第86話 青春トライアングル ver.2
「で、なんの用なんだ、深山くんは?」
「なんだい、相変わらずよそよそしいなあ。湊介でいいよ、大河くん」
「……なんの用だよ、深山」
俺がそう返すと、深山は一瞬だけ肩透かしを食らったような顔をして、それから肩をすくめた。
次の瞬間、その目に、わずかに好戦的な光が宿る。
「今回の期末テスト。やはり君も気合が入っているようだけど――僕も負けないよ!」
胸を張って言う。
「お互いに頑張ろう。そう言いに来たんだ」
「おぉ。……暑苦しいな。それだけのために?」
「そう」
深山は即答した。
「僕は今年の君の動向を見てきた。一年の頃の学力はもちろん、それ以外の行動も含めてね。正直に言おう――今年の君はまるで別人だ」
そこで、ほんのわずかに言葉を溜める。
「そして……まさか、生徒会の副会長にまでなるとは思わなかった」
「深山……?」
彼は構わず続ける。
「僕はね、大河くん。この学校で“トップ”を取れるよう一年の時から、ずっと努力してきた」
生徒が何人か、俺たちの横を通り過ぎていく。
昼休みの廊下はいつも通り騒がしく、空はやけに澄んで青かった。
「唯一、この学校で勝てなかったと思ったのが、霞汐乃さんだ。彼女は圧倒的だ。能力も、視野も、格が違う」
深山は、少しだけ視線を伏せてから言った。
「だから仕方ないと思った。彼女が一位で、僕が二位でも」
そして、再び顔を上げる。
「そんな彼女のもとでなら、生徒会に入って、彼女のために働くのも悪くないと思っていたんだ」
その瞳が、まっすぐに俺を射抜く。
「だけど君は――横から現れて、一瞬で僕のこの学校での“最後の目標”をかすめ取っていった」
「……」
俺は、ようやく腑に落ちた。
(ああ、そうか)
深山は――
「バレンタインの日にもらえるはずだったチョコレートも、今年は半分に減ったよ……。その上、妹の陽菜ちゃんまでも君に好意を持っているときた……」
彼は自嘲気味に笑う。
「これらが僕を、どんな気持ちにさせたかわかるかい?」
そう、
――嫉妬だ。
圧倒的な存在には向けられない。
自分より少し上、あるいは並ぶかもしれない存在にだけ向けられる、ひどく人間らしい負の感情。
「深山、声が大きいぞ」
俺は一歩だけ距離を詰め、低く言った。
「ちょっと落ち着こうぜ……」
何人かの生徒が、ちらりとこちらを振り返っていく。
深山はそれに気づいているのかいないのか、気にも留めずに言う。
「だから――」
俺がそう言いかけた、その時だった。
「深山くん、落ち着こ?」
不意に、俺たちの間に入り込んできた影。
華奢な身体。
柔らかい声。
――桜井澪だった。
さすがの深山も、わずかに言葉を失ったように目を瞬かせる。
「あ……桜井さん……」
その隙を、俺は逃さなかった。
「ほら、みんなもざわついてる」
低く、しかしはっきり言う。
「深山、もう教室に戻ってくれ。俺もテストで手を抜くつもりはないしさ」
深山は、しばらく黙り込んだ。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。
――だが、その視線は、俺を捉えていなかった。
まっすぐに見ていたのは、桜井さんだった。
「桜井澪さん」
その声は、さっきまでの挑戦的な調子とは違っていた。
「僕は……僕が、ここまで頑張ってきた理由は……」
(……おい、まさか)
嫌な予感が、背中を走る。
やめろ。
今はやめろ。
だが、その願いは、あっさりと裏切られた。
「――桜井澪さん」
深山は、はっきりと彼女の名前を呼んだ。
「僕は、一年生で同じクラスだった頃から……ずっと、君に振り向いてほしかったからでもあるんだよ?」
「……え」
桜井さんの息を呑む音。
彼女は完全に不意を突かれたように、言葉を失っていた。
それはもちろん、俺も。
――そして、周囲にいた生徒たちも。
まるで、世界の音が一斉に消えたみたいに。
廊下に、沈黙が落ちる。
誰も動かない。
誰も、口を開けない。
(……おいおい)
これは、
期末テスト直前の休み時間にやることじゃないだろ。
俺の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
そして深山は、ゆっくりと俺のほうへ視線を移し――迷いなく、指を突きつけた。
「いいかい、大河くん! いや――吉野大河!」
廊下に、はっきりと響く声。
「ここまで僕は追い詰められた。けれど、ここからはそうはいかない!」
一拍置き、深山は言い切る。
「澪さんの心も――期末テストの順位も! 僕は、絶対に譲らない!
今この瞬間から君は、僕の好敵手だ!」
――ただの自慢でも、
単なる挑発でもない。
これは、彼なりの矜持を賭けた、**本気の“宣戦布告”**だった。
その瞬間。
キーンコーンカーンコーン――♪
休み時間の終わりを告げるチャイムが、校舎中に鳴り響く。
「おい!! お前ら、なにやってるんだ!!」
怒りを含んだ先生の声が、廊下を震わせた。
「お前ら、授業が始まったのにこんなところで何やってるんだ! さっさと教室に戻れ!!」
その一声で、周囲に集まっていた生徒たちは、我に返ったように一斉に散っていく。
ざわめきは、足音に変わり、やがて各々の教室の中へ吸い込まれていった。
――だが。
そんな中でも、
俺と深山、そして桜井さんだけは、すぐに動けずにいた。
深山は、最後に一度だけこちらを見てから、何も言わず踵を返し、自分の教室へと歩いていく。
残された空気が、やけに重い。
(……これは)
俺は、小さく息を吐いた。
(……大変なことになったぞ)
渚先輩の送別会。
期末テスト。
そして――深山湊介。
去年までは静かだったはずの三学期末は、どうやら、思った以上に騒がしくなりそうだ。




