車
地元では「13カーブ」と呼ばれている。
深夜、峠を越えるための、緩やかだが陰湿なS字カーブ。そこで何人が死んだのか、誰も正確には知らない。
知っているのは、そこで事故に遭った車は、なぜか必ず「対向車線を大きく逸脱している」ことだけ。
俺は仕事の都合で、その日、どうしても深夜にそのカーブを通らなければならなかった。
「……気持ち悪いな」
カーブに差し掛かる直前、空気が変わった。
さっきまで鳴っていたラジオが、「ザー…」というノイズだけになった。
そして、ひどい悪寒が背筋を走った。
暖房は最大にしている。
なのに、まるで開け放たれた冷凍庫のドアの前にいるように、冷気が肌を刺す。
(気温のせいじゃない)
俺は、サイドミラーに目をやった。
そこに、「それ」はいた。
俺の車の、後部座席の真ん中に、ずぶ濡れの女が、座っていた。
女は、顔をうつむけている。
長い黒髪が、水滴を滴らせながら、シートを濡らしている。
「ヒッ…!」
俺は悲鳴を上げ、ルームミラーに目を移した。
ルームミラーには、誰も映っていない。
空っぽの後部座席が映っているだけだ。
(気のせいだ、疲れてるんだ!)
俺が自分に言い聞かせ、再びサイドミラーを見た、その瞬間。
女は、サイドミラー越しに、ゆっくりと顔を上げた。
その顔の左半分は、アスファルトに擦り付けられたかのように、赤黒く、原型を留めていなかった。
女は、割れた唇で、ニタァ…と笑った。
(やめろ、やめろ!)
俺はアクセルを踏み込んだ。カーブを抜け出したい一心で。
だが、車が、異常に重い。
まるで、定員オーバーのバスのように、車が沈み込んでいる。
アクセルを床まで踏み抜いても、時速20キロ以上出ない。
「……オソイ……」
耳元で、女の声がした。
サイドミラーじゃない。すぐ真横。助手席からだ。
恐る恐る、助手席に目を向ける。
そこには、頭が不自然な方向に折れ曲がった、作業着の男が、いつの間にか座っていた。
男は、折れた首でこちらを見ようと、「ゴキ、ゴキ」と音を立てている。
「うわあああああっ!」
俺はパニックになり、ハンドルを握りしめた。
その時、車外に、おびただしい数の「人影」が現れた。
カーブの外側、ガードレールの向こう側。崖の手前。
そこには、数十人の、濡れた人間が立っていた。
体がねじれた者。手足が欠けた者。
車に轢かれたのか、平べったくなった者。
彼らは皆、無表情で、俺の車を、見ている。
そして、
一斉に、
俺の車に向かって、歩き出した。
「来るな!来るな!」
彼らは、車の窓ガラスを、ベタ、ベタ、と無数の手で叩き始めた。
窓の外側が、泥と、血のようなもので汚れていく。
「……イコウ……」
「……コッチヘ……」
「……イッショニ……イコウ……」
車全体が、彼らに掴まれ、激しく揺さぶられる!
車が、重みで「ギシギシ」と悲鳴を上げている。
彼らは、俺を事故らせたいんじゃない。
俺を、「仲間」として、このカーブに「止めたい」んだ!
「やめろおおおお!」
俺がそう叫んだ時、
後部座席にいたはずの「濡れた女」が、いつの間にか、俺の背中にしがみついていた。
「……ミツケタ……」
冷え切った両腕が、俺の首に回される。
そして、あの潰れた顔が、俺の耳元に寄せられ、
「……サア、オリテ……」
と、囁いた。
次の瞬間、俺の目の前のフロントガラスが、
内側から、
無数の、血まみれの手形で、真っ赤に埋め尽くされた。
もう、前は、何も見えない。
創作
知らない誰かが車に乗っているだけで、普通に怖いw




