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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第7章 運命のバレンタインデー編

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第69話 ハッピーバレンタイン!


 バタン。


 生徒会室の扉を閉めた瞬間、外の騒がしさがふっと遠のいた。


「ふぅ……。ここなら、さすがに静かかな」


 両腕いっぱいにチョコレートの入った紙袋を抱えたまま、俺はようやく息を吐いた。


 すると――奥から声がした。


「……なんだ、吉野くんか」


 先客がいたらしい。


 桐崎杏奈。

 彼女は自分の机に書類を広げ、赤ペンを走らせているところだった。


「桐崎さんかお疲れ。今日は“作業免除”って汐乃に言われてなかったっけ?」


「まぁね。でも落ち着かないから来たのよ」


 そっけなく言うが、集中している横顔はどこか楽しそうにも見える。


「……あ、言っとくけど手伝わなくていいから。君、このあと確かバイトだったでしょ?」


「あ、ああ。まぁでも一応、生徒会室には寄る予定だったけどな」


 桐崎はちらっと、俺が抱えている袋に視線を向け――

 またすぐ手元に戻した。


「……良かったわね」


「え?」


「その袋。チョコレートでしょ?」


「あ、ああ。まぁ、チョコは好きだし、正直すげぇ嬉しいよ。

 でも……みんな手紙までついててさ。一年前はこんなこと、考えられなかったのにな……」


 思わず言葉が漏れる。


 去年の自分は、人を避け、人から避けられ……

 こんな日が来るとは夢にも思わなかった。


 すると桐崎さんが、わずかに肩をすくめた。


「一年生の子たちからしたら――吉野くんの一年前のことなんて知らないだろうし。学力上位、生徒会副会長、そのうえ最近は“働き者”って評判みたいだし」


「そういうもんなのか?」

「そういうもんよ。少なくとも、今の君は十分“目立つ存在”になってる」

「……」

「もちろん、良い意味でね」


 そして桐崎さんはペンを置き、こちらをまっすぐ見た。


「それと、わかってると思うけど……ちゃんと真面目に向き合ってあげなさいよ。それを渡した子たちは、みんな真剣なんだろうから」


 その言葉は、思ったよりもずっと優しかった。


「……ああ、わかったよ」

「ならいいけど」


 桐崎は再び書類に視線を戻す。

 だけどさっきよりペンの動きがゆっくりだ。


 もしかして――心配してくれてるのか。


(……なんか、変な感じだな)


 去年の俺と、今の俺。

 そして――今の桐崎杏奈。


 それぞれが少しずつ変わって、こうして普通に話せている。


「俺はさ……桐崎、さんとも、こうして普通に話せて……なんか嬉しいけどな」


「え?」


 彼女はほんの一瞬、素の顔でこちらを見た。


 次の瞬間――

 カラン、と小さな音を立ててペンが床に落ちた。


「あっ……」


「あ、悪い。変なこと言ったなら――」


「ち、違うわよ!」


 やけに早口で否定しながら、彼女はしゃがんでペンを拾う。

 だが、耳の先までほんのり赤い。


「なによ急に……。そういうの言われると……ほら……困るっていうか……」


「え、いや。普通に思っただけで――」


「……ちょっと待ってて」


 桐崎は立ち上がると、なぜか鞄をゴソゴソと漁り始めた。


(な、なんだ……?)


 次の瞬間。


「はい」


 彼女は俺の目の前に、右手をぐいっと差し出してきた。


「え……な、なに?」


「……見ればわかるでしょ」


 掌には、小さくて四角い包み。


 淡いピンクの紙にリボンが巻かれた――チョコレート。


「え、これ……俺に?」


「……そ。文句ある?」


「いや、あるわけないけど……」


 言いながらも、胸のどこかがドクンと跳ねた。


 桐崎杏奈が、俺にチョコを?


 これまでの彼女の態度を思えば、これはどう考えても――予想外の展開だった。


「べ、別に深い意味はないわよ!?

 クラスの子たちに配ったやつの“追加”みたいなもんよ! ほら、吉野くんには副会長でお世話になってるし……その……」


 言うほどに、声がどんどん小さくなる。


 最後のほうは、ほとんど囁きだった。


「……嬉しくないなら返しなさい」


「いや、嬉しいよ。めちゃくちゃ嬉しいよ」


 俺がそう言うと、彼女はピタッと固まった。


 そして――ほんのわずか、目を逸らす。


「……なら、いいけど」


 その横顔は、さっきまでとは違っていた。


 強がっているのに、どこかほっとしているような。

 照れているのに、どこか安心しているような。


 ――そんな、不思議な表情だった。


「ありがとうな、桐崎……さん」


 包みを受け取りながら言うと、彼女はわずかに目を細めて、


「呼びにくいなら、呼び捨てでいいわよ。私も“吉野”って呼ぶし」


「……わかったよ、桐崎」


「うん。最初からそれで良かったのよ」


 その言葉はツンと強がっているようで、でもどこか柔らかかった。


 ――この日を境に、俺と桐崎の間にあった過去の遺恨は、ようやく完全に消えた。


 互いに言葉にしないけど、どちらも“許す”というより“受け入れる”という形で。


 ふと、生徒会室を見渡しながら言う。


「そういや……汐乃はどこにいるんだろ?」


「会長?」

 桐崎は書類を閉じ、呆れたように肩をすくめた。

「人気あるもの。女子からも男子からも。今頃、どこかでチョコレートの山に埋もれてるんじゃない?」


「あー……想像できるわ」



 * * *



 俺が自転車にチョコレートの山を括りつけ、

 人目を避けるように校舎裏からひっそり帰ろうとしていた、そのときだった。


「――大河!」


 突然、後ろから――というより上空から鋭い声が響いた。


「え?」


 振り向いた瞬間――


 ビュッ!


 後方、校舎の屋上から何かが飛んでくる。


「っと、あぶねっ!」


 思わずそれをキャッチした。


 手のひらには――

 俺がコンビニで何度もスキャンした覚えのある、ベルギー産のチョコレート。


「これって……?」


 顔を上げる。


 校舎屋上の淵。

 そこに腕を組んで立つ、長い髪を揺らした生徒会長――霞汐乃。


 風を追い抜くような声が落ちてきた。


「――ハッピーバレンタインだ、大河。ありがたく受け取るといい!」


(あいつ……投げ込み方式かよ……!)


 思わず笑いながら、俺も大声で返す。


「おう! サンキューな、汐乃!」


 すると彼女は、ふっと満足げに微笑み――

 そのまま屋上の縁から姿を消した。


「にしても……」


 俺は屋上を見上げながら、首をかしげた。


「汐乃があそこにいるってことは……

 いま、あいつへのチョコは誰が受け取ってるんだ……?」


 * * *


 体育館。


 そこでは――


 『霞汐乃へのバレンタインチョコレートはこちらでお預かりします』


 と書かれた手書きの看板を背負い、

 稲葉澄仁が、もはやチョコレート“受付担当”と化していた。


 その後ろには女子生徒だけでなく、男子生徒まで列をなしている。


「……会長……早く戻ってきてくださいよ……」


 稲葉のメガネの奥の瞳は、完全に死んでいた。


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