第76話 お約束のやつ
日曜日の昼下がり。
駅前のショッピングモールは、家族連れやカップルでいつにも増して混み合っていた。
吹き抜けの広いフロアはざわざわとした人の気配に満ちていて、普段あまりこういう場所には来ない俺は、ただでさえ落ち着かない。
前に来た時は瑞希、それに桜井さんと一緒だったよな。そんなに前のことじゃないのに、やけに懐かしく感じるな。
それにしても――
「ったく……瑞希のやつ……」
俺は人の流れに押されながら、慣れないモールの中をひとりで歩いていた。
「どうせホワイトデーのお返しを買い忘れるから、早めに買っときなさい……だとよ」
瑞希の言葉を思い出して、ため息をひとつ。
――確かに、反論できないところが悔しい。
実際問題、俺は“記念日”とか“イベントごと”とか、まるで頭に入ってこないタイプだ。去年のクリスマスイブだって、自分の誕生日を完全に忘れていた。
「まぁ……今年は確かに、沢山もらったしな……」
紙袋の重さを思い出す。
学校の後輩たち、クラスの女子、そして桐崎に汐乃。
そして――桜井さん。
思い出した瞬間、胸の奥がふっと熱くなるのを感じてしまい、思わず意識を逸らした。
(いやいや、落ち着け俺……)
自分に言い聞かせながら歩いていると、視界の端にホワイトデー特設コーナーが飛び込んできた。
棚いっぱいに並ぶ白・水色・薄いグレーのパッケージ。
バレンタインとは違う、ひんやりした色合いの甘い世界が広がっている。
「……うわ、種類多すぎだろ」
ホワイトデーって、チョコレートだけじゃなくて、こんなにバリエーションあるのかよ。
(どうすっかな……。まずは、大島さんの企画で配った“クラス全体へのお返し”だよな……。クラスの男子から資金も預かってるしな)
そんなことを考えながら特設コーナーを歩いていると、ふと視線の先に気になるものがあった。
レンガ調の壁と黒いアイアンの看板。
モールの一角に、落ち着いた雰囲気のカフェがテナントとして入っている。
その看板を見た瞬間、俺の足が止まった。それよりも俺の目を引いたのは、俺のバイト先のコンビニでもよく見る、とある商品のロゴ。
“SAKURA COFFEE”
そう、サクラコーヒーだ。
――つまり桜井さんのお父さんが立ち上げた、あのカフェチェーンの名前。
「ここにも入ってたのか……!」
思わず声が漏れる。
急に胸がざわついて、俺は吸い寄せられるように店の大きなガラス窓へ近づいた。
窓の向こうでは、日曜日の昼下がりらしく、家族連れやカップルが笑顔でコーヒーを飲んでいる。
紙ナプキンのロゴも、店員さんのエプロンも、俺が前に見た本店のものと同じデザインだった。
そして――その中に。
(え……)
いたのだ。
窓際の席に座るお客さん。その横顔を見た瞬間、俺は思わず身を乗り出した。
「あれ……梅宮さんじゃないか……?」
落ち着いた色のカーディガンに、控えめなアクセサリー。
クリスマスイブに見た“仕事中の姿”とは少し違う、穏やかで柔らかい“休日の顔”。
一瞬、他人の空似かと疑ったが――間違いない。梅宮さんだ。
ただ、窓の角度のせいで、彼女の“向かい側”に誰が座っているのかは見えない。
(いったい誰と来てるんだ……?
まさか――昨日、桜井さんが言ってた“大切な人”と……?)
胸がざわつく。
俺はつい、その答えを確かめるように、窓の横へスライドして覗き込もうとした。
――その時。
ドンッ!
「きゃあっ!!」
「わっ、す、すみません!」
横を見ずに動いたせいで、通路を歩いていた誰かに思いきりぶつかってしまった。
俺は慌てて謝り、その人の顔を見る。
「え?」
「あっ!」
そこで、俺も相手も同時に声を上げた。
そこにいたのは――
桜井澪だったのだ。
俺は地面に転がっていた黒いキャップを拾い上げ、彼女にそっと差し出した。
桜井さんは手を添えるように受け取り、体勢を立て直す。
「ご、ごめんね。ありがとう、大河くん。びっくりした……」
「いや、俺の方こそ。で、桜井さんこそどうして――」
そう言いかけて、俺はふと違和感に気づいた。
「……それに、その恰好」
彼女は最近では珍しく、黒ぶちの眼鏡をかけていた。
髪もいつもより落ち着いたアレンジで、服装もダークカラー主体のコーディネート。
普段の“柔らかい雰囲気の桜井澪”とは少し違う。
――それはまるで、
人混みに紛れるための変装みたいで。
……って変装?
「まさか桜井さん……」
俺が言いかけると、彼女の目が一瞬だけ泳いだ。
「え、えっと……その……」
耳まで赤くなっていく。
その反応だけで、ほぼ確信した。
「……尾行でもしてた?」
「ち、違うよ!? 尾行なんてしてないよ!!」
と、即答しながらも――
声が裏返っているし、目は明後日の方向を向いているし、動揺が隠しきれていない。
「あのね。あれから――梅宮さんが今日、ここで“大切な人”に会うって知ったの。
大河くんから聞いてたこともあって……どうしても気になっちゃって」
なるほど、そういうことか。
「でもさ……そんなガチめの変装する必要あった?
逆にめっちゃ目立ってるけど……」
「ええっ!? そ、そんな……!」
桜井さんは慌てたように、黒ぶちメガネを外し、マスクをずらして前髪を手ぐしで整えた。
その動きがやけに必死で――正直、ちょっと可愛……いや、なんでもない。
「うう……。こんなことなら、ちゃんとオシャレしてくるんだった……」
「桜井さん……?」
さっきまで驚いてばかりだった彼女の肩が、しゅんと落ちていた。
眼鏡を手に持ったまま、視線を床に落としてぼそっと言う。
「だって……。大河くんに、こんな変な姿、見られちゃうなんて……思ってなくて……」
語尾が小さく消えていく。
(……そんな理由かよ)
胸の奥が、なんか妙にくすぐったくなった。
俺たちがそんなふうにやり合っていた時だった。
ふと――桜井さんの視線が、カフェの窓ガラスへと吸い寄せられる。
「……あれ!? 大河くん!」
「ん?」
俺も反射的にそちらを見る。
――さっきまでいたテーブルに、梅宮さんの姿がない。
(あれ? いない……)
本当に、跡形もなくいない。
さっきまで確かに、窓際で紅茶を飲んでいたはずなのに。
「し、しまった……!
ってことは……」
桜井さんが青ざめる。
胸がざわりと鳴った、その時だった。
「あら、ひょっとして――吉野さん、ですか?」
……遅かった。
背中がびくっと跳ねる。
俺は、ゆっくりと――ゆっっくりと振り返った。
そこには、
オフ服で柔らかく微笑む梅宮さんが立っていた。
買い物袋を片手に下げている。
「まぁ、偶然ですね。こんなところでお会いするなんて。クリスマスイブ以来ですよね」
(お、おわった……!!)
隣で桜井さんも固まっている。




