第15話:書類ゼロの狂皇女と氷の副官の終わらない仕事
昨夜の暗殺部隊の襲撃――という名の少し過激な深夜のお茶会から一夜明けた、帝都の迎賓館。
雲一つない爽やかな青空の下、窓の外に広がる美しい中庭からは、朝から信じられないほど元気な叫び声が響き渡っていた。
「うおおおッ!! 最高だぜェェ!! 太陽が眩しい! そして何より、朝起きてすぐに書類を書かなくていいってのが最高に気持ちいいぜェェッ!!」
ズドォォォォンッ!!
「……あ、ちょっとお姉様! 中庭の樹齢百年超えの立派な大木を、素手で引っこ抜いてスクワットするのはやめてちょうだい! 後でシスタネお姉様に怒られるのは私なんだから」
私は優雅に焼き立てのスコーンにジャムを塗りながら、窓の外で歓喜のあまり謎の超絶筋トレに励んでいるネネードお姉様に声をかけた。
あんなに嬉しそうに物理的な破壊活動をしている姿を見ると、よほど昨日までの事務仕事が嫌だったのだろう。
「平和な朝ね」
私が香り高い紅茶を一口すすると、背後からギリギリギリ……という、歯を食いしばるような音が聞こえてきた。
「私は完璧な氷……。感情を凍らせた、冷徹な副官……」
振り返ると、そこには天井まで届きそうな書類の山の中心で、死んだ魚のような目をしながら猛烈な勢いでペンを走らせているスイの姿があった。
シスタネお姉様の陣営との同盟締結に伴う、膨大な基本合意書の作成。
さらに昨日の広場での戦闘の事後報告書、それに加えて昨夜氷漬けにして送り返した暗殺部隊の始末書などなど。
私とネネードお姉様が一切の事務仕事を拒否した結果、そのすべてのツケが有能な副官である彼女一人の肩に重くのしかかっていたのだ。
「がんばってね、有能な副官さん。……あら、その書類、こっちの束と内容が被ってないかしら?」
「プリーズ殿下は黙って優雅に紅茶を飲んでいてください……ッ。ただでさえ、胃が……」
スイが震える手で自身の右胸を――軍服の内ポケットに潜む『スイウサちゃん』をこっそりと撫で、必死に正気を保とうとしている。
そこへ、あくびをしながらミドが部屋に入ってきた。
彼女はスイとその周囲にそびえ立つ書類の山を見た瞬間、ピタッと動きを止め、顔面を蒼白にして頭を抱え込んだ。
「うっ……! あ、頭が……ッ! 徹夜で年度末の報告書を作らされた、あの地獄の記憶が……ッ!」
「ミド? どうしたの、しっかりして」
「前世の……ブラック企業時代のトラウマがフラッシュバックしたわ。あの子、完全に昔の私じゃないの……」
ミドは同情に満ちた目でスイを見つめた後、自身の背丈ほどもある木杖をトンッと床に突いた。
「かわいそうに。手伝ってあげたいのは山々だけど……私はもう、あの地獄から抜け出してスローライフを送るって決めたのよ。直接的な事務作業は絶対にやらないわ。……でも、後方支援なら任せなさい」
ミドが杖を振るうとスイの机の上に、怪しげな深緑色にドロドロと濁った小瓶がコトンと置かれた。
さらに、机の脚からニョキニョキと生えてきた器用なツル植物が勝手に印鑑を握りしめ、スイが書き終えた書類に次々と「バンッ! バンッ!」と完璧な位置でハンコを押し始めたではないか。
「な、なんですかこの植物は! そしてこの小瓶は……?」
「私の特製『限界突破ポーション(カフェイン過積載)』よ。味は最悪だけど、しばらくは眠気を感じなくなるわ。さあ、一気に終わらせなさい!」
「あ、ありがとうございます……ッ!」
スイは涙ぐみながら怪しげな緑色の液体を一気に飲み干すと、カッと瞳孔を限界まで開き、先ほどの三倍のスピードでペンを走らせ始めた。
ツル植物のハンコ押しとのコンビネーションは、もはや芸術的ですらあった。
「……随分と活気が出てきたわね。どれ、ちょっと調べてみましょうか」
私はくすりと笑い、昨夜の午前2時の検索から使っていなかったインフォメーションのウィンドウを呼び出した。
現在のストックは【2】だ。
私は頭の中でプロンプトを打ち込んだ。
(教えて、インフォメーション。現在のスイの『ストレス値』と、『スイウサちゃんへの依存度』は?)
ピカッ、と明滅したウィンドウに、テキストが表示される。
『該当いたしました! 消費ストック【1】でご案内します!
【対象者の現在のステータス】
・ストレス値:【999%】(※対象の胃酸分泌量、血圧、魔力波形の乱れから算出。計測限界を突破しています)
・スイウサちゃん依存度:【限界値】
※警告:現在、対象者から「スイウサちゃん」を没収した場合、極度のストレスにより精神が崩壊し、帝都の半分を巻き込む『局地的な氷河期』が発生する恐れがあります! 絶対に刺激しないでください!
(本日の残りストック:1)』
「…………うわぁ」
「……見なくてもわかるわ。とんでもないヤバい情報引いたでしょ、あんた」
私のドン引きした顔を見て、ミドが呆れたようにため息をついた。
有能すぎる副官の精神状態は、すでに薄氷の上に成り立っているらしい。
***
それから数時間後。
「……終わった」
ペンがパキリと折れる音と共に、スイが万感の思いを込めて天を仰いだ。
机の上の書類の山は完全に消え去り、すべてが綺麗にファイルに収められている。
「終わりました……! プリーズ殿下! 私はやりました! これで、今日の分の仕事は完全に去りましたよぉぉ……ッ!」
スイがボロボロと感涙を流し、私とミドが「お疲れ様」と拍手を送ろうとした、まさにその時だった。
コンコンッ!
「失礼いたします! 第3皇女シスタネ殿下より、追加の書類をお持ちしました!」
元気な声と共に、シスタネお姉様の陣営の文官が部屋に入ってきた。
その後ろには。
「今後の同盟規約の細則案」と、「昨夜の迎賓館のバルコニー破損状況の確認書類」、そして「今後の活動予算の申請書」などなど……先ほどスイが片付けた量と同じぐらいの高さに積まれた書類を乗せた台車が、二台も連なっていた。
「至急、こちらのご確認とご署名をお願いいたします!」
文官が爽やかに言い残して去っていく。
部屋の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
「おーい! 妹よ! スイ! 腹減ったぞ! 筋トレしたら腹が減った! 早く肉を食いに行こうぜェェ!!」
窓の外から、ネネードお姉様の無邪気で底抜けに明るい声が追い打ちをかける。
「あ…………ぁ…………」
スイの口から、魂の抜けたような声が漏れた。
彼女の目は完全に焦点が合っておらず、白目を剥きかけている。
ピキッ……ピキピキピキッ……!
「ちょ、ちょっとスイ? 部屋の温度が……」
スイの足元から、恐ろしいスピードで真っ白な霜が広がり始めた。
限界を超えたストレスが、彼女の『氷の大剣』の魔力を暴走させようとしているのだ。
このままでは本当に局地的な氷河期が来てしまう。
「……はぁ。仕方ないわね」
私は優雅に紅茶のカップを置き、完全に凍りつく一歩手前の部屋の中で、ポツリと呟いた。
「そういえばスイ。あの森から一緒に連れてきた、先発隊と馬車の御者を合わせた『あなたの部下たち4人』が、この迎賓館の裏で警備しているはずよね?」
「……え?」
私の言葉に、スイの足元で広がりかけていた霜がピタリと止まった。
「彼ら、たしか第2皇女の拠点でも、あなたの下で事務作業を手伝っていた『優秀なエリート』だったわよね? ……呼んできなさい。警備はシスタネお姉様の陣営に任せましょう」
私がにっこりと微笑むと、スイの瞳孔にみるみると「希望の光」が宿っていった。
「ッ……!! そ、そうでした! 彼らなら、軍の書式にも慣れていて即戦力……! おお、神よ! いや、プリーズ殿下ァァッ!!」
スイは弾かれたように立ち上がると、猛ダッシュで部屋を飛び出していった。
そして数分後。
「「「「は、ははぁーーッ!! プリーズ殿下のご命令とあらば、粉骨砕身、書類の海に飛び込む所存であります!!」」」」
部屋に連行されてきた4人の兵士たちは、私を底知れぬ化け物だと思い込んでいるためか、私の姿を見るなりガタガタと震えながら、地面に額を擦り付ける勢いで土下座した。
「ええ、期待しているわ。あなたたちの有能な副官を、しっかり助けてあげてちょうだい」
私が頷くと、スイはコホンと一つ咳払いをして『完璧な氷の副官』の威厳ある顔を取り戻した。
先ほどまで白目を剥いていた面影は一切ない。
「総員、聞け! これより我が部隊は、第1・3派閥との『同盟規約締結』という最重要ミッション(書類の山)に突撃する! ミド殿のツル植物と連携し、大至急すべてを片付けるぞ!!」
「「「「イエッサー!!」」」」
かくして。
部屋の中では、4人の屈強な兵士たちが泣きそうになりながら猛烈な勢いで書類を仕分け、ミドのツル植物が「バンッ! バンッ!」と正確にハンコを押し、スイが的確な指示を飛ばすという、完璧な『事務処理工場(ブラック職場)』が完成したのだった。
「おおーい! 肉! 肉まだかー!」
窓の外で叫び続けるネネードお姉様をBGMに、私は新しく淹れ直した紅茶を優雅に楽しむ。
スイが倒れる前に対処できて良かった、と密かに安堵しながら。
「……まあ、一人に全部押し付けるより、チームで分担した方が遥かに健全よね。スイも助かったみたいだし。でも、あの震え上がってる部下たちを一切の躊躇なく書類の海へ叩き落とすあたり……あんた、やっぱり悪役の才能あるわね」
呆れ果てたミドのツッコミが、今日も平和(?)な陣営の朝に響き渡るのだった。
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