第24話 本音はやっぱりあの場所で
時は冬休み前の朝。
教室は、どこか浮ついた空気に包まれていた。
プレゼントは何にするとか、どこのイルミネーションが綺麗だとか、そんな話題があちこちで弾んでいる。
そのざわめきの中心で、桜井さんが目立っていた。
髪は肩の上でさらりと揺れる長さに切られて、前髪も少し短い。コンタクトレンズに変えた彼女は眼鏡はしていない。
笑ったときに見えるその目元が、前よりずっと明るい。みんなの言う通り、たしかに印象が変わった。
「桜井さん、なんか雰囲気変わったよな」
「急に垢抜けたっていうか……」
周囲のひそひそ声が耳に入る。俺はノートをめくる手を止めた。
(桜井さんが変わったのは、たしかだ。――でも、それが“良い変化”だけとは限らない)
キーンコーンカーンコーン――
チャイムが鳴って、短い休み時間。
プリントを職員室へ持っていく用事で廊下に出たとき、前方で立ち話をする三人が目に入った。
桜井さんと、他クラスの男子が二人。
ふたりとも軽そうな笑い方で、スマホを掲げている。
「さ、電話番号教えてよ」
「ラインのアカウント交換でもいいし、どっちでも。ね?」
桜井さんは困ったように笑って、視線を泳がせた。
――こういう言葉をかけられ慣れていない、彼女のそんな戸惑いが表情に滲む。
足が勝手に前に出た。
「おいおい、君達。休み時間に不純異性交遊はいかんなぁ」
わざとらしく咳払いして、ふたりの間に割り込む。
「吉野くん!」
男子の片方が露骨に顔をしかめた。
「なんだよ、お前には関係ねぇだろ?」
「そうそう。俺ら別に――」
「いーや、おおいに関係がある。俺はこの人と同じクラスのクラス委員だからな」
プリント束を胸のあたりで持ち上げる。
男子たちは顔を見合わせて、肩をすくめた。
「……おい、めんどくせぇし、行こうぜ」
「はいはい。じゃ、またね桜井さん」
手をひらひら振りながら、足早に去っていく。
廊下に冷たい風が通り抜け、残ったのは俺と桜井さんだけだった。
「ふぅ、助かった。ありがとう……吉野くん」
「ったく、ああいうやつらのあしらい方も、これからは覚えていかないとな」
「うん……そうだね」
近くで見ると、髪を切ったせいか頬のラインがよく見える。明るくなった印象の裏で、目の奥だけがほんの少し疲れていた。
俺はプリントの角を揃えながら、言い直す。
「えーっと、それとクラス委員として……いや、これはクラスメイトとして聞くけど」
「うん?」
「今日は上の空じゃないか? なにかあったのか?」
桜井さんは、一拍だけ間を置いて、柔らかく笑った。
作り物の笑顔じゃない。けれど、どこか無理が混じる笑い方。
「なんでもないよ」
そう言うと、胸の前でそっと髪を整える仕草をした。
新しい髪型に触れながら、指先が少しだけ震えているのが見えたのは――俺の気のせいだろうか。
(変わりたい、っていう気持ち。わかる。だけど、なんだろう、どこか彼女からは焦りを感じる)
窓の外では、冬の陽が白く鈍く光っていた。
昼休み。弁当のふたを開けた途端、前の席の大島さんが身を乗り出していた。
「やっぱ、澪っち、最近キラキラしてるよね〜! 髪切ったの正解すぎ」
「わかる。教室の空気すら、ちょっと変わった感じあるよな」
橘海斗もうなずく。
当の桜井さんは「そうかな」と笑って、箸で整った形の卵焼きを割った。
その笑顔は柔らかいのに、どこか遠い。ピントがひとつ奥にずれてるみたいだ。
コンビニで見る時の桜井さんの笑顔と微妙に違う。俺には、いや、多分俺だけしかそれはわからないんだろう。
「ねぇねぇ、みんな! 前言ってた冬休みの勉強会だけど、みんなこれそう?」
それに橘が続く。
「もちろん俺は行けるぜ! な、大河?」
「あぁ、俺は別に構わないけど……桜井さんは大丈夫なの?」
「うーん、わかんない。……ちょっと予定が詰まってて。ちょっと家族に相談してみるね」
「あー、澪っちは習い事とか家庭教師とか色々やってるんだもんねー。でも冬休みの一日くらいなんとかなるといいのにね」
「うん……」
(そういや、“これから学校でやりたいことをお母さんと話す”って言ってたっけ。もしかしてそのことか? いやもしかしたらもっと別の……)
チャイムの五分前。
弁当と移動した机を元に戻しながら、俺は教卓へ向かう。
担任に頼まれたプリントの束を受け取って、列ごとに配っていく。
「はい、前から回して——」
最後の列。桜井さんの机の横で、束の角を揃えながら声を落とした。
「なぁ、今日の夜……コンビニ、来ないか?」
「え」
「息抜きにさ。うちに新しいブラックコーヒーが入荷したんだよ」
我ながら不器用な誘い方だ。けれど、理由を並べすぎると、かえって重くなる。
「……うん。わかった」
(もし彼女の悩みの種が家のことなら、俺にできるのは大したことじゃない。けど——)
――あの夜のコンビニなら。
あの時間の俺と彼女なら。
言えないことのひとつくらいは、言葉になるかもしれない。




