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短編連作 ほら~www  作者: あさき夢みがち


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蠱毒の箱庭【第三話】拒絶と捕食

 床に転がった赤黒い肉塊。


 獣臭さと血の匂いが、湿った部屋に充満している。



 『……タベル……』



 右膝のコブが脈打つたびに、強烈な飢餓感が脳を揺さぶった。


 私の胃袋ではない。膝の中にいる「それ」が、宿主である私に命令信号を送っているのだ。


 唾液が溢れ出る。理性が警鐘を鳴らしているのに、身体はそれを「極上の糧」だと認識してしまっている。



「ふざけるな……!」



 私は己の右太ももを拳で殴りつけ、その肉塊を新聞紙ごと掴み取った。


 こんなものを食べてたまるか。私は人間だ。苗床になんてならない。


 私は足を引きずりながらトイレへと向かった。

 

 便器に放り込み、流してやる。


 

 

 便器の蓋を開け、肉塊を投げ入れようとした、その瞬間。



 バヂッ!!



 右足の付け根から、脊髄を直接握り潰されたような激痛が走った。



「が、あぁっ!!」



 私はその場に崩れ落ちた。

 

 肉塊が床に転がる。



 痛い。

 

 痛い痛い痛い。

 

 膝のコブが、皮膚を突き破らんばかりに暴れ回っている。

 

 まるで、食事を取り上げられた子供が、親の手を噛みちぎるように。



 視界が明滅する。

 

 呼吸ができない。


 痛みで意識が飛びそうになる中、私は見てしまった。


 床に転がった肉塊から、黒い霧のようなものが立ち上り、それが私の右足へと吸い込まれていくのを。



 そこで、私の意識はプツリと途切れた。





 目を覚ました時、私はトイレの床で仰向けになっていた。


 外はすでに暗い。

 

 夜になっていた。

 

 口の中に、鉄錆のような味が広がる。

 私は上体を起こし、口元を拭った。

 

 手の甲に、べっとりと乾いた血が付着した。




「……嘘だろ」




 視線を巡らせる。


 床には、丸められた新聞紙だけが残っていた。


 肉塊は、どこにもない。




 そして、私の腹は、異常なほど満たされていた。


 焼けるような胸焼けと共に、腹の底からこみ上げてくる、生温かい満足感。


 食べたのだ。

 

 私は、気を失っている間に、あの生の臓器を。




 嘔吐感が込み上げたが、胃袋が痙攣して吐き出せなかった。


 身体が、消化吸収を優先している。




 私は恐怖で涙を流しながら、自分の右足を見た。


 膝にあったコブは消えていた。



 その代わり、太ももの内側に、ソフトボール大のどす黒い隆起ができていた。


 成長している。


 食べた分だけ、大きく、力強く。





 私は這うようにしてリビングに戻り、スマホを掴んだ。


 助けを呼ばなければ。

 

 誰でもいい。

 

 警察でも、救急でも。


 震える指で「110」を押そうとした。




 しかし、指が止まった。


 画面に映る自分の顔。


 スマホのブラックアウトした画面に反射した私の顔が、笑っていたからだ。



 私は笑っていない。

 

 恐怖で引きつっているはずだ。

 

 なのに、画面の中の私は、口の端を耳まで裂けるほど吊り上げ、恍惚とした表情で私を見つめ返している。



 『……ダレニ、デンワスルノ?』



 スマホのスピーカーからではなく、私の声帯が勝手に震えて、声が出た。


 私の声なのに、私ではない抑揚。




 『……ジャマヲ、シナイデ』




 バキッ。


 私の右手――スマホを握っていた右手が、勝手に動き、スマホを床に叩きつけた。



 液晶が粉々に砕け散る。


「ああ……あぁ……」




 私は左手で、言うことを聞かなくなった右手を抑え込んだ。


 侵食が進んでいる。


 足だけじゃない。

 

 もう、神経系にまで根を張り始めている。


 私は逃げるように、あの「遺品の部屋」へと這っていった。

 

 答えが欲しい。

 

 これから私に何が起こるのか。どうすれば助かるのか。

 

 狂ったように段ボールを漁り、次なるテープを探した。

 

 『発芽』と書かれたテープを見つけ、デッキに押し込む。



『……五月二十日。雨』


 あの男の声だ。

 

 少し、声色が枯れている。




『奴は、脳を欲しがる。思考を、感情を、肥料にするために』


『だが、完全に宿主を殺しはしない。生かさず殺さず、絶望を搾取し続ける』


『俺の右目は、もう見えない。奴が裏側から覗いているからだ』


『鏡を見るのが怖い。俺の中に、別の誰かがいる』




 男の声は、次第に嗚咽おえつへと変わっていった。



『……切るしかない。根が脳幹に達する前に』


『だが、切れば俺は死ぬかもしれない。……いや、このまま乗っ取られるよりはマシだ』


『包丁を用意した。まずは足を。ダメなら、首を』




 テープの音声が乱れる。


 ザザッ、というノイズの向こうで、グチャリという湿った音が聞こえた。


 そして、男の絶叫。




『ぎゃあああああああああ!!』


『痛い!


痛い!


痛い!』


『やめろ!


戻ってくるな!


傷口から入ってくるな!』




 プツン。


 テープはそこで途切れていた。



 私はデッキの前で立ち尽くした。




 切除は不可能だ。

 

 あの時、私がカッターで試みたように、奴は逃げる。

 

 そして、さらに深く潜り込む。


 男は失敗したのだ。




 その時、ふと、部屋の隅にある「仏壇」のようなスペースが気になった。


 前の住人が残した、小さな祭壇。


 そこには、埃を被った一枚の写真が飾られていた。




 私は近づき、その写真を手に取った。


 写っているのは、この家の前で撮られた家族写真だ。


 父、母、そして幼い娘。


 幸せそうな笑顔だ。


 だが、よく見ると、父親の右足が、不自然に太く腫れ上がり、ズボンの生地が張り裂けそうになっている。



 そして、その父親の顔。


 笑顔なのだが、右目だけが、カメラの方を向いていない。


 右目だけが、黒目を極限まで上に向け、自分の脳みそを覗き込もうとしているかのように、白目を剥いている。




 写真の裏には、震える文字でこう書かれていた。


『パパは、お花になった』




 背筋が凍る。


 お花。


 老婆が言っていた。

 

 

 「花が咲く前に枯れちゃう」と。



 私の太ももの中で、ドクン、と大きな鼓動がした。


 それと同時に、私の視界の右半分が、赤く染まった。


 充血ではない。


 右目の裏側に、何かが到達した感覚。





 私は祭壇の横にあった、小さな手鏡を覗き込んだ。


 鏡の中の私。


 その右目の瞳孔の中で、


 小さな、黒いつぼみのようなものが、


 ゆらりと揺れていた。




 『……ミエタ?』




 右目の中から、声がした。


 鼓膜を通さず、視神経を震わせて響く声。




 『……モウ、ニゲラレナイヨ……』




 その瞬間、私は理解した。


 この家には、逃げ場などない。


 なぜなら、「敵」は、常に私の中にいて、私と同じ目で世界を見ているのだから。





 窓の外、雨脚が強くなる。


 豪雨の音に混じって、家の周囲から、


 「……咲ケ……咲ケ……」


 という、老婆や、かつての住人たちとおぼしき、無数の合唱が聞こえ始めた。




 私の意識は、恐怖と絶望という名の肥料となり、


 右目の中の蕾を、ゆっくりと開かせていく。


(続く)

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