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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第8章 恋のキューピッド編

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第83話 答え合わせ


 ピンポーン。


 俺が桜井家のインターホンを押すと、静かな住宅街に電子音が小さく響いた。


 隣では、さっきコンビニで出会った女性が、少しだけ肩の力を抜いた様子で息をついた。


「吉野さん。わざわざ案内までしてもらって助かりました」


 俺がバイトするコンビニに迷い込んできたその女性は、穏やかにそう言った。


「いえ。もともとバイト終わりの時間でしたし」

 俺はハンドルを握ったまま、軽く笑って答える。

「じゃあ、俺はここまでで良さそうですね。たぶん誰かしらは出てくれるはずですし」


 そう言って、引いてきた自転車のペダルに足をかけた、その時だった。


 ――ガチャ。


 インターホンの通話がつながる音。


『た、……大河くん!?』


 聞き覚えのありすぎる声。


「え……」


 思わず固まる。


『な、なんで……!?』


「あ、桜井さん?」


 間抜けな返事をしてから、遅れて気づく。


「……って、そっか。あのカメラで俺たち、見えてるのか」


 門柱に埋め込まれたインターホンのレンズが、こちらを向いている。


 つまり今この瞬間――

 桜井さんには、俺と、隣に立つ女性が、並んで映っているというわけだ。


 自転車のサドルの上で、妙に背中がむず痒くなる。


 インターホン越しに、一拍置いた桜井さんの声が、少しだけ落ち着きを取り戻して響く。


『……大河くん。その、隣の方は……?』


 俺は一度、小さく息を吸ってから答えた。


「あー……えっとー」


 どう説明したものかと口を開きかけた、その時だった。


『もしかして――詩織?』


 インターホン越しに聞こえてきたのは、桜井さんのお母さん――春香さんの声。


 すると、俺の隣に立っていた女性が、少し懐かしそうに微笑んで答えた。


「久しぶりね、春香」


 その一言で、状況が一気にひっくり返った気がした。



 * * *



 気がつけば、俺たちは桜井家のリビングでテーブルを囲んでいた。


(……なんで俺まで中に入る流れになってるんだ)


 正直、完全に場違いだ。


 俺は居心地の悪さを誤魔化すように姿勢を正し――ふと、向かいに座る桜井さんと目が合った。


「っ……」


 彼女は眼鏡をかけ、ゆったりとした部屋着姿だった。


 特に下心があるわけじゃない。

 ない、はずなんだけど――なぜか視線のやり場に困る。


(……昼間のこともあるし、余計に意識するなってほうが無理だろ)


 そんな俺たちの微妙な空気など気にも留めず、大人たちは久々の再会に花を咲かせていた。


「ちょっと詩織!

 来るなら来るって、前もって言ってくれればいいのに。あなた、昔からそうなんだから」


 春香さんが呆れたように言うと、詩織さんは肩をすくめて笑う。


「まぁまぁ、いいじゃない。こうして久しぶりに会えたんだし」


 そして、ちらりと桜井さんの方を見て、目を細めた。


「それに……そちらが娘さんね?

 ずいぶん大きくなったわね」


「あ、えっと……」


 桜井さんが少し戸惑ったように言葉を探す。


 春香さんがそれをフォローするように続けた。


「前に詩織がここに来た時は、澪がまだ小さかったのよ。だから、あなたは覚えてないかもしれないわね」


「そうなんだ……」


 桜井さんはそう言ってから、俺を見るようにして首をかしげた。


「でも、お母さん。詩織さんとは、どういう関係なの?」


 その問いに、春香さんは少しだけ誇らしげに答える。


「詩織はね。

 私の学生時代からの親友で――そして、ライバルでもあった人よ」


 その言葉に、詩織さんは楽しそうに笑った。


「春香、あなたのお母さんは昔っからパワフルな人でね。色々と危なっかしい人だったのよ」


「ちょっと詩織。娘の前でそういうこと言わないでくれる?」


 春香さんが呆れたように眉をひそめる。


 そのやり取りに、どこか懐かしそうな笑みを浮かべながら――

 桜井さんのお父さん、陽一さんがキッチンからこちらへやってきた。


 お盆の上には、湯気の立つマグカップ。


「ははは。まぁいいじゃないか」


 そう言って、テーブルにコーヒーを置いていく。


「そしてこれは、僕からの“最高の一杯”だ。どうぞ」


「ありがとうございます」


 俺はそう言ってカップを受け取った。


 陽一さんのコーヒーを飲むのは、クリスマスイブ以来だ。


 全員が一斉にカップを口に運ぶと、リビングは一瞬だけ静かになった。


 深くて、柔らかい香り。

 苦味とコクのバランスが絶妙で、喉を通ったあとにほのかな甘さが残る。


(……やっぱり、うまい)


 その沈黙を破ったのは、詩織さんだった。


「相変わらずですね、陽一さんのコーヒー。本当に美味しい……懐かしい味です」


「詩織さんにそう言ってもらえると嬉しいよ」


 陽一さんは目を細めて微笑む。


「お代わりもある。今日はゆっくりしていくといい」


 そのやり取りを見ていた春香さんが、ふっと表情を引き締めた。


「……それで、詩織」


 カップをテーブルに置き、まっすぐ詩織さんを見る。


「どうして、こんな時間にここへ? それもどうして――吉野くんと一緒に」


 その問いに、俺は思わず背筋を伸ばした。


 詩織さんは一瞬だけ視線を泳がせてから、あっさりと答えた。


「それはね、春香。あなた達を驚かせようと思って電車で来たのはいいけれど、スマホの電池が切れちゃって。ここに来るのは久しぶりで風景が変わってたものだから――」


 そう言って、ちらりと俺を見る。


「たまたま立ち寄ったコンビニで、とても親切なこの高校生に助けてもらったのよ」


「……それが吉野くん?」


「ええ」


 詩織さんは楽しそうに笑った。


「この子が桜井家の場所を知っているって言うから、お言葉に甘えて案内してもらったの」


「はぁ……」


 春香さんは大きく息を吐いた。


「相変わらず行動力だけで生きてるのね、あなた。おおよそ年収一千万円超のスーパーハウスキーパーとは思えないわ」


「春香に言われたくないけどね。でも、そうやって言われるのも久しぶりだわ」


 二人のやり取りを聞きながら、俺はそっとコーヒーに口をつける。


「それはね、春香」


 詩織さんは、カップを両手で包み込むように持ったまま、静かに言った。


「梅宮さんには先日話したことなんだけど……

 私、この春から東京で仕事を引き受けることになったの」


「東京で!?」

 春香さんが思わず声を上げる。

「ずいぶん急な話ね」


「話自体は、少し前から先方さんからいただいていたのよ。でも、最終的に“行く”って答えを出したのが、つい最近でね」


「……あなたの人生にとって、大きな選択だもの。無理はないわ」

 春香さんはそう言って、少しだけ表情を和らげた。

「悩んでいたのね?」


「ええ。それもあるけれど……」


 詩織さんは一度言葉を切り、視線をテーブルの上に落とす。


「梅宮さんから、時々あなた達のことを聞いていたの」


「え?」


「あなたたち家族が、あまり上手くいっていない時期があったって話。それに……そもそも、梅宮さんを春香に紹介したのも私だったでしょう? だから彼女のことも気になっていたし」


 その言葉に、桜井家の三人は思わず顔を見合わせた。


「……そうだったのね」


 春香さんが、ぽつりとつぶやく。


「でもね」

 詩織さんは、少しだけ明るい声で続けた。

「梅宮さん、こうも言ってたわ。最近の三人は、また仲良くなって……昔に戻ったみたいだって」


「……そうか」

 陽一さんが、深く息を吐いた。

「僕たちは、梅宮さんにもずいぶん心配をかけていたんだな」


「ええ。でも――」

 詩織さんは微笑んだ。

「梅宮さん自身も、もう十分立派よ。あの頃とは比べものにならないくらいにね」


 そう言ってから、ふとリビングの向こう側に視線を向ける。


「……そうでしょう?」


 一拍。


「梅宮さん」


 その声に、空気が変わった。


 視線の先。

 そこには、部屋から降りてきた梅宮さんが立っていた。

 そして、そのすぐ後ろに――松野さんの姿もある。


「いらしていたんですね」


 梅宮さんが続けて、穏やかに言う。


「“竹田さん”」


「え?」

「え?」


 同時に声を上げたのは、桜井さんと松野さんだった。


 ――そう。


 梅宮さんが言っていた“大切な人”。


 それはこの竹田詩織さんのことだったのだ。


(……やっぱり、か)


 俺は、心の中で小さく息を吐いた。

 コンビニのレジで、彼女の名刺を見た瞬間。

 あの時、俺も同じ反応をしていた。


 沈黙を破ったのは、梅宮さんだった。


「……竹田さん」


 声が、わずかに震えている。


「……本当にもう、行ってしまわれるんですね……」


 詩織さんは、少しだけ目を細めて――

 静かに、笑った。


「ええ」


 そして、はっきりと告げる。


「もう、心残りはなくなったもの」


 その言葉は、

 誰かを突き放すためでも、

 誰かを置いていくためでもなく。


 ちゃんと“区切りをつけた人”の声だった。



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