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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第1章 夜のコンビニのあの子編

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第2話 昼のあの子と夜のあの子


「おかしいね。お互い、ずっとすれ違い続けてたなんて」


「確かに。桜井さんの右手のそれを見なかったら、たぶん今もわかんなかったよ」


 シフトを終えたあと、私服に着替えた俺は、店の外のベンチに座る桜井さんと話をしていた。


「これでわかったんだ? よく見てるんだね」


 コンビニの外の白熱灯には、小さな虫たちが集まっていた。駐車場では、仕事帰りのサラリーマンが何十分かおきに車を停めては帰っていく。


「まぁな」


 学校で会う彼女とは違って、夜の彼女はどこか力が抜けていて、俺も不思議と話しやすかった。


 彼女はベンチに座り直し、缶を傾ける。白い喉が静かに動いた。

 空になった缶を膝の上に置くと、夜空を仰いだまま口を開いた。


「私ね、夜って落ち着くの。家にいると勉強ばかりで、息が詰まるから。ここに来ると、やっと呼吸できる気がするの」


「……呼吸?」


「あ、えっとね。うちの両親、ううん、特にお母さんがしつけに厳しいの。学校では“優等生”でいなきゃいけないって。だから夜くらいは、本来の自分でいたくて……ここに来てるの」


 確かに夜というのは不思議だ。


 こうやって面と向かって話すのがほとんど初めてといってもいい俺達を、自然に話すことができるような空気を作ってくれる。


「そうなんだ。いつもそのブラックコーヒーを買ってるよな?」


「これ? 苦ーいコーヒーを飲んでると、なんだか大人になったみたいで」


 はにかんだ笑顔は、学校では見せない表情だった。

 

「そうか」


 昼間の眠そうな彼女とは違う。

 夜の桜井澪は自由で、素直で、少し背伸びをしている。


「吉野くんは……学校でも勉強がんばってるよね? 一年の時からテストの順位に名前が載ってるし、クラス委員だし」


「え? ああ、まぁな。

 俺、母子家庭でさ。母親に心配かけたくないんだ。それに進学もしたいから内申点も稼いどかないとね」


「えらいなぁ。私なんて、机に向かってても勉強が頭に入らなくて。だから、休憩の合間にこうやってコーヒーを飲んで、ごまかしてるの」


 空缶を指で転がしながら笑う桜井さん。


 俺は心の中でつぶやく。


 昼と夜、どっちが本当の彼女なんだろう。


 いや、きっと――どちらも桜井澪なのだ。


「……だからね、吉野くん。今の私のことは秘密にしておいてくれる?」


「え?」


「今の私は、夜だけの私にしておきたいの。それに、お母さんにこんなことしてるってバレたら、怒られちゃうもん」


 胸の奥にざらつくものを感じた。


 けれど、彼女の願いを壊したくなくて――。


「……ああ。分かった」


 その言葉を口にした瞬間、彼女の表情が少し和らぐ。



 * * *



 朝の昇降口の空気が、ほんの少しだけ冷たい。


「おはよー!」

「あ、おはよ!」

 他の生徒たちの挨拶の声が飛び交う。


 昨日の夜のことを思い出すと、胸の奥がくすぐったいような、気まずいような感覚が同時にやってくる。


 夜のコンビニで交わした言葉が、まだ頭のどこかで反響していた。


 教室に入ると、彼女はすでに席に座っていた。


 髪を後ろで結び、黒縁の眼鏡。夜とは別人みたいに“きちんとしている”。

 ただやっぱり、どこか眠そうではある。


 俺はいつも通りに、自分の席へ鞄を置いた。


 ホームルーム前、プリントを配る当番が休みなのに気づき、職員室へ取りに行く。


 戻る途中、廊下でばったり彼女と鉢合わせた。


「あ、桜井さん。おはよう」


「あ、うん、吉野くんもおはよう。半分、運ぶの手伝うよ」


「そんな悪いよ。それにそんなに重くないし」


「そっか」


 明るい場所で、昼の彼女と向き合うと少し照れくさく感じてしまう。勢いで彼女の好意を断ってしまった。

 だが俺以上に、彼女もそう感じているのか、すぐに視線を逸らした。


(なんか気まずいか?)


 歩きながら、とりあえず会話を繋ぐことにした。


「昨日は……どうも。そういや眼鏡なしで帰り道、ちゃんと帰れた?」


「うん。歩きなれた道だから大丈夫」


 夜の姿を知ってしまったせいか、今の彼女を見ると脳が混乱する。


 そして急に距離が遠のいた気がした。


 彼女が先に口を開く。


「その……学校では、今まで通りでいい?」


「ああ、もちろん。昨日の約束だから」


 それで俺達の会話は終わった。


 互いにパーソナルスペースにぐいっと踏み込むタイプじゃない。

 二言三言のやりとりで、十分だったのだ。


 席に戻ると、後ろの席の男子が肘で俺の背中を小突いた。


 クラスメイトの橘海斗(たちばなかいと)だ。彼とは一年生の時から一緒の顔なじみなのだ。


「おやおや~、お前にしちゃ珍しいじゃん。桜井さんとなに喋ってたんだ?」


「世間話だよ。まぁ、クラス委員として当然だな」


「よく言うよ。なんか、雰囲気よかったけど?」


「なに言ってんだ、めちゃくちゃ距離感あったろ」


 軽く受け流すと、橘はにやにや笑いを残して窓の方へ視線を戻した。


 午前の授業が始まった。


 俺はいつも通りノートを取り、黒板を書き写す。それでも時々、右前の彼女に視線が向かってしまう。

 

 視界の端に、小さくあくびを漏らす桜井澪の姿。昼の彼女は、夜の彼女とはまるで違う。真面目で、静かで、そして眠たそうだ。


(同じ人、なんだよな)


 そう思うたびに、頭の中で二つの姿が重なり、また離れる。


 一日は、それ以上の会話もなく過ぎた。


 ――キーンコーンカーンコーン


 放課後。


 俺は自転車で店へ向かう。


 青いエプロンの紐を結び、打刻器にタイムカードを差し込んだ。


「吉野くん、今日は納品多いから、先にドリンクの品出し頼むね」


「はい、わかりました」



  * * *



 つい時計を見上げる。針の位置を確認しては、また手を動かす。たぶん三分に一回は見ている。


 その時だった。


「ソワソワしてると、作業は遅くなるよ」


 背後で店長が笑った。


「びっくりした……。すみません、気をつけます」


 やがて夕方のお客さんの波が落ち着いていった。夜が深まり、サラリーマンが数人、暖かいお弁当を受け取っては店を出ていく。


 自動ドアが閉まって、また開く。

 

 ~♪


「いらっしゃいませ」

 そう言いながら、俺は静かに目を見開いた。


 そして。


 グレーのスウェット。白いスニーカー。片耳イヤホン。下ろした髪。前髪が少しだけ目にかかっている。

 ――夜の桜井澪だ。


「あ……」

 声にならない息が漏れる。


 彼女はいつものようにドリンクコーナーへ向かい、缶のブラックコーヒーを一本手に取った。

 今日は文具棚の前では立ち止まらない。ノートもシャープペンシルの替え芯もいらないらしい。


「お願いします」


 レジに缶を置く右手の甲に、赤いボールペンの細い文字が見えた。


『英語 p.56 宿題』


 ピ!


「シールで大丈夫……ですよね?」


「うん。……大丈夫、です」


 思わずため口が出そうになったのを、咄嗟に切り替えた。


 それは彼女も同じだった。


 澄んだ声。それも前回と同じ。


 金額を告げると、彼女は小銭を出してレシートを受け取り、小さく会釈。

 それからガラス越しに見えるベンチへ向かった。


(もしかしたら、もう来ないかと思ってたけど)


 俺は会計を終えると、店内の様子を見ながらレジ台の角を布で拭く。


 ガラスに映るベンチの輪郭。


 彼女は缶のプルタブをそっと起こし、夜風を一口吸うようにコーヒーを飲んでいる。


(行くか、行かないか)


 悩むほどのことでもない。


 休憩に入るタイミングを見計らい、店長にひと声かけた。


「店長、お客様もいないし、ちょっと外を掃いてきます」


「うん。行ってらっしゃい」


 自動ドアを抜けると、少し冷たい空気が頬に触れた。

 コンビニの看板の明かりが、ベンチの縁を薄く照らしている。


「こんばんは」


「あ……こんばんは」


 俺は箒を手に掃除をしながら言った。


「今日も息抜きか?」


「うん。ちょっと疲れちゃって」


 彼女は缶を傾け、また一口飲んだ。


 横顔のラインは、学校で見る横顔と同じはずなのに、気のせいか少し柔らかく見える。


「相変わらずそのブラックコーヒーなんだな」


「うん。苦いんだけど、なんかこう……スイッチみたいなものかな。目が覚めるというか、落ち着くというか」


「確かに、そういうのってあるよな」


「それにね――」


「ん?」


「ううん。なんでもない」


 彼女はふわっと笑った。


 眼鏡越しの彼女とは違う、自然な笑顔。


 柔らかいコンビニの明かりに照らされたその表情は、今でも忘れられない。


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