第28話 トナカイと黒いソリに乗って
時刻は二十一時半を少し過ぎた頃だった。
外の雪は相変わらず降り続き、駐車場の白さが街灯に照らされてぼんやりと光っている。
「吉野くん、お疲れさま!」
店長がバックヤードの方から顔を出し、満足げに手を叩いた。
「なんとか日を跨ぐ前にはケーキ、全部売り切ったね」
「はい。渚先輩のおかげです」
「大河もよく頑張ったよ」
「じゃあ俺、そろそろ上がりますね」
「うん。気をつけて帰ってね」
店長と渚先輩に挨拶をして、バックヤードへ向かおうとした――その時だった。
「ねぇ二人とも……あれ、見て」
渚先輩がガラス越しに、駐車場を見つめていた
その視線の先には、黒く艶のある車が一台。
「もしかして、あれ……いつも澪ちゃんを送迎しに来る車じゃない?」
俺も思わず振り向く。
確かに、見覚えのある黒いセダン――渚先輩の言う通りだった。
次の瞬間、運転席のドアが開き、スーツ姿の男性が雪を踏みしめながらこちらへ歩いてくる。
「どうしたんだろう……?」
思わずつぶやくと、渚先輩も驚いた顔をした。
こんな時間に、しかも彼が店に入るなんて初めてだ。
~♪
店のドアが開き、軽快なBGMが鳴る。
車越しに見ていた時と同じ、落ち着いた物腰の男性。
だが今日は、どこか慌ただしく、それでも瞳には迷いのない真剣な光が宿っていた。
「吉野大河くんだね? 急で申し訳ない。少し、話を聞いて欲しい」
その呼びかけに、俺は思わず姿勢を正した。
「はい……どうしたんですか?」
「私は今、桜井家に住み込みで働いています。春香社長――つまり、澪お嬢様のお母様の秘書の松野といいます」
「あ、はい。今日はどうされたんですか?」
「今、その社長のご自宅で少々、困ったことが起きています」
渚先輩と俺が顔を見合わせる。
「困ったこと?」
松野さんは短くうなずいた。
「澪お嬢様のご両親、春香様と陽一様が今夜そろって帰宅される予定なのですが……」
「それはいいことじゃないですか。桜井さんもきっと喜ぶと思います」
「それ自体はそうなのですが、少し厄介な事情がありまして」
「厄介、ですか」
「はい。私は元々、澪お嬢様の父親の陽一様と仕事の関係でしたが、そのご紹介で春香社長の秘書になりました。
どちらのお人柄も、そして境遇もよく知っているからこそ、今日ここに来たのです。おそらく、今の状態のお二人が今夜あのご自宅で顔を合わせれば……きっと良くないことになります」
「え……」
胸の奥がざわついた。
「うまく説明できなくて申し訳ない。ですが雇われている私には、その場をどうすることもできません。しかし――」
彼の目がまっすぐに俺を捉える。
「私は、あのご家族に良い関係でいてほしいと願っています。澪お嬢様が少しでも笑える場所を、失いたくないんです。
だからこそ、この状況を打開できるのは……君しかいないと思い、ここへ来ました」
「俺が……?」
「はい。私と一緒に来てはいただけませんか?」
渚先輩の声が、そっと背中を押した。
「大河、どうする?」
俺はしばらく黙っていたが。
「……行く。それしかない。俺に何ができるかはわからないけど」
「だよね」
「ありがとうございます。では早速」
松野さんがうなずくと、すぐに踵を返した。
「私の車に乗ってください。案内します」
その時、店の奥から店長が出てきた。
手には、白い箱。
「吉野くん、これを持っていくんだ」
「これは……?」
「僕の家用に予約してたケーキさ。でも今の君には、きっとこれが必要だろう。なんせ、今日はクリスマスイブなんだから」
「店長……ありがとうございます!」
俺は箱を受け取り、深く頭を下げた。
渚先輩が帽子を軽く上げて笑う。
「行ってらっしゃい、サンタくん。澪ちゃんの笑顔、取り戻してあげなよ」
俺は笑ってうなずくと、松野さんの後を追って外へ出た。
* * *
黒い車の助手席に乗り込むと、松野さんが静かにエンジンをかけた。
ワイパーが雪を払い、ヘッドライトが夜の住宅街を照らし出す。
車が動き出して、坂道を上っていく。
フロントガラスに映る街の明かりが、少しずつ遠ざかっていった。
「……なんで、俺を?」
松野さんはハンドルを握ったまま、穏やかな声で答えた。
「普段から澪お嬢様の送迎をしているのは私です。あの子はよく身の回りの出来事を私に話してくれる。
学校のこと、ここでのこと――そして、君のことも」
「俺の?」
「ええ。君のことを話すときのあの子は、いつも嬉しそうでした。なかなか我々にも心のうちを明かさない彼女がです。
だから今日、私が頼れるのは君しかいないと判断したんです。もちろん、賭けのようなものですが」
俺は膝の上のケーキの箱を見つめた。
その箱についたピンクのリボンを、その箱についたピンクのリボンを、無意識に指先でなぞった。
(……俺が、行くんだ)




