第37話 吉と出るか凶と出るか
境内の奥へ進むにつれて、人のざわめきがゆるやかに広がっていった。
参拝客たちが列をなし、鈴の音とともに「パン、パン」という柏手の音が冬の空気に響く。
どこからか香の匂いが漂ってきて、鼻の奥をくすぐった。
線香のやさしい煙が風に乗って流れ、陽に照らされて白く揺れている。
「うわぁ、結構にぎわってるねー」
渚先輩が楽しげに声を上げる。
その隣で、桜井さんが小さくうなずいた。
「はい、私もそう思います」
俺もその空気を胸いっぱいに吸い込む。
「たしかに。年明けたって実感があるなー。そういや桜井さん、ご両親からの返信はあった?」
「あ、うん。境内でおみくじ引いてるってラインで送ったから、多分こっちに向かってると思うよ」
「そうか」
やがて、おみくじの売り場にたどり着いた。
白い息を吐きながら列に並ぶ三人。
少し向こうでは、参拝客たちが、引いたおみくじを木の枝に結びつけている。
「じゃあ、せっかくだし順番に引こうか!」
渚先輩が嬉しそうに財布から小銭を取り出した。
「はい!」
桜井さんも先輩に続いて投入口に硬貨を落とし、巫女さんの案内に従って箱の中の棒を引き抜く。
「何番だった?」
「えっと……三十九番です」
「私は五十五番!」
「はい。どうぞ」
巫女さんが笑顔で二人に紙を手渡す。
「じゃ、最後は大河だね」
「はい」
そして最後に俺も筒を振る。
ジャラジャラと音を立てて振ると、中から棒が出てくる。
番号は十六。
「はい。十六番のおみくじです」
「ありがとうございます」
三人とも引き終わった。
「さぁて、結果発表だね! いくよー、せーのっ!」
三人同時に紙を開く。
「おっ……私は――」
渚先輩が目を輝かせる。
「大吉!」
「おお……! すげぇ!」
「ふふっ、当然でしょ? えーっと“新しい道が開ける。未知の世界を恐れず進め”だって」
「今の先輩にぴったりじゃないですか」
「ほんとにねー。大河と澪ちゃんは?」
「俺は……中吉」
「私も……中吉」
思わず、二人で顔を見合わせてしまう。
「あはは、なんだかぱっとしないね」
「だな。別に悪くはないんだけど、なんかこうアレだな」
「うん。でも……」
「ん?」
桜井さんは少しの間をおいて言った。
「吉野くんと……その……おそろいで良かった」
桜井さんの新年の初笑い。
「あ、ああ――。だな」
不覚にも見入ってしまった。
橘や大島も言うように、桜井さんはこの数か月で見た目も中身も随分と変わった。一学期には俺の席の目の前に座っていたのにほとんど印象に残っていなかったというのに。
そんな桜井さんおみくじの紙には、淡い文字でこう書かれているのが見えた。
――“努力実る。焦らず、今を大切に”
「大河ってば、東大を目指してるんでしょ? なんて書いてあったの?」
渚先輩が、興味津々といった顔で俺の手元をのぞき込む。
「えーっと……」
俺はおみくじを少し広げて読み上げた。
――“想いは届かずとも、心を磨く光となる。道はまだ半ば。焦らず歩めば、春の風に恵まれん”
……想いは届かずとも。
なんだろう、この妙にリアルな文面。
思わず渚先輩の顔をちらりと見てしまう。
「ま、まぁ――来年があるってことで!」
渚先輩が苦笑しながら軽く肩を叩いてきた。
「ちょ、勝手に落とさないでください! 直近の模試でもギリギリA判定出てるんですから!」
「あはは、ごめんごめん!」
* * *
俺達は引いたおみくじを各々に読み終わった。
「じゃあ、引き終わったし戻りますか? 先輩はバイトがありますし、桜井さんもご両親の所にいかないといけないだろうし」
渚先輩と、桜井さんがうなずいた。
俺たちは石段をゆっくりと下りていく。
ざく、ざく、と靴底が雪を踏む音だけが響く。
――その時だった。
階段を下りきった先、
人混みの中を正面から歩いてくる一人の男に――俺は釘づけになった。
息が止まる。
視界が狭まっていく。
(……親父)
喉の奥がひゅっと鳴った。
全身が凍りつくような寒気と、反対に心臓の奥だけが熱くなる感覚。
体温が急激に上がっていくのがわかる。
黒のロングコート。
見慣れた歩き方。
そして、その隣に――若い女性。
ふたりは並んで笑っていた。
白い息を交わしながら、まるで“何もなかった”みたいに。
頭の中が真っ白になった。
胸の奥から、何かがこみ上げてくる。
泣いている母と瑞希の記憶が蘇る。
(ふざけんなよ……)
声にならない言葉が喉の奥で揺れた。
握りしめた拳が、かすかに震えている。
「大河!」
渚先輩が俺の両肩を掴んだ。
その瞬間、ぐらぐらと揺れていた視界が少しだけ戻る。
「どうしたの? 目が怖いよ!」
「……親父……」
「え?」
「親父が、あそこに……」
声が震えていた。
胸の奥で、何か熱いものが暴れている。
渚先輩が息を呑んだあと、すぐに言葉を返した。
「――っ。気持ちはわかるけど、落ち着いて大河」
「……でも、先輩……」
「いいから、落ち着きなさい!」
短い声だったけど、その一言が鋭く響いた。
その声に、ようやく息を吸い込むことができた。
「……は、はい……」
俺はゆっくりと拳をほどく。
指先がまだ小刻みに震えている。
その少し後ろで、桜井さんが立ちすくんでいた。
俺と渚先輩のやり取りを見て、何も言えずに――
ただ、心配そうに俺を見つめていた。
「吉野くん……」




