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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第7章 運命のバレンタインデー編

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第68話 モテ期・到来!


 ――二月十四日、朝。


 バレンタインデーだというだけで、教室の空気はいつもと少し違っていた。


 チャイムが鳴る十五分前。

 教室のあちこちでは、小さなざわめきが生まれていた。


 前の席の女子二人は、机の下で紙袋を見せ合っている。


「ねぇ見て、これ可愛くない?」

「うわ、いいじゃん! 誰に渡すの?」


 廊下からは、他クラスの女子が「こっちこっち」と誰かを呼ぶ声。

 ホームルーム前の教室なのに、どこか落ち着かない。

 黒板の上には冬の光が差し込み、いつもよりほんの少しだけ明るく見えた。


 男子は男子で落ち着かず、無駄に机に突っ伏したり、やたらとスマホを見たりしている。

 普段騒がしい連中まで静かだ。

 全体が“そわそわしている”というのが一番近い。


(バレンタインって、こんな空気になるもんなのか……)


 その時だった。


「――なぁ、大河」


 後ろの席から、低めの声が落ちてきた。


 橘海斗の声だった。

 机をトントンと指で叩きながら、いつもより少しだけニヤけている。


「お前さ……今日はどうなんだ?」


「どうなんだってなにがだよ」


「いや、決まってんだろ。チョコだよ、チョコ」


 小声なのに、妙に響く。

 周りに聞かれないようにしてるくせに、テンションは隠せていない。


「うちの学校ってさ……毎年わりと盛り上がるんだよな」

 ほら、今年も朝から袋持ってる子ちらほらいるし」


「そうか……?」


「“そうか”じゃねぇよ。お前、今年はワンチャンあるんじゃねぇの? 副会長だし」


「副会長とチョコは関係ねぇだろ」


「関係あるって。なんか知らんけど、役職つくとモテるんだよ、学生って。小学生だったら足が速かったりドッジボールが強いとモテるだろ?」


(そんなバカな……)


 橘は席に肘を置き、ひそひそ声で続ける。


「で? 桜井さんとはどうなんだよ」

「な、なんでそこで桜井さんの名前が出てくるんだよ……!」

「いや、普通出てくるだろ。お前、桜井さんとは妙に仲良いじゃん」

「え? 橘にはそう見えるのか?」

「お前、自覚ないのかよ……」


 ――確かにこの数か月で桜井さんとは随分と仲良くなった気がする。コンビニでの時間、そして学校での時間でも。


(……もしかしたら、義理チョコくらい渡してくれるのか、なんて)


 そんな期待がほんの少しだけ、胸の奥でうずいた。


 橘はその表情を見逃さなかったようで、


「お? 顔に出てんぞ大河。

 お前さ、そういうの隠すのヘタだよな」


「ほっとけ。チョコレートなんていくらあったって困らないなって思っただけだよ」


 俺は小さく咳払いしながら視線をそらした。


「あー、大河はチョコ好きだもんなー」


 窓の外はよく晴れた冬の朝。

 バレンタインデーというだけで、なんてことない日常が少し違って見える。


 その日の授業中。


 斜め右前の席には、桜井さんの姿が見えている。


 彼女は――昨年のクリスマス以降、本当に変わった。


 瑞希の“変身術”みたいな力で外見ががらりと変わったのもあるし、家族関係が元に戻ったことで、内面まで柔らかく明るくなった。

 いや、もしかするとこれが“戻った姿”であって、これまでが仮の姿だったのかもしれない。


 以前はいつも眠そうにしていた教室での彼女はもういない。

 声が大きいわけじゃない。行動が派手というわけでもない。


 なのに――彼女がそこにいるだけで、クラスの空気が少しだけ明るくなるのがわかる。


(……すげぇよな)


 そんなことをぼんやり考えながら、気づけば俺は彼女の横顔を眺めていた。


 その瞬間――


 桜井さんが、ふいに振り返った。


 目が合った。


(やべ……! 絶対今のバレたよな)


 反射的に視線をそらす。

 同時に、桜井さんも小さく肩を揺らして目を逸らした。


 わずかに頬が赤かった、気がする。


(……いや、気のせいか?)



 * * *



 キーンコーンカーンコーン――。


 チャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気がふわりと浮き立った。

 昨日の全校集会でも説明された通り、今年のバレンタインは“市販品のみ持ち込み可”“放課後以降の受け渡しのみ許可”“校内での飲食は禁止”というルールに落ち着いた。


 そのせいか、放課後に切り替わった瞬間の教室には、どこか――甘い匂いが漂うような気さえした。


(さて……今日はこのあとバイトだし、早めに準備しないとな)


 生徒会執行部に所属するようになってからはアルバイトの開始時間を少し遅らせてはいるが。


 鞄に教科書をしまい始めたその時――


 スマホが震えた。


 画面に浮かんだ名前を見て、思わず心臓が跳ねる。


『枝垂 渚』


(な、渚先輩!?)


 ゆっくりと画面を開くと、メッセージと写真が一枚送られてきていた。


『久しぶり大河!

 今、友達と卒業旅行に来てるから、今年はチョコはあげられないけど……

 もう今の大河ならいっぱいもらえるでしょ? 心配してないよ!

 てかイタリア最高!!』


 文面からは、あの明るくてまっすぐな声がそのまま聞こえてくる気がした。


 添付された写真には、女友達と笑い合っている渚先輩の姿。

 背景には――あの有名なヴェネツィアの水辺。


「……気を遣わせちゃったなあ」


 そうつぶやきながら、渚先輩が送ってきた写真をもう一度タップした。


 画面いっぱいに広がったのは――

 雲ひとつない青い空を映す、ヴェネツィアの大運河。


 太陽の光を受けてきらめく水面は、透き通ったエメラルド色に近く、その上をゆっくりと進む黒いゴンドラの影が、すっと伸びている。


 ゴンドラの先端に座る渚先輩は、白いブラウスに薄いベージュのカーディガン。

 海風を受ける髪を押さえながら、こちらに向けて楽しそうに笑っていた。きっと友達が撮影したものなのだろう。


(……綺麗だな)


 素直にそう思った。

 胸の奥が少しだけ痛くなる。でも、それはもう刺すような痛みじゃない。


(渚先輩……ほんとにどんどん前に進む人だ)


 写真から伝わってくる“遠くへ行ってしまった人”の空気に、少しだけ切なくなりつつも――不思議と、俺も前を向ける気がした。


(俺も……負けてらんねぇよな。でも先輩、俺なんかチョコレートをいっぱいはもらえませんよ)


 青空の下で笑う渚先輩を見て、自然とそう思えた。


「おーい、吉野くん!」


 現実に引き戻したのは、突然声を張ったクラス委員――大島彩花だった。彼女は急遽、生徒会執行部に入った俺の代わりにクラス委員を代わってくれた。


「うわ、びっくりした……大島さんか」


「なにぼーっとしてるの? はい、これ! ハッピーバレンタイン!」


 にっこり笑った大島さんが、大きな紙袋から包み紙のついた丸いチョコを取り出して差し出す。


 大島さんは持ち前のコミュ力で、クラスの女子有志をまとめ上げ、

 “全員にチョコを配る”という、みんなが平和になる方式を提案して実行した張本人だ。


「ああ。ありがとう、大島さん……それから、みんなも」


 俺は受け取りながら、横に並んだ女子たちへも軽く頭を下げた。


 その中には――桜井さんの姿もあった。


 視線が重なった一瞬、

 桜井さんはほんの少しだけ目を細めて微笑んだ。

 俺も黙って、軽くうなずき返す。


 俺の後ろでは、橘が明るい声でチョコを受け取っていた。


「ありがとな! みんな! 俺、こういうのめっちゃ嬉しいんだよ!」


 橘のテンションにつられて、周りの男子も笑う。


 ――こういう方式なら、もらえなくて落ち込むやつもいない。


 その代わり、ホワイトデーには俺たち男子が同じことをやらなきゃならないだろうけど……。


(……まぁ、たぶん俺が中心になる流れなんだろうな)


 苦笑しつつ、俺はそっと丸いチョコを机の上に置いた。


 とはいえ、みんなに笑顔でチョコレートがもらえるというのはやっぱり嬉しいものだ。


 そうこうしているうちに――

 なんだか教室の外がざわつき始めた。


 廊下から、ひそひそ声と足音が混ざり合って聞こえてくる。

 クラス内の空気も、さっきまでとは違う。

 大島さん達のチョコ配りも一段落したというのに、なぜかみんなそわそわして落ち着かない。


(……なんだ? 事件か?)


 気になって視線を廊下へ向けると――


 見慣れない女子生徒が数人、うちの教室の前に立っていた。


(他のクラスの女子かな……いや違う。あの子達は一年生だ)


 うちの高校は男子はネクタイの色、女子はリボンの色で学年ごとに色が違う。

 しかも、みんな妙に緊張した顔をしていて……胸の前で何かを握りしめている。


(え、ちょっと待て……これは、もしかして)


 廊下に並んだ十数人の女子たちのそのうちの一人が、入口近くにいた女子へそっと声をかけた。


「あの……こ、このクラスにいる吉野先輩に……その、用があって来たんですけど……」


 俺の耳が、勝手に音を拾った。


(ま、まじか?)


 俺はこの瞬間、橘どころが男子全員からのなんだかよくわからないプレッシャーを感じていた。


 ざわっ。


 教室中が一斉に騒ぎ出す。


「まさかみんな吉野目当てなのか?」

「おいおい、あの子めっちゃ可愛いぞ!」

「吉野くんてモテるんだ!」

「なんで一年生の女子が……?」


 廊下にいる数人の女子たちはみんな、俺を探しているらしい。


 そして彼女らのその手には――

 色とりどりの小さな包み紙。

 緊張で赤くなった頬。

 ちらちら俺の席をのぞく視線。


(も、もしかしなくても……あれはバレンタインの……?)


 喉が変な音を立てたその瞬間。


「吉野ぉぉおお!! お前……お前まさか本当にモテ期きてんのか!?!?」


 後ろから橘が叫んだ。


 ……教室が、一気に騒がしくなる。

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