第44話 新たな花 ver.2
昼下がりの教室。
冬の陽射しがカーテンの隙間から差し込んで、黒板に淡く反射している。
キーンコーンカーンコーン♪
チャイムの音が鳴り終わると同時に、ざわざわとした雑談が戻ってくる。
(俺の気持ちを……伝える、か)
授業が終わっているのにも関わらず、ノートの上に手を置いたまま、俺はぼんやりと天井を見上げていた。
渚先輩への想いを伝える――あの夜、そう決めたはずなのに、現実になると途端に怖くなる。
俺は本当に、あの人の前でちゃんと話せるのか……? そもそもいつ、どこで、どうやって?
俺の脳内ではそんなことが何度も何度も繰り返されていた。
目の前には数学の教科書が開かれており、そこには由緒正しい完璧な公式が印字されている。しかし、こと“恋愛”という科目においては、そんな公式は存在しない。
「はぁ」
ため息をついた瞬間、隣から声がした。
「吉野くん、また難しい顔してる」
顔を上げると、桜井さんが俺の机の隣に立って微笑んでいた。
「え、ああ……まぁな。この数学の問題が難しくってさ」
桜井さんはふっと笑って言った。
「これ、全部正解してるよ? 吉野くんって結構嘘が顔に出るよね」
「む。……鋭いな」
「悩んでるの。渚さんのことだよね」
「まぁな」
「答えは出そう?」
「桜井さんのおかげで告白することは決まったけど、肝心のその先がな」
彼女は一瞬瞳を閉じて考えていたかと思ったら、すぐに目を開けて笑顔を作って言った。
――ん、作って?
「そんなの簡単――」
桜井さんがなにか言いかけたその時だった。
ガラッ。
「――失礼します」
休み時間の教室のドアが勢いよく開いた。
何気ない雑談でざわついていた空気が、一瞬で張りつめる。
「え、うそ……あれって!」
「去年末に新しく就任した――」
誰かが小声でつぶやく。
次の瞬間、教室の入り口に現れた二人の生徒に、みんなの視線が吸い寄せられた。
どちらも左腕に赤い腕章。
その文字にははっきりと「生徒会」と書かれている。
前を歩く女子生徒が、まっすぐこちらへと歩いてくる。その一歩後ろを眼鏡の男子生徒が姿勢よくついていく。
黒のローファーの靴音が床を一定のリズムで打ち、教室の喧騒をゆっくりと消していく。
その堂々とした歩き方、姿勢、そして目線――。
まるで「空気」を自分の支配下に置いているようだった。
その彼女が俺の机の前でぴたりと止まった。
「え?」
静まり返る教室に、整った声が響く。
「二年A組の吉野大河だな。今日は君に用があってきた」
俺の目の前にいたのは――
光沢のある長い黒髪。渚先輩よりも長いか。それを毛先で束ねている。
整った前髪の隙間からのぞく瞳は、まっすぐに人を射抜くような強さがあった。
まつ毛が長く、微笑んではいるがどこか近寄りがたい。
制服の襟も袖もきちんと整えられていて、その立ち姿は生徒手帳に記載された女子生徒の完璧な「模範」そのものだった。
当然のように俺に言い放った彼女に、思わず聞き返してしまった。
「えっと……どちら様でしょうか?」
その一言に、彼女の眉がぴくりと動いた。
腕を組み、冷ややかな視線をこちらに向けてくる。
その瞬間、俺の後ろで桜井さんが慌てて小声で耳打ちしてきた。
「吉野くん! この人は去年の生徒会選挙で正式に生徒会長になった霞 汐乃さんだよ!」
「霞……?」
どこかで聞いたような――そう思った瞬間、記憶がつながる。
「あ、そうか! 学期末テストでいつも一位の名前だ! そうか、生徒会長になってたのか」
左腕の赤い腕章が目に入る。
――『生徒会長』。
その霞 汐乃は、軽く咳払いをして俺を見た。
「まさかこの学校にいて、生徒会選挙に当選した人間を知らない者がいるとは……」
「そりゃ悪かったな。それにそんな選挙、いつあったっけ?」
後ろの桜井さんに振り向くと、彼女が首を傾げながらも答える。
「えーっと、去年の十一月ごろだったかなぁ」
霞汐乃は呆れたように小さくため息をつき、隣のシルバーの眼鏡が光る男子生徒に声をかけた。
「稲葉会計。吉野大河が誰に投票したか、すぐ確認して」
「承知しました、会長」
生徒会の腕章をつけた男子――稲葉が、手にしたタブレット端末を素早く操作する。
「二年A組、吉野大河。第二十五回生徒会執行部選出選挙の投票履歴は――なし、です」
「は?」
霞がタブレットを覗き込み、目を瞬かせた。
そのとき、桜井さんがぽんっと手を打った。
「そういえば、ちょうどその日、吉野くん風邪ひいて休んでたよね!」
「あ、そうだ! だから投票した記憶がなかったのか!」
「うん。その日のうちに投票から開票まで終わったから、知らなくても無理ないと思うよ」
俺と桜井さんは一件落着とばかりにうなずき合った。
……が、霞汐乃はまったく納得していない顔だった。
「なるほど。君は学校内でも特例で放課後の活動を免除されていると聞く。
つまり、候補者が演説していた放課後の時間帯のこともよく知らない、ということか」
「まぁ、話だけは聞いてましたけどね。あの時期はテストも近かったし、寝不足で必死でしたから。
もし気を悪くしたのなら、謝るよ。ええっと、霞さん?」
「いや、いい」
霞さんは首を振り、すっと姿勢を正した。
「本題に入ろう」
「はぁ」
「――吉野大河。君に我々、生徒会執行部の副会長になってもらいたい」
教室の空気が、一気に止まった。
俺は桜井さんと顔を見合わせる。
そして――
「えぇ!?」




