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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第10章 覚醒の期末テスト編

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第95話 俺のスキル


 陽一さんが俺のために淹れてくれたブラックコーヒー。


 そっと一口。


 まず感じたのは、穏やかな苦味。

 だが、舌を刺すような強さではない。


 次いで、深いコク。

 喉を通ったあと、ほのかな甘みが残り、余韻として口の中に優しさを残す。


(……うまい)


 思わず、もう一口。


「どうだい?」


「……はい。すごく、美味しいです」


 言葉を選ぶ必要もなかった。

 そのままの感想だった。



「このあいだ君に飲んでもらった時とは、豆の種類や挽き方が違うからね。これは店では出していないんだ」


 陽一さんは、どこか照れたように言う。


「僕から君への、ちょっとしたプレゼントだと思って受け取ってくれ」


「そんな……。わざわざ、ありがとうございます」


 陽一さんは軽く手を振ると、すぐそばにいたスタッフに声をかけた。


「少し任せてもいいかな」


「はい、オーナー」


 彼はエプロンを外し、俺の隣のカウンター席に腰を下ろす。


「一つ、聞いてもいいかな?」


「はい」


「君はさっき、勉強が手につかなくなったと言っていたね」


「はい……」


 陽一さんは、俺のカップに目を落としながら続ける。


「そもそも――

 なんのために、良い成績を取って進学を目指しているんだい?」


「それは……」


 言葉に詰まる。

 でも、不思議と逃げたいとは思わなかった。


 それは、このあいだ――

 自分でも、もう気づいていたことだったから。


「……陽一さんも聞いてるかもしれませんけど」


 俺は、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「俺の家、母子家庭なんです。高校に入ってから、近所のコンビニでアルバイトを始めました」


 コーヒーの表面が、わずかに揺れる。


「そこにいたなぎ――いえ、すごい先輩がいて……その人は俺にとっての憧れでした」


 顔が浮かぶ。


「その人が目指していた“東京”っていう場所に憧れて。

 先輩に褒めてほしくて、認めてほしくて……振り向いてほしくて」


 話しながら、少し苦笑する。


 こんなこと、誰かにちゃんと話したのは初めてかもしれない。


 この人の淹れるコーヒーと、

 この静かな空間が――

 俺を正直にさせていた。


「……そんな、小さな承認欲求のために」


 俺は、正直に言った。


「俺、今まで必死に頑張ってました」


 陽一さんは、すぐには何も言わなかった。

 ただ、同じようにカップを手に取り、一口飲んでから――


 静かに、口を開いた。


「僕もね、若いころはそうだったよ」


 陽一さんはそう言って、カップを静かに置いた。


「いや……たぶん、みんなそうなんだと思う」


 店内の照明が、コーヒーの表面に映る。


「最初から“立派な理由”を持って走り出せる人なんて、ほとんどいない。

 誰だって最初は、自分の小さな――それこそ、醜いとも言える欲求のために頑張るものさ」


 俺は、何も言わずに耳を傾けた。


「認められたい。

 褒められたい。

 誰かに必要だって言われたい」


 ひとつずつ、噛みしめるように言葉を並べる。


「それは恥ずかしいことでも、間違ったことでもない。むしろ、それがあるから人は前に進める」


「……俺にも一つ、聞かせてください」


「なんだい?」


「どうして陽一さんは、サクラブレンドを……このカフェを作ろうと思ったんですか?」


 陽一さんは少しだけ間を置いてから、静かに話し始めた。


「……僕の家は男兄弟でね。双子の兄がいるんだ。その兄がまた、できた兄でね。成績優秀、スポーツ万能、性格も良くて友達も多かった」


 俺は、陽一さんの横顔を見ながら話を聞いていた。


「一方で、僕は勉強もできないし、スポーツもからきし。友達も多くはなかった。

 まぁ、落ちこぼれってやつだね。いつも、そんな眩しい兄の活躍を影から見ているような弟だった。双子ってこともあって良く比べられたしね」


 少し自嘲するように、口元が緩む。


「そんな反発からか、僕は中学に上がる頃には、地元でも有名なヤンキー集団に仲間入りしてしまうほどに荒れていた」


「え……意外ですね……」


「はは、よく言われるよ」


 陽一さんは、懐かしむように続けた。


「しょっちゅう隣の学校の連中と喧嘩に明け暮れてね。帰ってきては両親に怒鳴られて、先生が家庭訪問に来たもんだ。それも、さっき吉野くんが言っていた小さな承認欲求だったんだろうね」


 本当に人は見かけによらないものだ。


「そんな中でね。

 その頃には部屋も別々で、滅多に話もしなくなっていた兄に、真夜中に連れ出されたんだ」


「……真夜中、ですか」


「そう。あの時ほど、兄を怖いと思ったことはなかったなあ。なんせ、すごい剣幕でボコボコにされてね。はは」


「マジですか……」


「マジだよ。あれは痛かった。本当に痛かった」

 少し笑いながら、でもどこか真剣な声で続ける。

「もちろん兄もボロボロになったよ。僕のほうが喧嘩慣れしてたからね。でも、完敗だった。それほど兄の拳は重かったんだ」


「……それで?」


「兄はね、夜の空き地に倒れた僕に、こう言ったんだ。

 『俺はお前に憧れていたんだ。これ以上、俺が憧れた自分を傷つけるのはやめろ』って」


 そう言って、陽一さんはコーヒーを一口飲んだ。


「僕が兄に嫉妬していたように、兄もまた、僕の中に嫉妬を感じる何かを見ていたんだ」


「……」


「その時、気づいたんだよ。

 自分の良さや強みっていうのは、案外、自分自身が一番わからないものなんだってね」


「……はい」


「僕はそこからすぐに非行から足を洗った。そして、高校三年生の時だった」

 静かに語りを続ける。

「当時の僕は、進学先に悩んでいた。まさに、今の君と同じだね」


 陽一さんは、少し遠くを見るようにして言った。


「僕は兄に、近所の喫茶店で進学か就職かを相談したんだ。

 当時は今ほど恵まれていなくてね。お金の問題もあって、誰もが大学に行ける時代じゃなかった」



 * * *



「陽一。お前は大学へ行け」


「え? でも兄貴のほうが頭もいいし、いい大学に行けるだろ?」


「いいか、陽一」

 兄は真っ直ぐに僕を見て言った。

「頭がいいから大学に行くんじゃない。大学に行く“必要があるやつ”が行くんだ」


「兄貴……」


「俺はな、結婚したいと思ってる人がいる」

 少し照れたように笑って続ける。

「だから高校を出たら働いて、その人と結婚して、家庭を作りたい。でも――お前は違うだろ?」


 兄は、僕の本心を見抜いていた。


 僕には、ずっと胸の奥にしまっていた、ぼんやりとした夢があった。

 当時の僕には、あまりにも大それた、夢物語みたいな話。


「兄貴……。でも、俺の夢なんて、小学生の頃に考えた、ただの妄想みたいなもんで……」


「陽一」

 兄は即座に言った。

「お前なら、できる」


「兄貴……」


「お前が作る“世界一のコーヒー”。俺は楽しみにしてるぞ」



 * * *



「僕はね、物心ついた頃からコーヒーというものが好きだったんだ」


 陽一さんは、少し懐かしそうに語り出す。


「昔、家族で通っていた地元の喫茶店があってね。そこの店主と仲良くなって、豆の挽き方から淹れ方まで、色々教わったんだ」


 ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。


「それを自分なりに真似して、家で家族に振る舞ったりしてさ。当時から『将来はコーヒー屋さんになる』なんて言ってたらしい」


 少し照れたように、笑う。


「らしい、ですか?」


「小学生の時の話だったからね、僕は忘れていたんだ。でも兄貴はね、その時のことを、ずっと覚えていたんだ」


「いいお兄さんですね」


「そうだね。そして僕はそこから必死に勉強して、なんとか大学に滑り込んで経営を学んだ。学科の違う春香と出会ったのも、その大学だったよ。その後は君が知っている通りだ」


「陽一さんは、やりたいことを達成する。そのための手段として大学に進学したんですね」


「僕の場合は、ね」


「俺は……さっき言った通り、具体的な夢や目標はありません。陽一さんみたいな、はっきりしたスキルもないですし」


「それは、君がまだ気づいていないだけさ」


「そうでしょうか」


「ああ。少なくとも、僕は君の“すごいところ”を一つ知っている」


「え?」


 陽一さんは、少しだけ口元を緩めて言った。


「困っている人のためなら、たとえ他人の家でも乗り込んで、クラッカーを炸裂させることのできる行動力だよ」


「ははは……それは確かに」


「冗談みたいに聞こえるかもしれないけどね」

 穏やかな声で続ける。

「あの時の君の行動で、少なくとも一つの家族がすれ違わずに済んだ。それは、簡単にできることじゃない」


「……」


「それにね、その年齢で明確な夢や目標を持っている人間のほうが、実は珍しいものさ」


 陽一さんは立ち上がり、ゆっくりと背筋を伸ばした。


「君が持っているその行動力という素晴らしいスキルは、どんなものと掛け算しても、大きな力になる。就職でも、進学でも――どちらにしてもね」


「……はい。ありがとうございます」



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