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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第10章 覚醒の期末テスト編

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第94話 現実逃避


 期末テスト前日の夜。


 今週の期末テストの期間、俺はバイトのシフトがほとんど入っていない。

 だから当然のように、俺は机に向かっている。無論、バイトがあってもそれは変わらないが。


 教科書、参考書、ノート、ペン。

 必要なものは、ちゃんと揃っている。


「さて、やるか」


 シャープペンを握り直し、問題文に目を走らせる。


(……あれ)


 文字を追っているはずなのに、意味が頭に残らない。

 一行読み終えたところで、違和感にすぐ気づく。


(……あれ? 今、何読んだ?)


 ため息をついて、椅子の背にもたれた。


「……だめだな」


 今日は、どうにも集中できない。


 普段から毎日、予習と復習を反復している。

 だから問題を解くこと自体はできるけど。


 できることなら、今夜もしっかり復習しておくべきだ。


 原因――筋肉痛か?


 昼間の長距離走。


 確かに脚は重いし、痛いし、太ももも少し張っている。


 でも――


(筋肉痛なんか原因じゃない)


 そんなこと、自分が一番よくわかっていた。


 シャープペンを机に置き、俺は天井を見上げる。


「俺、今までどうやって勉強、頑張ってたんだろ……」


 今思えば、周りが俺の変貌ぶりを異質だと言うのも、客観的に見れば納得できる。


 東大に行くと決めた日からの、あのスイッチの入り方。

 今考えても、少し異常だった。


 俺の原動力って、何だったんだろう。


 期末テスト。

 ここは、絶対に負けられない。


 そうだ。


 深山にも、負けないなんて宣戦布告みたいなことを言ってしまった。

 意地とか、プライドとか――そういうのも、確かにある。


 俺は間違いなく負けず嫌いだからだ。


 でも、それだけじゃだめだ。

 学年二位を追いかけることだけが、俺の燃料になるわけではない。


「……よし」


 今度こそ。


 頭を切り替えろ、吉野大河。


 明日からは、期末テストだ。



 * * *



「アイス食べたーい」


 リビングで私がソファに転がりながら言った。


「また?」

 キッチンにいたお母さんが、少し呆れたように返す。

「この前買ったばっかりでしょ。瑞希がすぐ食べちゃうからじゃない」


「だって食べたいんだもん」


 ぶうっと頬を膨らませた、その時だった。


 部屋のドアが開いて、お兄ちゃんが顔を出す。


「あ」


 私が兄の方を見る。


「あ、ごめんお兄ちゃん! 勉強の邪魔しちゃった?」


「いや」


 兄は首を軽く振った。


「ちょっと気分転換してくるわ。ついでに、アイスも買ってきてやるよ」


「えぇ!?」


 私が飛び起きる。だって、お兄ちゃんがテスト前日にこんなことを言い出すなんて!


 お母さんも驚いたようにお兄ちゃんを見た。


「いいの? 明日期末テストでしょ」


「ああ。根を詰めすぎても、逆に良くないからな」


 そう言って、靴を履く。


「じゃ、行ってくる」


「あ! お兄ちゃん!」


「なんだ? 気を遣わなくていいぞ」


「ううん、アイスクリームだけど駅前のあそこのやつがいい!」


「はは……ちゃっかりしてんなお前。了解」


 ドアが閉まる。


 その音を聞いたあと、私が小声でお母さんに言った。


「……ど、どうしちゃったんだろう。

 期末テスト前のお兄ちゃんって、いつもピリピリしてて、邪魔しちゃいけない雰囲気だったのに」


 お母さんも少し考えるようにしてから、ふっと笑った。


「さあね。でも……どっちにしてもそっとしておくしかないんじゃない?」


「……うん」



 * * *



 俺は家を出た。


 瑞希に頼まれたのは、駅前のアイスクリーム屋。


「あいつ、ここぞとばかりに高めのやつをねだるもんだ」


 あそこはコンビニより少し歩くけれど、今日はそれがちょうどよかった。

 今日は自転車ではなく、歩きたい気分だったからだ。


 住宅街を抜けると、街灯の数が増えて、人の姿も増えてくる。


 電車の走る音。

 誰かの笑い声。

 閉店準備をしている店のシャッターが下りる音。


(電車は使わないから、この辺りに来るのは久しぶりだな)


 駅前が見えてくる。


 人通りはあるけれど、昼間ほどじゃない。

 大都会というわけでもないので、明かりも控えめで、全体が柔らかい光に包まれている。


 その中で、とある店舗が目に入った。


『SAKURA COFFEE」


 ガラス越しに見える店内は、相変わらず静かで、温かそうだった。

 駅前の店舗なのでやや営業時間が長いようだ。


(……ここにもあったんだな)


 俺は足を止める。


 俺が通り過ぎようとしたその時だった。


 ――カラン。


 中から、扉が開く音がした。


「おや」


 落ち着いた声。


 顔を上げると、そこに立っていたのは――

 見覚えのある人物だった。


「……君は」


 桜井陽一。つまり桜井さんのお父さんだ。

 ネイビーのシャツに黒のエプロンをつけていた。


「吉野くんじゃないか」


「桜井さんの……お父さん、ですよね」


 一瞬だけ、相手の目が細まった。


「覚えていてくれたんだね。僕のことはお父さんではなくて、陽一でいいよ」


(おっと、やっぱりデリケートな部分だったか)


 陽一さんは、穏やかに微笑んだ。


「しかし、一人かい? こんな時間にこの駅前にくるなんて」


「あ、はい。明日から期末テストなんで勉強してたんですけど。……ちょっと気分転換に散歩をしてた所なんです」


「気分転換か。なるほど」


 桜井さんのお父さん――陽一さんは、納得したようにうなずいた。


「もし時間があるなら、うちでコーヒーでも飲んでいかないか?

 もちろん、僕からの奢りだよ」


「え」


 一瞬、言葉に詰まる。


「いつも娘がお世話になっているようだし、僕としても君には大きな借りがあるからね。遠慮はしなくていい」


 さらっと言われると、断る理由が見当たらない。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


「どうぞ」


 陽一さんはそう言って、先に店内へと戻っていった。


 店内に足を踏み入れると、静かで落ち着いた空気が流れている。

 照明は少し落とされていて、カウンター越しに並ぶ器具や豆の容器が、雰囲気を醸し出している。

 

 閉店時間までそう時間がないためか、平日だからかお客さんもまばらだ。


「座ってていいよ」


「ありがとうございます」


 そう言われて、カウンターの端の席に腰を下ろす。


「今日は店舗の見回りの日でね、たまたまこの店舗に居たんだ。そしたらガラス窓の外に見覚えのある子が見えたんでね」


「そうでしたか」


 コーヒーを淹れる準備をする陽一さんの背中は、無駄がなくて、それでいてどこか余裕があった。


「浮かない顔だね。なにか悩みでも?」


 豆を計りながら、ふと話し始める。


「え」


「違ったかい?」


「あー。まぁ、そうですね」


 思わず、正直に答えてしまう。


「はは。やっぱりね」


 お湯を注ぐ音が、静かに響く。


「明日から期末テストなんです。進学を考える僕達にとってはすごく大事なものなんです」


「ああ、そういえば娘も今回は頑張ると言っていたな」


「ええ、まぁ。でも……どういうわけか今日は身が入らなくて。やらなきゃな、とはわかっているんですけどね」


 正直な言葉が、自然と口から出ていた。


 陽一さんはすぐには答えず、コーヒーを落とし切ってから、ゆっくりと口を開く。


「君はね」


 カップを手に取りながら、穏やかに言った。


「“頑張らなきゃいけない理由”を、少し見失っているだけだと思うよ」


「……理由、ですか」


「そう。

 成績、進学、順位――どれも大事だ。否定はしない」


 一度、俺の方を見る。


「でも、それだけを燃料に走り続けると、どこかで息切れする。人間って、案外そういうものだ」


 図星だった。


「君は今まで、ちゃんと走ってきた。だからこそ、一度立ち止まる夜があってもいい」


「……」


「さ、どうぞ。元祖サクラブレンドだ」


 陽一さんは俺に一杯のブラックコーヒーを差し出す。


 立ち上る湯気は、柔らかく、鼻先をくすぐる。

 焙煎した豆の香ばしさが、俺の心にまで沁み込んでくるようだった。


(……いい匂いだ)


 カップの縁に唇を近づける前から、これは“ちゃんとしたコーヒー”だとわかる。


「ありがとうございます」


「大切なのは、“なぜ君が勉強を頑張るのか”を、自分の言葉で説明できるかどうかだ。誰かの真似でも、勢いでもなくね」


 胸の奥で、何かが動く。


「……俺」


 言いかけて、言葉を探す。


「今まで、あまり考えずに走ってたのかもしれません」


「それに気づけたなら、十分だよ」


 陽一さんは、やさしく微笑んだ。



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