蠱毒の箱庭【第六話】侵入者
口を塞ごうとする触手の先端から滴る粘液。
私の脳内を侵食する、過去の犠牲者たちの絶望の記憶。
もう、終わりだ。
私は土塊の一部となる。
その時、砕けた窓の外で、強烈な光が閃いた。
カッ!!
車のハイビームだ。
それも、ただの車ではない。
サーチライトのような強力な光束が、雨に煙る庭を切り裂き、リビングの中を照らし出した。
光が当たった瞬間、私の体に絡みついていた根や、床下から現れた人面花の触手が、ジュッと音を立てて煙を上げ、怯んだように縮こまった。
『……熱イ……!』
『……光ヲ、消セ……!』
地下の意識が悲鳴を上げる。
彼らは、光を嫌うのか?
次の瞬間、玄関のドアが、鍵ごと吹き飛ばされるほどの衝撃音と共に蹴破られた。
ドォォォン!!
爆風と共に、数人の男たちが土足で踏み込んできた。
彼らの手には、工事用の強力な投光器と、ガソリンの匂いがする金属製のタンク、そして――火炎放射器のようなものが握られていた。
「……いたぞ!ここだ!」
先頭の男が、投光器を私に向けた。
眩しさに目が眩む。
左目には光の残像が焼き付き、右目は強すぎる光に焼かれて激痛が走った。
男たちは、全身を防護服のようなもので覆い、ガスマスクをつけている。
村人たちではない。
「ひどい有様だな。完全に根付いてやがる」
別の男が、床に根を生やした私を見て、憐れむでもなく、事務的に言った。
「おい、生きてるか?意識はあるか?」
先頭の男が私に声をかける。
私は答えようとしたが、口からこぼれるのは黒い花弁だけだ。
コクン、と首を縦に振るのが精一杯だった。
「よかった。まだ脳はやられてない」
男は安堵したように言うと、仲間に指示を出した。
「よし、プランBだ。『本体』を焼き払う。
だが、『苗床』は回収する。
貴重なサンプルだ。
傷つけるなよ」
サンプル?
回収?
彼らは、救助隊ではないのか?
男たちが散開し、リビングに現れた人面花に向かって火炎放射器を構えた。
「焼却開始!」
ゴォォォォォッ!!
紅蓮の炎が噴き出し、人面花を包み込んだ。
肉が焼ける嫌な臭いと、断末魔の叫びが家中に響き渡る。
『ギャアアアアアア!!』
『痛イ!熱イ!ヤメロォォォ!』
『呪ッテヤル!呪ッテヤル!』
炎に焼かれながら、人面花の顔たちが苦悶に歪む。
床板が燃え上がり、火は瞬く間に家全体に広がっていく。
地下の「本体」も火傷を負ったのだろう。
地面が激しく揺れ、咆哮のような地鳴りが轟く。
「急げ!ここも長くは持たんぞ!」
二人の男が私に駆け寄り、私の体を床から引き剥がそうとした。
だが、右足は床下に深く根を張っている。
びくともしない。
「チッ、癒着がひどい。
……おい、チェーンソー持ってこい!
足を切断する!」
「!?!?」
私は目を見開いた。
切断?ここで?
彼らは私の意志など確認しない。
一人がエンジン式のチェーンソーを構え、スターターを引いた。
バリバリバリ!
というけたたましい音。
「待て!やめろ!」
声にならない声で叫ぶ。
「暴れるな!命だけでも助けてやるって言ってるんだ!」
男が私を押さえつける。
回転する刃が、私の太もも――木質化して真っ黒になった部分に近づいてくる。
その時だ。
炎に包まれていた人面花が、最後の力を振り絞り、弾けた。
破裂した肉片と種子が散弾のように飛び散り、男たちを襲った。
「うわっ!?」
チェーンソーを持った男のガスマスクに、燃える肉片が直撃した。
男は悲鳴を上げてのけぞり、チェーンソーを取り落とした。
バリバリバリバリ!!
暴れ馬のように床を転がるチェーンソー。
その刃が、私を押さえつけていたもう一人の男の足を薙ぎ払った。
「ぎゃあああああ!!」
男が倒れ、鮮血が噴き出す。
現場はパニックに陥った。
火の回りは速い。
煙が充満し、視界が悪い。
「撤退だ!撤退!」
リーダー格の男が叫ぶ。
彼らは負傷した仲間を引きずり、私を置き去りにして玄関へと走り去った。
私は一人、燃え盛るリビングに残された。
火の粉が舞い、熱気が肌を焼く。
皮肉なことに、私の体は木のようになっているためか、熱さには強くなっていた。
だが、このままでは焼け死ぬ。
私は、床に転がっていたチェーンソーを見た。
エンジンは止まっている。
私は這いずって手を伸ばし、それを掴んだ。
重い。
まともに持てない。
その時、燃え落ちた天井の梁の向こうに、あの老婆が立っているのが見えた。
老婆は炎に包まれながら、静かに私を見つめていた。
その顔は、憎しみでも、悲しみでもない。
奇妙なほど穏やかな、慈愛に満ちた表情だった。
老婆が口を開いた。
炎の音にかき消されそうだが、右目の視神経を通じて声が聞こえた。
『……それでいい』
老婆は頷いた。
『……燃え尽きれば、全ては灰になる。
灰は土に還り、また新しい命の糧になる』
そうか。
彼らは死を恐れていない。
彼らにとって、この焼却もまた「循環」の一部なのだ。
だが、私は違う。
私は人間だ。
ここで肥料になってたまるか。
私は最後の気力を振り絞り、チェーンソーのスターターロープを引いた。
一度、二度。
かからない。
三度目。
バリィン!
とエンジンが目覚めた。
私は、回転する刃を、自分の右足の付け根に向けた。
恐怖で手が震える。
痛いはずだ。
死ぬほど痛いはずだ。
だが、やらなければ、私は私でなくなる。
私は叫び声を上げながら、刃を肉体に押し当てた。
ギィィィィィン!!!
肉が裂け、骨が砕ける音。
想像を絶する激痛が脳を焼き切る。
「あががががが!!!」
私は白目を剥き、痙攣した。
右目の視界が真っ赤に染まり、左目の視界が暗転する。
意識が遠のく中、最後に感じたのは、体が床から離れる浮遊感だった。
冷たい。
雨の冷たさで、意識が戻った。
私は、家の外、泥だらけの地面に転がっていた。
どうやって外に出た?
這い出したのか?
覚えていない。
目の前では、あの平屋が轟音を立てて燃え上がっている。
雨脚は強いが、火の勢いは衰えない。
むしろ、雨を燃料にしているかのように、異様な色の炎が天を焦がしている。
私は自分の体を確認した。
右足は、太ももの付け根から無くなっていた。
切り口は焼け焦げ、泥と血で塞がっている。
奇跡的に、出血多量での死は免れたようだ。
私は生きている。
人間として。
私は泥にまみれた顔を上げ、笑った。
勝った。
私は、あの土地の呪縛に打ち勝ったのだ。
だが、その時だった。
雨音に混じって、小さな音が聞こえた。
カリ……
カリ……
あの音だ。
あの遺品の部屋で聞いた、骨を削るような音。
どこから?
私は、残された左足を見た。
泥にまみれた裸足の左足。
その親指の爪の隙間から、
一本の、黒い糸が、スルスルと中に入っていくのが見えた。
(続く)




