第45話 彼女が俺を選んだ理由
「――吉野大河。君に我々、生徒会執行部の副会長になってもらいたい」
教室の空気が、一気に止まった。
そして次の瞬間、ざわつきが爆発した。
「し、汐乃様から直々のスカウト!?」「えぐ……副会長だって!?」「なんで吉野!?」「心臓止まるって……」
あちこちで男女問わずひそひそ、ざわざわと声が上がる。
後ろの席では橘が机に顔を伏せ、笑いを堪えて肩を震わせていた。
(橘……お前、他人事だと思って面白がってるだろ……)
視線を横に向けると、桜井さんが両手で口を覆いながら、固まっている。
対して霞は、周囲のざわめきを一切気にしない。
まるで当然のことのように、すっと右手を俺へ差し出してきた。
「私たちと一緒に来てくれ。君を歓迎しよう」
差し出された手は綺麗で、白くて、迷いがなかった。
――けれど。
「せっかくだけど、やめとくよ」
静寂。
次の一秒がやけに長かった。
「……今なんと?」
「いや、だからやめとくよ。せっかくのお誘いだけど、俺じゃ力不足だよ」
霞 汐乃の余裕のある表情が、初めてわずかに揺れた。
キラキラとした周囲の期待と好奇の視線とは対照的に、彼女はひどく冷静だ。
「……君は、断ったのか? この私の誘いを?」
「そ、そうだけど。え、これって任意なんだよな?」
「もちろん。せめて理由を聞いても?」
「今年は受験もあるし、知ってると思うけど俺はアルバイトもさせてもらってる身だし。何より生徒会って柄じゃないしな。俺よりもっと適任がいると思うし」
「受験があるのは理解する。アルバイトの件は今は置いておこう。しかし“柄じゃない”とはどういう意味だ?」
「たぶん俺、そういう人前に立って取りまとめるタイプじゃないし。そんな褒められたりする器でもないしさ」
「器をどう測るかは、本人が決めることではない」
霞さんは一歩、俺に近づいた。
真っすぐ俺を見て、静かに言い放つ。
「君はどうやら自分を過小評価しているようだな」
「……え?」
「直近の学期末テストは学年三位。全科目安定して高得点。更にはクラス委員を自ら進んで引き受けて、週三、四回のアルバイトをも両立させている。それは並大抵のことではない」
「生徒会には探偵でもいるのかよ……」
「副会長のポジションは、決していい加減に決めるものではないということは、私が一番良く理解している。勧誘する相手のことはある程度調べて当然だ。持ち前の空気を読む力もあるし、人の相談に乗る資質もある。
もっと言えば周囲が君を中心に置いているのに、本人だけがそれに気づいていない」
「いや、いやいやいや……そんな大した人間じゃ――」
「大した人間だ」
霞さんは断言した。
その言葉は鋭く、けれど不思議と冷たくなかった。続けて、静かに言う。
「各方面から集めた情報によると、君は一年のころはテストの点数も芳しくなく、素行や態度も良くなかったようだな。君が自分をどこか過小評価しているのは、その過去のせいか?」
(どこまで調べてんだこの人……そして鋭い)
俺は、まだあのころの自分が、自分の中に残っていることを知っている。だからこそ、胸の奥がざわついた。
「そこまで分かってるんなら、なおさら俺を誘わなくてもいいはずだ。他にも完璧な人間は山ほどいる」
「……私は生徒会長に就任してからのこの一ケ月間、約一年間を共にする生徒会のメンバーを本気で集めていた。この稲葉会計、そしてここにはいないが書記に相応しい者も既に決定している。だが――副会長だけは中々見つからなかった」
そうか。
生徒会執行部のメンバーは、生徒会長以外はすべて生徒会長による指名で決まるんだったな。
「完璧な人間など、この世にはいない。だが、それを顧みて自らが求める“完璧”に近づこうと努力する人間こそが、他者に求められる存在になる。それが、私が前任の生徒会長から学んだことだ」
「……」
「不完全な人間が、それでも完全であろうと努力する姿勢を持つ。そのような人間こそ――私が求める生徒会のメンバーに相応しい。私にとってはそれが君だったというだけのことだよ」
彼女の目に、嘘はなかった。
だけど、俺の中では別の答えが浮かんでいた。
「……よくわかった。でも、それなら、俺じゃない人の方が向いてると思う」
「誰だ?」
霞さんの問いに、自然と横を向いた。
「――この桜井澪さんだよ」
まさに名前を呼ばれた本人が、驚きと困惑の混じった瞳で、固まったまま俺を見つめていた。
教室中が再びどよめきに包まれる。
「え、わ、わたし!?」
桜井さんは思わず声を上げた。
霞汐乃に向き直る。
「桜井さんは真面目だし、誠実だし、人のために動ける人だ。霞さん、俺のことをそこまで調べてたのなら当然、一学期までの彼女と今の彼女の変化のことくらい気づいてるだろ?」
「吉野くん……」
「だから俺より、桜井さんを推薦するよ」




