第90話 告白のあとの独白
送別会が終わり、俺たちは、店長の車でバイト先のコンビニへと向かっていた。
会場になった店は、俺たちが働いているコンビニから少し歩いた場所にあった。
夜も遅くなったし、外はまだ寒いからと店長が「帰りは僕が送るよ」と気を利かせてくれて、店長の車に乗って戻ることになったのだ。
その結果――
今こうして、俺と渚先輩、店長、そして完全に出来上がった黒藪さんが、
一台の車に収まっているというわけだ。
車内は――正直、かなりカオスだ。
「おいヨッシー!!」
隣の後部座席で、完全に出来上がった黒藪さんが、俺の肩に体重を預けながら叫ぶ。
「これから夜を守るのはよぉ……お前の役割だぞぉ~? わかってんのかぁ~?」
「近いです近いです……! 黒藪さん、飲みすぎですよ……」
俺は必死に黒藪さんの身体を支えながら、シートに戻そうとする。
「はぁ? 飲みすぎ? 俺はなぁ……今日は渚ちゃんの門出だぞ……? 飲まずにいられるかってんだ!」
「それはわかりますけど……!」
黒藪さんは、俺の肩に額を擦りつけるようにしながら、ぐでんぐでんに笑った。
「ヨッシーはよぉ……ちゃんと店を守れよぉ……
夜のコンビニはなぁ……人の人生が交差する場所なんだからなぁ……」
「……今すごくいいこと言いそうな雰囲気出してますけど、半分寝てますよね」
「うるせぇ……」
次の瞬間、完全に意識が落ちたらしく、黒藪さんの体重が一気に俺にのしかかってきた。
「うわっ……!」
「大河は黒藪さんに好かれてるねー」
助手席の先輩が振り返って笑う。
「はぁ、まぁ……」
ハンドルを握る店長は、バックミラー越しにその様子を見て、苦笑いする。
「随分前に食事会をしたときも黒藪くんはこうだったからね。まぁ、今日は特に張り切ってたみたいだけど」
「送別会、ですもんね。黒藪さんなりにみんなを盛り上げようとしてくれたんじゃないですかね」
「だね」
俺が言うと、渚先輩と店長もうなずいた。
車はやがて、見慣れた場所へと滑り込む。
今日のコンビニはいつもと少し違っている。
駐車場には物々しい業者用の車両が数台。周辺には機材がいくつか置かれている。
冷蔵・冷凍ケースの入れ替え工事のため、今日は一日休業だったからだ。
昼間は業者の出入りで騒がしかったらしいが、夜間はそんな工事もひと段落で、一旦止まっているようだった。
これまで二十四時間に渡って、人々の生活に寄りそって来たその建物は、今日だけはまるで眠っているみたいに静かだった。
「さて、着いたよ二人とも」
店長がそう言って、エンジンを切る。
「明日の朝はまた工事の最終の立ち会いがあるからさ。今日はこのまま解散だね」
そう言って、ハンドルから手を離す。
「せっかくの休業日なのに、ゆっくりできないですね」
俺が言うと、店長は苦笑した。
「まぁね。でも、みんなとたくさん話せて有意義だったよ」
店長は続ける。
「じゃあ、枝垂さんと吉野くんはここで。
僕はこのまま黒藪くんをアパートまで送っていくから」
「ありがとうございます、店長」
俺はそう言ってドアを開ける。
渚先輩も花束とみんなからのプレゼントを持って助手席から降りる。
「……店長」
先輩が、車の中の店長に向かって言う。
「今日は、いえ。“今まで”本当にありがとうございました」
「こちらこそ。東京に行っても元気でね。たまには顔を見せるんだよ」
店長は穏やかにそう返した。
俺と渚先輩が車から少し離れると、店長は再びエンジンをかける。
「おいヨッシー……」
眠ったままの黒藪さんが、かすれた声でつぶやく。
「頼んだぞぉ……」
「……はい」
小さくそう答えた俺の横を、店長の車は静かに走り去っていった。
俺はスマホの画面を確認して一つメッセージを返してから、先輩に言った。
「……行っちゃいましたね、先輩」
「うん」
短く答えて、先輩は笑う。
俺たちは、それぞれの自転車を停めてある駐輪場へ向かって、コンビニの裏手へと回った。
空には、月と満天の星空。
コンビニが眠っている今、この場所では、夜空がより近く感じられる。
歩きながら、自然と二人とも空を見上げていた。
「今日は、空がよく見えますね」
「だね。前に大河とここで会ったときは、雪だったもんね」
「……でしたね」
――思い出す。
あの日の、ひどく冷たくて、苦かったブラックコーヒーを。
「今日は、あの時とは違って……星空が綺麗だね、大河」
先輩がそう言って、柔らかく微笑む。
俺も、つられるように笑って返した。
「はい。俺もそう思います。……本当に、良かったです」
やがて、駐輪場に着く。
先輩は花束を自転車のかごに入れ、
色紙とプレゼントの入った紙袋を、慣れた手つきで後部に括りつけていく。
「……持って帰れそうですか?」
「うん。なんとかなるよ」
そう言って作業を終えた先輩の背中を、
俺はただ、静かに見つめていた。
――この光景を、忘れないように。
そう思いながら。
「あの……先輩」
駐輪場で自転車に手をかけた渚先輩に、俺は声をかけた。
「このあと……最後に、少しだけお時間いいですか」
先輩は一瞬だけきょとんとした顔をして、それから小さくため息をついた。
「……しょうがないなー」
そう言って、自転車から手を離す。
「付き合ってあげよう」
「はい」
俺はほっと胸をなで下ろした。
* * *
コンビニの裏口。
赤いベンチが、夜の照明に照らされて静かにそこにあった。
俺と渚先輩は並んで腰を下ろす。
ここは――
何度も、何度も先輩と話をしてきた場所。
仕事終わりの愚痴。
将来のこと。
どうでもいい雑談。
そして――
先日、俺が想いを伝えて、振られた場所でもある。
同じ場所なのに、空気はあの時とは少し違っていた。
沈黙。
「先輩」
「なに? 最後に、って言うからには……なにかあるんでしょ」
俺は息を吸ってから、うなずいた。
「はい」
一度、夜空を見上げる。
さっき見た星は、ここからでも変わらず綺麗だった。月明かりのおかげで、互いの表情もよく見える。
「先輩、この前はすみませんでした」
「なにが?」
「……告白、です。急でしたし、驚きましたよね」
渚先輩は少し驚いたように目を瞬かせてから、ふっと笑った。
「なにそれ。急に真面目じゃん」
「今さらですけど」
「……そうだね」
赤いベンチが、きし、と小さく音を立てる。
「でも、嬉しかったよ。ああいうの」
先輩は前を向いたまま言った。
「私、ああやって面と向かって“好き”だって言われたの、初めてだったから」
「……」
「だから、ありがとね。大河」
名前を呼ばれて、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
でも――もう、その先はない。
俺は、ゆっくりと続けた。
「俺、先輩に振られてから……色々考え直しました。自分のこと」
先輩は何も言わず、ただ静かに聞いている。
「あの日、俺の口から出た言葉は、間違いなく本心でした。
先輩には、感謝しても感謝しきれないくらいの恩があります」
そこで一度、言葉を区切る。
「でも……あの日のあと、一人になって考えました」
「……」
「なんで、渚先輩だったんだろうって」
先輩は何も言わない。
「俺は小学生のとき、父親の不倫が原因で両親が離婚して……それを境に、恋愛そのものから距離を置くようになりました」
「うん。前に言ってたね」
「はい」
俺はうなずいた。
「それ以来、異性を好きになること――いえ、人と深く関わることそのものから逃げてきました」
「うん」
「家族も、それ以上深くは踏み込んできませんでしたし。
学校で俺に好意を向けてくれる人がいても、ぶっきらぼうに振る舞えば、自然と距離を取って離れていきました」
「……」
「その時の俺は、むしろそれでいいと思ってたんです。
大人になれば、それでも生きていけるって。一人で稼いで、一人で生きていく」
夜風が、静かに吹く。
「でも、そのためにはせめて、進学したかった。
だからお金が必要で……家から近かったこのコンビニを選びました」
「だね」
「……そこに、先輩がいたんです」
俺は、渚先輩の顔を見て言った。
「あの日以来、生まれて初めて……俺と真正面から向き合ってくれた人でした」
一拍。
「だから、俺は――」
言葉を選ぶ。
「先輩のことを、好きだと思ったんです」
これが、これが最後だ。
ここできっちりと、けじめをつけるんだ。




