表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第3章 突撃のメリークリスマス編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/82

第31話 家族団らん


 ナイフとフォークの小さな音が、静かなリビングに響いていた。


 先ほどまで張り詰めていた空気が、少しずつやわらかく溶けていく。


 テーブルの上には、ローストチキンの香ばしい匂いと、グラタンの湯気。


挿絵(By みてみん)


 外の雪が静かに降り続く音が、どこか遠くに聞こえていた。


(……俺、なんでここに座ってるんだろうな)


 家族のテーブルの端で、俺はちょっと居心地の悪さを覚えながらも、梅宮さんが別途用意してくれたナイフとフォークを手に取った。


「どうぞ、吉野さん」

「あ、はいありがとうございます」


 皿の上には、桜井さん――澪が作った料理が並んでいる。

 見た目からして本格的だ。香りも、食欲を刺激する。


 意を決して、ひと口。


「……お、おいしい」


 思わず声が漏れた。

 フォークを置いて顔を上げると、澪が心配そうにこちらを見ていた。


「ほ、ほんとに?」

「ああ、ほんと。めちゃくちゃうまいよ、これ」


 彼女の顔がパッと明るくなる。

「よかった……! うれしい!」


 そのやり取りを見ていた陽一が、微笑を浮かべてフォークを手に取った。

 春香も、少し迷いながら同じように皿に手を伸ばす。


「……うむ。美味しいよ、澪」

「本当ね。私なんかよりずっと上手。……あなた、こんなに料理ができたのね」


 澪は照れくさそうに笑って、指先で髪をいじった。


「えへへ……あのね、実は前から、梅宮さんに色々教えてもらってて。

 時間があるときに一緒に練習してたの」


 梅宮が嬉しそうにうなずく。

「お嬢様はとても覚えが早くていらっしゃいます。私のほうが勉強させてもらいましたよ」


 春香が小さく目を見開いた。

 その表情に、少しだけ“母の顔”が戻っているように見えた。


 グラタンの表面がほんのり湯気を上げる。

 食卓の上には、ナイフとフォークが奏でる穏やかな音。

 それだけが、しんとした家の中に響いていた。


 陽一が、ふと手を止める。

 懐かしむように、どこか遠くを見る目で口を開いた。


「なぁ、春香、澪。……そういえば昔、三人で“SAKURA COFFEE”の最初の店を出した頃も、こんなふうに一緒に食べたな」


 その言葉に、春香の動きが止まる。

 しばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「ええ。……あの頃はまだ、夢ばかり見てたわね」


 そう言う春香の表情は、少しだけ柔らかかった。

 過去の記憶に触れた瞬間、肩の力が抜けたようにも見える。


 澪がフォークを持ったまま、うれしそうにうなずく。


「うん。あの時は楽しかった」


「澪……」


 春香が娘の名前を、まるで何年ぶりかのように優しく呼んだ。

 その声に澪が顔を上げ、目が合う。


 ほんの一瞬、親子の間に温かな空気が流れた。


「そういえば……こうやって家族で食事なんて、どれくらいぶりかしら」

 春香がつぶやく。

 その声は、寂しさと安堵が混じっていた。


「そうだな……」

 陽一がうなずく。

 フォークを置き、ワインのグラスを軽く持ち上げた。

 その指先がわずかに震えていたのを、俺は見逃さなかった。


 陽一が、ワイングラスを軽く掲げた。グラスの中の赤が、キャンドルの光を受けてやわらかく揺れる。


「せっかくだ。久しぶりに……家族で乾杯しよう」


 その一言に、澪が嬉しそうに顔を上げた。

「うん!」


 春香も少し戸惑いながらも、静かにグラスを取る。

 その仕草が、どこかぎこちないのに優しかった。


「ほら、吉野くんも! 松野さんも、梅宮さんも!」

 澪が明るく笑って、テーブルの端を見回す。


「遠慮することはないよ」

 陽一がにこやかに言う。


「では、私と梅宮はお茶で」

「はい。吉野さんの分もすぐお持ちしますね」


 梅宮が手際よくポットから湯を注ぎ、透明なカップを六つ並べる。

 その湯気が、ふんわりと白く立ちのぼった。


「じゃあ――」

 陽一が声を整える。

「今夜の再会と、家族のクリスマスに。乾杯」


 六人のグラスが、やわらかな音を立てて触れ合った。


 笑顔がこぼれ、空気が少しだけ軽くなる。


 フォークの音、皿の擦れる音、そして控えめな笑い声。

 その全部が、久しくこの家にはなかった“音”だったのだろう。桜井さんの見たこともないような楽しそうな表情がそれを物語っていた。


 ――そして、しばらくの間、誰もがその食卓を素直に楽しんだ。


 ふと、春香がグラスを置いて、澪の顔をじっと見た。


「……澪。あなた、少し雰囲気が変わったわね」


 澪が驚いたように瞬きをする。

「え、そうかな?」


「うん。なんていうか、前よりずっと……明るくなった」

 春香の声は穏やかで、母親らしい温度を帯びていた。


 陽一も笑みを浮かべてうなずく。

「確かに。眼鏡を外したのか? 髪も短くなったね。大人っぽくなったよ」


「えへへ……コンタクトにしたの。髪は、ちょっと気分転換で」


「似合ってるわ」

 春香の言葉に、澪がぱっと笑う。


 そのやり取りを、俺は黙って見ていた。

 つい数時間前まで冷え切っていた家に、今は小さなぬくもりが戻っている。


(――よかった。ほんとに)


 外ではまだ雪が降り続いている。

 けれど、このリビングの光だけは、どこよりも暖かく見えた。


 それはたぶん、“家族の灯り”というやつだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ