蠱毒の箱庭【最終話】世界樹の苗床
警報音が鳴り響く中、私はカプセルを内側から食い破った。
硬化ガラスが飴細工のように砕け散り、
液体と共に私の左足――いや、私の本体である黒い樹木が、
無菌室の空気に触れて歓喜の産声を上げた。
「鎮静剤だ!急げ!撃ち込め!」
白衣の男たちが右往左往している。
遅い。遅すぎる。
私は、ベッドに固定されたまま、左足の枝を一気に伸張させた。
枝は鞭のようにしなり、一番近くにいた研究員の胸を貫いた。
「がっ……!?」
男は悲鳴を上げる暇もなかった。
枝は瞬時に男の体内で分岐し、血管という血管に根を張り巡らせた。
男の皮膚の下を黒い脈が走り、次の瞬間、男の体はミイラのように干からびて崩れ落ちた。
残ったのは、白衣を着た枯れ木のような残骸だけ。
『……ウマイ……』
『……タラナイ……モット……』
吸収した養分が、爆発的なエネルギーとなって私を満たす。
拘束ベルトが引きちぎれた。
私はベッドから降りた。
いや、降りる必要はなかった。
私の右足(失われたはずの足)は、床を突き破って出てきた地下の根と繋がり、
巨大な幹となって私を支えていたからだ。
「ひっ、ひいいっ!」
あの銀縁眼鏡の男が、腰を抜かして後ずさっている。
その顔から、さっきまでの傲慢さは消え失せ、純粋な恐怖だけが張り付いていた。
「な、なんだ君は……!
データの予測と違う!
こんな急激な成長はありえない!」
「予測?」
私は笑った。
口からは、黒い花弁ではなく、甘い香りのする金色の花粉が漏れ出した。
「お前たちは、鉢植えのサイズを間違えたんだよ」
私が指を鳴らすと、施設中の全個室で、ガラスが砕ける音がした。
パリーン!パリーン!
眠っていた数百の「検体」たちが、一斉に目覚めたのだ。
彼らは、人間としての形を捨て、異形の植物人間となって這い出してきた。
『……ゴハン……』
『……ゴハン……』
地獄の釜が開いた。
検体たちは、逃げ惑う研究員たちに襲いかかった。
ある者は絡め取られ、
ある者は噛みつかれ、
ある者は体内に種を植え付けられて苗床にされた。
清潔だった白い施設は、
瞬く間に鮮血と緑の蔦で埋め尽くされていく。
「やめろ!
やめろおおお!」
銀縁眼鏡の男が、コントロールルームへ逃げ込もうと走る。
私は、一歩も動かずに、左足の根を床下に這わせた。
根はコンクリートを泳ぐように進み、男の目の前の床から、槍のように突き出した。
「ぐあっ!」
男は足を貫かれ、転倒した。
私は、ゆっくりと男に近づいた。
私の体は、歩くたびに大きくなっていく。
天井に頭が届くほどに巨大化した私は、男を見下ろした。
「助けてくれ!金ならやる!
地位も、
名誉も!」
男は泣き叫んだ。
私は、男の顔の前に、そっと手を差し伸べた。
私の指先から、美しい一輪の花が咲いた。
あの家で見たのと同じ、人面花だ。
「金?地位?」
人面花が、私の声で喋る。
「そんな無機物は栄養にならない。
我々が欲しいのは、お前そのものだ」
ズブシュッ!!
人面花が男の顔に噛みついた。
根が眼窩から脳へと侵入する。
男の手足が痙攣し、やがてピクリとも動かなくなった。
そして、男の背中から、新しい芽がニョキニョキと生えてきた。
『……アリガトウ……』
男の口が動き、私たちに感謝の言葉を述べた。
彼はもう、個ではない。
我々の一部だ。
静寂が訪れた。
生き残った人間はいない。
施設全体が、巨大な温室へと変わっていた。
私は、施設の中央に根を張り、天井を見上げた。
分厚いコンクリートの天井。
その向こうには、地上がある。
数十億の人間が住む、広大な餌場が。
『……行コウ……』
『……狭イ……ココハ、狭過ギル……』
地下の臣民たちが突き上げる。
そうだ。ここはただのプランターだった。
もう、植え替えの時期だ。
私は、全身の力を込めて、枝を上へと伸ばした。
コンクリートを貫き、土を掘り進み、アスファルトを突き破る。
地上。
とある地方都市の、平和な朝。
通勤ラッシュの交差点。
突然、地面が隆起し、巨大な黒い大樹が、天を衝く勢いで出現した。
人々は悲鳴を上げ、車は急ブレーキをかけて衝突した。
大樹は、ビルほどの高さまで成長すると、その枝を四方八方に広げた。
そして、枝の先端についた無数の「蕾」が、一斉に開いた。
パッ……
舞い散るのは、金色の花粉。
それは、朝日に照らされてキラキラと輝きながら、風に乗って街中へと広がっていく。
吸い込んだ人々が、咳き込み始める。
「ごほっ、ごほっ……
なんだこれ、甘い匂いが……」
「足が……痒い……」
交差点の真ん中で、一人のサラリーマンが靴を脱ぎ、右足の親指を掻きむしり始めた。
その爪の隙間から、小さな黒い糸が入り込んでいくのを、誰も気にしていない。
私は、大樹の頂上から、その光景を見ていた。
私の視界は、いまや数千、数万の人々の視界とリンクし始めていた。
彼らの恐怖、混乱、そして絶望。
その全てが、私の根を通じて吸い上げられ、私をさらに高く、強く成長させる。
ああ、なんて美しい世界だろう。
もう、誰も孤独ではない。
誰も痛くない。
やがて世界は、一つの巨大な森になる。
私は、風に乗せて、世界中に囁いた。
『……オイデ。ミンナ、一ツニナロウ』
世界が、私の箱庭になる。
蠱毒は終わった。
最後に残ったのは、私という名の、新しい神だった。
ということで、これにて終了にしたいと思います。
短編連作はキツですね。ネタが思いつかない。
★なし、感想無しで続けるのも正直シンドイ
面白い?面白くない?が全く分からないのも辛いですね。
それでは拙い文章、最後までお付き合いくださりありがとうございます。
次回はファンタジーに挑戦したいな




