第36話 青春トライアングル
人混みの中で、渚先輩の声に振り返った俺は、目を見開く。
「えっ……桜井さん!?」
少し離れたところに、ピンクのマフラーに顔をうずめた桜井さんが立っていた。
驚いたように俺達を見ている。
(あれ。桜井さんのこの表情は初めて見るな……)
「澪ちゃんも来てたんだ!」
渚先輩が明るい声を上げる。
「あ、はい。家族で来てて……たまたまお母さんが吉野くんの姿を見つけたから、挨拶してきなさいって言われて」
「そうだったのか」
先輩は年長者らしい笑顔を浮かべて、すぐに言葉を返した。
「新年、あけましておめでとう。今年もあと少しだけどよろしくね。――ほら、大河も」
「あ、はい! 今年もよろしくな、桜井さん」
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
桜井さんは慌てながらも、丁寧に頭を下げた。
その仕草がなんだか初々しくて、思わず俺も笑ってしまう。
「それにしても、家族そろってこうやって初詣に来れるまでになったんだな。本当に良かった」
桜井さんは嬉しそうに目を細めてうなずく。
「うん。それもこれも全部、あのクリスマスイブの吉野くんのおかげ。本当に……ありがとう!」
「そんな、大したことは……」
口ではそう言いながらも、脳裏に浮かぶのは――
クリスマスの夜、サンタクロースの格好で人の家に突撃してクラッカーをぶち鳴らした自分の姿。
(……うーん、冷静に考えると、あれは結構大したことだったかもしれない)
思わず頬をかいた俺に、渚先輩が笑いをこらえながら肘で軽くつついてくる。
「やるじゃん大河!」
「ま、まぁクラスメイトが困ってたわけですからね……クラス委員長としてはですね――」
「あー、はいはい」
桜井さんはいつもより控えめに笑っていた。
彼女は続けて、少し言いにくそうに口を開いた。
「あ、あの……お二人は、えっと……その、二人で来たんですか?」
その質問に、俺と渚先輩は顔を見合わせた。
なんとも言えない間が流れる――
「あー、そうだね」
渚先輩が言った。
「澪ちゃんにも改めて話すとね、私、四月から東京で社会人なの。引っ越しと卒業旅行を考えると、あと少ししかここにいられないからさ」
「そう、だから見納めにこの神社の初詣に付き合ってくれって、ついさっき言われてさ」
「いいじゃん、付き合ってくれても。珍しく大河が午前シフトだったんだし」
桜井さんが瞬きをして――ほんの少し、表情を緩めた。
「そ、そっか……。吉野くん、朝からバイトだったんだ。……そっか」
なにか、安堵したようにも見えた。
渚先輩がそれに気づいたのか、にやりと笑って言う。
「あ、もしかして澪ちゃん……。安心して。私と大河は付き合ってるわけじゃないから」
「――――!!」
俺と桜井さん、同時に固まった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ先輩!? なんでいきなりなに言って!?」
「え? だってそうじゃん?」
「いや、そうですけども!」
俺が慌ててフォローに回る。
「桜井さん、あのー、気にしないで。先輩ってこうやってたまに変なこと言い出すから!」
「あ、う、うん! そうなんだ!」
桜井さんも慌てて手を振って返す。
「ひどーい!」
渚先輩がふくれっ面をして、俺の頭をがしがしと撫で回した。
いつものことだ。
そう。いつものこと――
「ちょっ、やめてくださいよ!!」
「うりうり!」
「ちょ! 先輩!」
そんな俺たちのやり取りを見て、桜井さんがふいに吹き出した。
「あははは! 二人とも……面白い!」
笑う彼女の横顔は、さっきまでよりずっと柔らかかった。
きっと渚先輩はどこか桜井さんの様子がぎこちないことを察知してたんだと思う。
だから、こうなることをわかってあえて空気を崩した上で俺の髪をいじったんだ。
枝垂渚――
コンビニでアルバイトをする中でお客さん、従業員を問わず人間関係でのトラブルというものはつきものだ。そんな中でこの人は、こういう時いつも場を丸くしてしまう。いとも簡単に。
――こんな人になりたい。
俺は一年前にそう思ったんだ。
東大に進学したい――
そう思うようになったのは、この人と、この人が行く東京という地に強く憧れを持ったからなのだと思う。
柔らかな空気が戻ってきた。
そんなタイミングで、渚先輩がふと手を叩いた。
「ねぇ二人とも、この神社の奥にあるおみくじ知ってる? インスタで“願い事が叶う”って有名なんだよ。せっかくだし、みんなで行かない?」
「おみくじですか?」
俺が髪を整えながら聞き返す。
「そう。ちょっとした恋みくじもあるらしいよ?」
「まぁ、俺は構いませんよ。桜井さんは親さんとか大丈夫?」
「うん! 私も一緒に行く、行きたい!」
桜井さんが顔を明るくしてうなずく。
「よーし決まり! じゃあ行こっか!」
俺と桜井さんは顔を見合わせて、並んでそのあとに続いた。
境内の奥へと続く石畳は、雪が溶けてところどころ濡れている。
白い息を吐きながら歩く三人の靴音が、石畳に響いた。
木々の間から差し込む冬の陽光が、雪の名残をきらきらと照らしている。
「なんか……いいな、こういうの」
「だな。なんか正月っぽいよな」
俺が返すと、渚先輩がくるりと振り返り、いたずらっぽく笑った。
「でしょ? ほら、大河。こういうのを“青春”って言うんだよ」
「あー、店長が良く言うやつですね」
「そうそう! もっと楽しみなよ二人とも!」
「ふふっ」
桜井さんが笑った。
“青春”
それは青い春と書く。
俺と桜井さんはもう少し学生生活が続くけれど、渚先輩はそうではない。これからは社会人生活が始まるのだ。
それはどんな気持ちなんだろう。
寂しいのかな。うん、寂しいんだろうな。
怖いのかな。うん、もちろん怖いだろう。
いや――
渚先輩の楽しそうな横顔を見て思い直した。
それだけじゃない。
確かに寂しさはあるんだろう。
怖さもあるんだろう。
でも、それ以上にきっとワクワクしてるんだ。
自分自身の未来に――
そう感じている限り、渚先輩はずっと笑顔でいてくれるはずだ。




