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スマホ

掲載日:2026/05/27

 坂本涼介は備後大学の医学部を卒業し、二年の研修医、四年の専攻医の過程を経て、皮膚科の専門医になった。その後、二年ほど大学病院にもどり、医局員として診療にあたった。大学病院は何かと窮屈なので、すぐに飽きて山沿いにある公立病院に移った。窮屈という言葉は少し語弊があるかもしれない。教授や上級医が感じ悪いのではなく、また、同僚医師や看護師たちとも仲良くしていた涼介はよく食事に行ったり、遊びに行ったりもしていた。しかし、決定的だったのは猟野が遠く、そこに至るまでの道も混んでいて、いざ行こうとしてもどうしても時間がかかってしまうことだった。二年目の夏に退職願を提出し、同時にA公立病院に面接に行き、2か月後に転勤が決まった。

 転職後から猟期の始まる11月までに猟友会に入り、時間のあるときは比較的近くにあるクレー射撃場にしばしば行った。11月になり解禁になると、初めは猟友会に人たちと山に入ったが、その後は単独の忍び猟に好んで出かけた。あまり良く知らない土地なので、さほど獲物に出来わすことはなかったものの、ときにはシカを見つけて、収穫することもあった。


 12月のある日、山道を歩いているとタヌキのため糞場があり、しばらく遠巻きに眺めていると、近くの切り株の上にひどく人工的なものを見つけ、近づいてみるとスマホだった。きっと誰かが忘れていったのだと思い、そのままにしておくと雨や日差しで痛んでしまうのではないかと持ち帰ることにした。スマホを手に取るとスマホにはロックが掛かっておらず、内容がすぐに確認できた。内容は極めて簡素で、ため糞場の写真が2枚、LINEのアドレスが一個、未開封のSMSが一通あるのみであった。電池の容量が減っていたので、とりあえず、電源を切り、家に帰ってから、持ち主に連絡し、警察に届けておこうと考え、ポケットにしまった。その日はシカに出会うことはなかった。


 家に帰りシャワーを浴びるとすっかりスマホのことを忘れてしまい、衣類を片付けている際にポケットのスマホに気づいた。スマホはiPhoneのかなり新しいモデルで涼介はとりあえずUSB−Cケーブルに繋いで充電し、電源を入れた。持ち主に連絡を取ろうとSMSを開封してみたが、内容は「たんたんタヌキのキンタマは」と書かれているだけで持ち主がどんな人かも全く想像できなかった。SMSの発信番号に電話をしてみたが、返事はなかった。仕方なく、SMSに


「スマホを山中で見つけたので、警察に届けておきましょうか?」


とだけ入れておいた。


 ワインと共に食事を摂ったが、そのときにLINEのメッセージがとどいたようだった。着信音が非常に奇妙だったので、涼介ははじめ、それがLINEの着信音とは気づかなかった。食後にスマホを確認したときにメッセージに気づいた。メッセージには


”スマホは警察に届けなくて大丈夫ですよ”


と記されていた。


”どうすればいいんですか?”


”必要なときは私から連絡します”


”何が必要なんですか?”


”今のところ特に必要なことはありません”


”わかりました。このまま家に置いていて差し障りありませんか?”


”できれば持っていてほしいです”


”構いませんが、GPS機能だけ解除しても構いませんか?”


”はい、こちらから無理には接触しませんので、それで構いません”


 こうして、この奇妙なスマホを介した関係が始まった。


”どうして、ため糞場の写真がだけが入っているのですか?”


”やはり、ため糞場だとわかるのですね”


”はい、見慣れているので。ところで「やはり」というのはなぜですか?”


”前にあなたがスマホを置いた近くにあるため糞場の横を通り過ぎるのを見たことがあります。そのときの様子が、その場所を大切にしているように見えたからです”


”あそこの山道はときおり通ります。ため糞場があるのも知っていました。私がどう大切にしていましたか?”


”あなたは興味がないわけでもなさそうなのに、ため糞場を遠巻きに眺めていました”


”あんまり、きれいな場所ではないように思いますが”


”はい、かかわらないほうがいいと思います”


”申し訳ありませんが、スマホを発見したときに写真を見てしまいました。非常に情報量の少ないスマホでしたが、なぜそこにため糞場の写真だけを入れていたのですか?しかも、二枚ともスマホの置いてあった場所とは違う場所ですよね?”


”あなたにもっとよい猟場を教えてあげようと思って、その近くにあるため糞場の写真を入れておきました”


”なぜ私が狩りをするとわかったのですか?”


”銃を持って歩いていたからです”


”まぁ、そういわれるとたしかに簡単に予想ができますね。少し踏み込んだことをお聞きしていいですか?”


”いいですよ、なんでもどうぞ”


”あなたは男性ですか、それとも女性ですか?”


”女性ですよ”


”女性であの場所に行かれるのは稀な気がします。そもそも、あの場所で人に合うこと自体がほぼありません。ですから私の猟も成り立ちます。怖かったり、危険を感じたりすることはないですか?”


”人が来ないなら安心じゃないですか。動物には慣れていますし、かえって山の中で人に合うことのほうが怖いです”


”うーん、そう言われればそうかも知れません。私を見かけて怖くはなかったですか?”


”あなたは違います。あなたは目的を持って山に入っています。私と会っても、挨拶を交わすぐらいはするでしょうが、執拗に話しかけたり、ついて回ったりしません”


”そんな目にあったことがあるんですか?”


”いや、ないですけど”


”ですよねぇ、普通はないと思いますよ”


”スマホを置いたのはわざとですよね?もし、私が気づかなかったらどうしたんですか?”


”あなたは必ず気づきます?”


”他の人が気づいて私と同様に連絡してくる可能性もありますよ。非常に確率の悪いコンタクトの方法だと思いますが?”


”あなたが必ず気づくと信じていました。そう思ってため糞場の近くに置いておきました”


”そこまでため糞場に興味はないですよ”


”直接的に興味はないかもしれません。あなたはため糞場を見て美しいと感じますか?”


”それは見る方向によります。単に排泄の場所として見るならば、必ずしも美しいとは言えません。さまざまな病原微生物の集積所でもありますし、人間界ではあまり聞かなくなりましたが、寄生虫類の宝庫です”


”しかし、動物生態学的にみれば、それは非常に美しい。タヌキたちの食べ物の情報交換の場であり、直接的に出会ずして周囲に競合相手がいるかどうかもわかります。また、周りのどの個体が交配期かどうかもわかります。ミクロで見るとそこだけで生命の環ができています”


”そう答える人はまずいません。その知識は猟をすることで学びましたか?”


”それもありますが、高校のときに生物を選択していました。あと、A公立病院に勤めています”


”ええっ、そうなんですか?”


”そこまで驚くようなことですか?”


”いえ、私も一応医者なんですよ。動物のですけどね。”


”そうなんですね。動物病院にお勤めですか?”


”いえ、B市立動物園に勤めています。まぁ、小さな動物園なんで、獣医師と飼育員も兼任なんです”


”じゃあ、狩りをする人はあまり好きではないのでは?”


”狩猟は動物虐待ではありません。むしろ動物が好きな人がすることが多いです。あなたのため糞場にたいする考え方を聞いたとき、あなたが動物を愛していると確信しました”


”そこまではなんとも”


”一つ無理なお願いをしてもいいですか?”


”無理なことは聞けませんが、一応お聞きします”


”クリスマスイブの日か、クリスマスの日は空いていますか?”


”どちらも空いていますよ”


”そのどちらかの日に食事をご一緒できませんか?”


”構わないですが、今から予約がとれるかどうかわかりませんよ”


”どこかあてがあるのですか?”


”ええまぁ。B駅の南側の商店街に時々行くイタリアンの店があります”


”一度、聞いてみていただけますか?”


”金曜と土曜なんで難しいかも。聞きはしてみます”


”お店の都合がわかったら、また連絡をください”



 結局私たちは27日の月曜日にB駅の改札口で待ち合わせをし、イタリアンの店に行った。女性の名前は溝口早紀といい、背が高く、冬場なのにかなり日焼けしていた。タヌキというよりは、どちらかといえばキツネ顔の非常にかわいい女性だった。たらふくビールとワインを飲み、最終的には神辺の早紀のマンションに泊まった。早紀の部屋はタヌキの写真やフィギュア、ぬいぐるみなどがたくさん置いてあった。どちらからともなくベッドに入り一緒に寝た。


 背中に手を回したときに、念のため、尻尾が生えていないか確認をした。




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