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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第5章 ソメイヨシノ散る。編

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第52話 私が彼にできること

 

 二月一日 朝。


 鏡の前で、私はそっと前髪を整えた。

 寝癖は、くせっ毛が少しだけはねているけど……大丈夫。

 制服のリボンは、まっすぐ。


 いつものような朝――のはずなのに、

 胸の奥だけは、どうしても落ち着かない。


 スマホの画面には、昨夜のラインのメッセージ履歴。


 “吉野大河”


『じゃあ、今日言ってくる。』

『うん。大河くんならできるよ。いってらっしゃい。』 既読


 ――このあと、ふたりはどうなったんだろう。


 分からない。


 大河くんのことも、渚さんのことも大好きで。

 ふたりの幸せを応援したい、そう思ってる。

 でも、それでも胸がざわざわするのは……きっと私が弱いからだ。


 階段のほうから、お母さんの声が聞こえた。


「澪ー、梅宮さんが作ってくれた朝ご飯、冷めちゃうわよー!」

「はーい! 今行くー!」


 返事だけは元気にして、私はコートと鞄、それからマフラーを手に取る。


 “大河くんの気持ち、ちゃんと伝えてあげて”


 自分で言ったことなのに。


(……今日、学校で顔を合わせたら、どんな顔すればいいんだろう)


 そのとき、ラインの新着通知が表示された。


 送信者は“枝垂渚”


「渚さんからのメッセージ!? ……なんだろう」


 タップして開く。


『澪ちゃん、後は頼んだ!』


挿絵(By みてみん)


 そのメッセージのすぐ下には、今流行りのうさぎのキャラクターのスタンプ。

 ぴょこんと跳ねる明るいスタンプと“よろしゅう!の文字”。


(……え? どういうこと?)


 意味を掴みきれずに画面を見つめていると、再びラインが震えた。


 発信者は“吉野瑞希”


「瑞希ちゃん!?」


 私は慌てて通話ボタンをタップする。


『澪さん、お久しぶりです!』


「久しぶり、瑞希ちゃん! こんな早くにどうしたの?」


『はい、ちょっと……お兄ちゃんのことで聞きたくって』


「大河くんが? どうかしたの?」


『えぇっ、澪さん! いつのまにお兄ちゃんのこと名前呼びに!? ……って、それはまた今度にしましょう!』


「え、う、うん……?」


『お兄ちゃんってば、昨日帰ってきてから様子が変で。いや……いつも変ではあるんだけど』


「変?」


『うん、だってね……今までだったら帰ってきたらすぐ机に向かって勉強漬けだったのに、昨日はゲームしてたんだよ!』


「げ、ゲーム?」


『まあ高校生なら“普通”って言えば普通なんだけど、お兄ちゃんはここ最近はずっと“普通”じゃなかったからね!?』


「う、うん……」


『それにね、今朝なんて! 私が起きたら、もうお兄ちゃん起きてて、キッチンで朝ご飯作ってくれてたんだよ!』


「え……!」


『……まぁ、それ自体はありがたいんだけどね?』


「う、うん」


『でも本人に聞いても視線を合わせてくれないし……。澪さんなら何か知ってるかなーって思って、お電話したんです!』


 渚さんのさっきのメッセージ。

 そして瑞希ちゃんが話してくれた“大河くんの今朝”。


 ――もしかして。


 胸の奥がきゅっとなった。


 私はひと呼吸おいて、受話器に向かって言った。


「瑞希ちゃん、心配しないで。私が……話を聞いてみるね」


『ほんとですか! ありがとうございます! なんだかちょっと不安で。兄がお世話をおかけします!』


「ううん。それじゃあ瑞希ちゃんも、学校まで気をつけて行ってね」


『はいっ!』


 通話が切れる。


 スマホをそっと胸に抱えた。


 ――行こう。学校に。


 * * *


 教室。


「おはよう、大河くん」


 窓際の席。

 彼は机に肘をついて、ぼんやり外を眺めていた。


 私の声に、ワンテンポ遅れて振り向く。


「あ、桜井か。……おはよう。今日は早いな」


「もう、大河くん。今日は私と大河くんの日直の日でしょ?」


「あ、え……そうだったか? ごめん、見落としてた……」


 大河くんらしくない。


 いつもなら彼のほうから私に話しかけてくるのに。


 私は彼の机の正面に立ち、ゆっくりしゃがんで目線を合わせた。


「大河く――」


 私が言おうとした、その瞬間。


 彼のほうが先に、ぽつりと口を開いた。


「……俺、振られちまった……」


「……え……」


「わかってたんだ。こうなること。覚悟してたつもりだった。

 でも……いざ本当にそうなると、やっぱり、辛いな」


「……大河くん」


 大河くんがうつむいたまま、弱々しい声で言葉を落とした、その直後だった。


「おーい吉野ォ!!」

「よ! 副会長!」

「サインしてくれよ副会長!!」


 ――ガタガタッ!


 男子数人が勢いよく教室の後ろから走ってくる。


「う、うわっ……なんだよ急に」


「いやいや! 全校集会見たぞ? 吉野すげーじゃん!!」

「お前がまさか生徒会って! お前が副会長って! どこのパラレルワールドだよ!」

「なぁなぁ、汐乃様と並んでた吉野、めっちゃ様になってたぞ?」


 わいわい、がやがや。


 一気に彼の周りに輪ができる。


 私はその輪から距離をとらざるを得なかった。


 さっきまで沈んでいた空気が、容赦なく吹き飛ばされていく。


 赤い顔で頭を掻きながら、大河くんは無理やり笑ってみせた。


「いや……やめろよ。ほんとに。朝からテンション高いな、お前ら……」


「お前が言うかよ副会長!」

「なぁなぁ、今度生徒会室案内してくれよ!」

「お前らもいつも通り元気だな……」


 男子たちは勝手に騒ぎ、勝手に盛り上がり、勝手に去っていく。


「……はぁ。ったくまぁ、いつまでも落ち込んでもいられないよな。副会長としてもしっかりしないといけないし」


 彼はひとつ小さく息を吐いた。


 さっき見せた弱い表情は、もうどこにもなかった。

 だけど無理に作った笑顔の奥――残っている痛みを私は見逃さない。


「……うん、そうだね」


 * * *


 ――放課後。


 キーンコーンカーンコーン


 チャイムが鳴り終わり、教室はゆっくりと静かになっていく。


 昼間あれほど騒がしかった生徒たちの声も、もう遠くの廊下に吸い込まれていった。


「日直の仕事、やっちゃおっか」

「おう」


 私たちはそれぞれ慣れた手つきで作業を始める。


 黒板消しをクリーナーにかけながら、粉まみれの手を払った。


 大河くんは、教壇の棚からチョークの箱を取り出し、足りない色を一本ずつ並べて補充していく。


 カツ、カツ、と白いチョークが木箱に落ちる音。


 廊下から差し込む夕方の光が、その横顔を静かに照らしていた。


「……はい、黒板は終わりだね。私、学級日誌書いちゃうね」

「わかった。じゃあ、モップは俺がやる」


 彼はモップを教室の後ろから前へ、ゆっくりと滑らせるように動かす。

 床をこする音と、ノートにペンを走らせる音だけが、広い教室に響いた。


 大河くんは、この居心地の悪かった私の世界に一筋の光をくれた人。


 その背中は、昨日とどこか違って――少し小さく見えた。


 今日一日、ずっと大河くんを見ていたけれど……散々だった。


 たとえば数学の時間。

 先生が急に難問を指名してきたのに、いつもなら迷いなく答えるはずの大河くんが――


「すみません、ちょっと……わかりません」


 なんて珍しく肩を落として言うものだから、逆に先生のほうが申し訳なさそうにしていた。


 お昼のお弁当はもっとひどかった。

 大河くんが作ったらしい二段弁当は――両方、真っ白な白米だけ。


 おかずゼロ。


 つまり同時刻に瑞希ちゃんは、おかずだけの二段弁当を広げていたはず(可哀想だけど、白いご飯だけよりかはマシかな?)


 そしてお昼の生徒会の作業。

 普段なら誰よりも早く仕事を覚えるのに、今日は珍しくミスが続いて……。


『副会長。今日のところは休みなさい』


 あの霞さんが気を遣うほどにダメダメだった。


(……あとなによりも)


 言わなかったけど、右足と左足の靴下、色が違うよ……大河くん!


 いつも自分のことも周りのこともちゃんと見ている彼が、ここまでボロボロになるなんて。


(……頑張ったんだね、大河くん)


 渚さん。瑞希ちゃん。

 どうしたら大河くんを励ませるんだろう。


 私だからできること。

 私にしかできないこと。


 ――ひとつしかない。


「ねぇ、今日は大河くんバイトだっけ?」


 モップを止めた彼が顔を上げた。


「ん? ああ。だから生徒会にはいけないな、悪いな。ま、今日の調子じゃああそこに行っても邪魔になるだけだけど」


「ううん。気にしないで」


 時間よ進め。


 あの夜の時間よ、私に力をください。



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