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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第2章 アンバランスな三角関係編

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第21話 開花

 

 瑞希に言われるがままに、俺はショッピングモールの中央広場までやって来ていた。


 時間は十五時五十五分。


 中央にある大きな噴水の前のベンチに腰を下ろし、スマホを眺めながらため息をつく。


「ったく……瑞希のやつ、いったいなんのつもりなんだよ」


 買い物客たちの楽し気なざわめきが、吹き抜けの天井に反響している。

 子どもたちの笑い声、アナウンスの音、出店の店員の声。日曜日のモールはいつもより賑やかで、人の流れも絶えなかった。


 ――それにしても。


 約束の時間はもうすぐだが、ふたりの姿はどこにも見えない。まさか瑞希のやつ、俺をからかうためだけに呼び出したとか……。


 そんなことを考えていたときだった。


「吉野くん!」


 後ろから、自分の名前を呼ぶ声。桜井さんの声であることはわかった。


 反射的に顔を上げ、振り向いた瞬間――俺は息を飲んだ。


「さ、桜井さん……?」


 そこに立っていたのは、確かに桜井澪だった。


 けれど、どこかが違う。昨日までの彼女とは、まるで印象が変わっていた。


 背中まであった髪は少し短くなり、肩のあたりで軽く跳ねている。


 前髪も短くなって、眼鏡をかけていないから目元と眉がくっきりと見える。なにより彼女自身の表情が柔らかく、どこか明るい。


 太陽の光に反射する白のニットにピンクの花柄刺繍のスカート――シンプルなのに、どこか華やかで大人びて見えた。


「お待たせ!」


 彼女はそう言って微笑む。その笑顔に、思わず言葉を失う。


 桜井さん、こんなに……。なんというか別人みたいだ。


 胸の奥で、静かに鼓動が跳ねた。


 見た目の変化だけじゃない。彼女自身の雰囲気――空気そのものが、前とはまるで違って見えた。


「どうしたの、吉野くん?」


「ど、どうしたって……桜井さん、なんか……雰囲気が全然違うから驚いたというか」


「へ、変かな……?」


 桜井さんは少しだけ不安そうに、耳の横の髪を指でつまんだ。


「あ、いや――」


 そうか。彼女は“変わった”のではなく、“変わろうとしている”んだ。


 一年前の俺のように。

 

 俺は慌てて首を振った。


 いつものように適当な言葉で誤魔化そうとしたけれど、それだけはやめた。


 だって、この全身コーディネートが瑞希の仕掛けだろうがなんだろうが――


 こうして桜井さんが自分の殻を破ろうとしている、その勇気を笑うことなんてできなかった。


 むしろ、ちゃんと俺の本音を伝えなきゃいけない。そう思った。


「桜井さん」


「な、なに?」


 彼女の瞳が、まっすぐ俺を見た。

 その視線の中に、少しだけ戸惑いと、ほんの少しの期待が混じっているのがわかる。


 俺は息を吸い込んで、心のままに言葉を口にした。


「……めちゃくちゃ似合ってる。その、すごく……可愛いと思う。うん」


「っ!」


 一瞬、彼女の時間が止まったようだった。


 桜井さんは目を丸くしたあと、ふわっと表情をほどかせた。

 頬が赤く染まり、やがて――あの、夜のコンビニで見るような自然な笑顔を浮かべる。


「……ありがとう、吉野くん」


 それは、柔らかくて、まっすぐで。見ているだけで胸の奥がじんわり温かくなる笑顔だった。


 きっとこの笑顔を見せられるようになったのは、外見の変化なんかじゃない。


 自分を少しでも変えようとした、その“勇気”の証だ。



 * * *



「そういえば桜井さん、眼鏡なくて平気なの?」


「うん。美容室で着替えさせてもらったあと、瑞希ちゃんの予備のコンタクトをつけてるの。ちょっとまだ慣れないし、つけるのも大変だったけどね」


「そっか、あいつ確かワンデータイプだったな。でも度数、合わないんじゃ?」


「うん……。でも瑞希ちゃんが“どうしてもお兄ちゃんを驚かせたいから”って」


「……あいつめ。完全に仕組んでたな」


 思わず苦笑する。


「で、肝心の瑞希はどこ行ったんだ?」


「うーん、『あとは二人でデートを楽しんできていいよ』って言ってたかな」


「……デート?」


 思わず聞き返した俺に、桜井さんははっとして顔を赤くする。

 自分の口から出た単語の意味に気づいたらしい。


「ち、違っ……! そ、そういう意味じゃなくてっ! えっと、瑞希ちゃんが、そう言ってたってだけで!」


「いや、俺は別に責めてないって。落ち着いて、桜井さん」


 それでも桜井さんは頬を真っ赤にしながら、両手で顔を覆った。


「……もう、瑞希ちゃんのせいで変なこと言っちゃったじゃない」


 その声が小さくて、思わず笑いそうになる。こんなふうに表情を崩す桜井さんを見るのは、初めてかもしれない。


「まぁ、でも瑞希のことだ。こんな俺達を見ずに帰るなんてことは絶対にない。そう、どこかでニヤニヤしながら見てるに決まってる」


「え、見てるって……?」


「たぶん、あの辺――」


 俺は顔を上げて、吹き抜けの上階を見渡した。

 ちょうど二階のガラス手すりの向こうで、見覚えのある髪がひょこっと動く。


「……見つけた」


 ニッと笑う俺に、桜井さんが目を丸くした。


「そのままふたりでデートしてればよかったのにー!」


 二階の手すりから身を乗り出し、瑞希がにやにや笑いながら声をかけてきた。


 その悪戯っぽい笑顔に、思わず額に手を当てる。



 * * *



「いつまでもお前の策略に乗っててやるもんか。それに度数の合わないコンタクトをずっとつけさせるのは良くないだろ」


「えぇー、でも澪さん、こっちのほうが絶対可愛いと思うけどなぁ!」


「えっ……」


 桜井さんが一瞬、驚いたように俺の方を見る。その視線がくすぐったくて、思わず言葉を詰まらせた。


「ま、まぁ……確かに、それはそうかもだけど」


「ほらほら! お兄ちゃんもそう言ってるし!」


「ちょ、ちょっと瑞希ちゃん! もう……」


 桜井さんが頬を赤くしながら笑う。その柔らかな笑顔を見ていると、ほんの少しだけ胸があたたかくなった。


「じゃあ、私も瑞希ちゃんみたいにコンタクトにしてみようかな」


「絶対そのほうがいいです! 桜井さん、絶対似合います! すぐ買いに行きましょう!」


「はは……もう好きにしてくれ」


 肩をすくめながら、俺は妹の方を見上げた。


「ま、とにかく瑞希、荷物持つよ。それ、桜井さんの服とかだろ?」


「うん、そうだけど……いいの?」


「ああ、せっかく三人いるんだ。残りの時間、みんなで回ったほうが楽しいだろ?」


 その言葉に、瑞希も桜井さんも同時に笑顔になった。


「お兄ちゃん……」


「そうだよ! 三人で回ろうよ!」


 冬の午後の日差しが、ガラス天井から差し込んで噴水の水面をきらめかせる。

 それを背景に、三人で肩を並べて歩き出した。


 ――穏やかで、少しだけ特別な日曜日。


 それは、何でもないようでいて、きっとこの冬を思い出すたびに蘇る一日になる気がした。


 いや、それは事実、そうなったのだ。

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