのまま両手で彼の頭蓋骨をつかんだ。


「旦那の服を壊したな? 死ね、このクソ老いぼれ!」


 私は怒鳴り、稲妻のように両指を突き立てた。


 ぐしゃっ。


 本当に、心の声で言ったとおり、彼の両目を生きたままくり抜き、地面に放り投げて踏み潰した。


 長老は凄まじい悲鳴を上げた。


 次の瞬間、イゼルの長剣が飛来し、彼の首を鮮やかに切り落とした。


 夫婦の連携は、完璧だった。


 広場全体が静まり返った。


 誰もが、突然起きたこの事態に言葉を失っていた。


 か弱いと噂されていた王弟妃が、素手で人の目玉をくり抜く暴竜だったのだ。


 少し離れたところにいたイレーナは、目玉が飛び出しそうなほど目を見開いた。


 私を指さし、震える声で叫んだ。


「リリア! このクソ女! 実力を隠していたのね!」


 私は顔の半分に敵の血を浴びたまま、彼女ににっこりと笑いかけた。


【クソ女って誰のこと? この瞬間を待ちすぎて、花だって枯れちゃったわよ!】


「イレーナお姉様」


 声は柔らかかった。


 けれど、聞く者を氷の底へ沈めるような冷たさがあった。


「私を城門に逆さ吊りにして血を抜きたいんでしょう? ほら、妹はここにいますよ」


 私は自分から彼女に向かって駆け出した。


 イレーナは悲鳴を上げ、長鞭を振り回して私を打とうとした。


 普通の狼人なら、その鞭を受ければ皮膚が裂け、肉がえぐれるだろう。


 けれど、本性を完全に解放した私には、あまりにも遅かった。


 私は飛んできた鞭を片手でつかんだ。


 棘が掌に食い込んだが、半狼人の強靭な回復力によって、傷は瞬く間に塞がっていった。


 そのまま力いっぱい引っ張る。


 イレーナの体が宙に引きずり上げられた。


「自慢の純血でも、あんたの頭の悪さまでは救えないみたいね!」


 私は跳躍し、空中で膝を振り上げた。


 膝蹴りがイレーナの顎を直撃する。


 ゴキッ。


 鈍い音が響き、彼女の下顎の骨がその場で粉々に砕けた。


 イレーナは地面に叩きつけられ、血を吐いた。まともに言葉を発することさえできなくなった。


 周囲の狼族と血族の兵士たちが私を取り囲もうとしたが、イゼルが一人で長剣を振るい、すべての攻撃を阻んだ。


 彼は敵の命を刈り取りながら、私の頭の中から次々と飛び出してくる罵詈雑言を、面白そうに聞いていた。


「今の心臓をえぐる技は、なかなかいいな」


「妻よ、左から来るぞ。そうだ、そのまま肋骨を踏み折れ」


 彼は時折、戦い方にまで講評を加えていた。



9



 戦闘は、すぐさま一方的な虐殺へと変わった。


 私とイゼルという二人の狂人夫婦が手を組んだことで、ハワード公爵の精鋭部隊は半数以上を失った。


 形勢が不利だと悟った父は、なんとイレーナを置き去りにして逃げ出そうとした。


「逃げるつもり?」


 私は冷笑した。


 地面に落ちていた折れた槍を拾い、全力で投げつけた。


 槍は風を切って飛び、小さな悲鳴とともに父のふくらはぎを貫いた。


 そのまま地面に縫い止める。


 父は叫び声を上げて倒れ、傷口を押さえながら、必死に這い戻ろうとした。


 私はゆっくりと歩み寄り、いわゆる父親という存在を見下ろした。


「リリア! リリア! 俺はお前の父親だぞ! 殺すな! お前の祖母の遺灰は、まだ俺が持っているんだ!」


 父は最後の切り札を持ち出してきた。


 その言葉を聞いた瞬間、私の瞳に宿る凶暴さは、形を持つほど濃くなった。


【まだ祖母の遺灰で脅すつもり? 私がいつまでも言いなりになると思っているの?】


 私は、槍で貫かれた父のふくらはぎを踏みつけ、ぐりぐりとねじった。


 父が凄まじい悲鳴を上げる中、私は腰をかがめ、二人にしか聞こえない声でささやいた。


「知らないと思っていたの? おばあちゃんの遺灰は、とっくに下水道に捨てられているわ。あの骨壺に入っていたのは、どこかから拾ってきた木や草の灰よ」


 父の体が震えた。


 恐怖に満ちた目で私を見つめる。


「ずっと前から調べていたのよ」


 私は深く息を吸い込んだ。


 目には、思わず涙が浮かんでいた。


 けれど、今回は演技ではない。


 骨の髄まで染み込んだ憎しみからこぼれた涙だった。


「あなたは、私のたった一人の友達の指を切り落とし、偽物の遺灰を使って私を従わせようとした。私がいつまでも好き勝手に扱える、無力な雑種だと思っていたの?」


 私は父の脚から槍を引き抜き、高々と掲げた。


「私にしたことの代償、今ここで全部返してもらうわ!」


 ブスッ。


 槍が父の胸を貫き、硬い石畳に縫いつけた。


 父はそのまま息絶えた。


 そのとき、少し離れた場所から、ハワード公爵が獣のような咆哮を上げた。


 すでに勝ち目がないと悟った公爵は、禁術を無理やり発動させた。


 全身の血管が裂け、体が異様に膨れ上がる。


 醜悪な巨大コウモリの怪物へと変貌した。


「イゼル! 貴様を道連れにして地獄へ落ちてやる!」


 怪物と化した公爵は、防御をすべて捨て、イゼルに向かって突進した。


 イゼルは目を細め、長剣を構えようとした。


 だが、私のほうが速かった。


【旦那に手を出すですって? この爪に聞いてみなさいよ!】


 私は地面を強く蹴り、弾丸のように飛び出した。


 空中で半狼人の特性を利用し、半獣化を強引に完成させる。


 瞳は金色の縦長の瞳孔に変わり、全身の筋肉が滑らかに盛り上がった。


 跳躍して怪物の背中に飛び乗る。


「降りろ!」


 私は両手で、巨大な肉翼の付け根をつかんだ。


 そして、空を震わせる咆哮とともに、全身の力を振り絞った。


 バキバキッ!


 怪物の巨大なコウモリの翼を、根元から力ずくで引きちぎった。


 黒い血が噴き出した。


 怪物と化した公爵は絶望的な悲鳴を上げ、土煙を巻き上げながら地面に叩きつけられた。


 イゼルが歩み寄り、長剣で公爵の心臓を貫いた。


 こうして、馬鹿げた騒動に終止符が打たれた。


 広場は、死んだように静まり返った。


 生き残った反乱軍はすでに恐怖で腰を抜かし、次々と武器を捨てて地面にひれ伏していた。


 私は血の海の中に立ち、荒い息を吐いた。


 両手は血まみれで、服もぼろぼろだった。


 周囲に転がる死体を見つめた。


 そして、私を苦しめてきた元凶たちが、相応の報いを受けたことを確認した。


 胸の奥に長い間たまっていた鬱憤が、ようやく完全に晴れた。


 最高。


 ああ、最高にすっきりした!



10



 戦いが終わった。


 朝の最初の光が暗雲を突き抜け、荒れ果てた王弟府の広場を照らした。


 私は、肉片と黒い血にまみれた自分の手を見下ろした。


 そして、ようやく重大な問題に気づいた。


 私のキャラ設定が、完全に崩壊している。


 口を開けば罵詈雑言を吐く変態。


 しかも、素手で巨大な翼を引きちぎる暴力狂。


 イゼルはさっき、怒ってはいなかった。


 けれど、私があまりにも残虐だと知って、嫌いになったりしないだろうか。


 だって、彼が今まで好きだったのは、清らかで哀れで、弱々しい存在だったはずだ。


【終わった……。今からでもか弱いふりをすれば間に合う? それとも、自分で自分を殴って気絶したふりでもする? 私を怖がって、捨てたりしないよね?】


 障壁のない精神のつながりを通して、私の不安はそのままイゼルに伝わった。


 イゼルは血のついた長剣を無造作に放り投げ、大股で私のもとへ歩いてきた。


 私の体についた血も、周囲にいる無数の兵士たちの怯えた視線も、まるで気に留めなかった。


 彼はそのまま私の腰を抱き寄せ、力いっぱい自分の胸に引き込むと、顔を下げて唇を重ねた。


 血の味がする、それでいて狂おしいほど激しく、熱く、独占欲に満ちたキスだった。


 私は目を見開いたまま、反射的に彼に応えた。


 長い口づけのあと、彼はようやく私を解放した。


 額を私の額に寄せ、暗紅色の瞳に、溺れそうなほど深い愛情と病的な執着を浮かべた。


「もう演技はやめろ、リリア」


 彼はひどくかすれた声で笑った。


「俺がこの世で最も嫌いなのは、偽りの純白だ。君の頭の中から、あいつらの皮を剥いで骨を砕いてやるという考えが流れ込んできたとき、君がどれほど魅力的に見えたか、君にはわからないだろう」


 私は呆然とした。


「私が腹黒くても嫌じゃないの? 口が悪くても?」


「嫌う?」


 イゼルは私の顔を両手で包み込んだ。


「むしろ、もっと早く君の本当の心の声を聞けなかったことが残念だ。これからは、誰を罵ろうと、誰を殺そうと、俺が刀を渡してやる」


「俺たちは、世界から見捨てられた二匹の怪物だ。生まれつき、互いに救い合い、この深淵の中で一緒に王になり、君臨する運命だったんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、私の心に残っていた最後の不安が、跡形もなく消え去った。


【この白髪の狂人、マジで最高に私の好みなんだけど!】


 私の心の声を聞いたイゼルは、喉の奥で低く笑った。


 そして再び、私に口づけた。


 その後。


 あの戦いを経て、ハワード一族は完全に滅ぼされ、狼族の部族も大規模な粛清と再編を迎えた。


 私が見せつけた恐ろしい実力と容赦のない手腕、そしてイゼルの圧倒的な武力による支配のおかげで、私たち狂気の暴君夫婦に文句を言える者は、もう一人もいなくなった。


 私は、かつて地下牢で私を助けてくれた幼い侍女を救い出した。


 最高の医療を受けさせ、彼女の傷を治した。


 そして、かつて私をいじめ、陥れようとした者たちは、全員花壇に放り込み、花の肥料にしてやった。


 もう、古代魔術の障壁を張る必要はなかった。


 イゼルの前では、何一つ偽る必要がないからだ。


 私は玉座に寝そべり、葡萄をつまみながら、今日貢ぎ物を持ってきた大臣の顔がひどく不細工だと、心の中で遠慮なく悪態をつける。


 深夜には、イゼルの体をどれほど貪りたいかという欲望も、何一つ隠さずに伝えられる。


 そんなとき、イゼルは私の心の声を聞き、笑いながら私を押し倒す。


 そして、その欲望に、体で応えてくれるのだった。


 世間の人々は言う。


 血族の王弟が娶ったのは、呪われた血に飢えた妖女だと。


 二人は闇そのものを体現した存在だと。


 けれど、それがどうしたというのだろう。


 この世に、絶対的な純白も、絶対的な暗黒も存在しない。


 地獄にいるのなら、地獄を踏みつけ、その上に立てばいい。


 究極の愛とは、傷一つない完璧な白紙を探すことではない。


 自分の狂気も、病的な執着も、欠点もすべてさらけ出したとき、それでも相手が興奮に目を赤く染め、こう言ってくれることなのだ。


「妻よ。俺に刀を渡してほしいか?」






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