第20話 どっちが主人公だか
「ここのコーヒー、おいしかったですね澪さん!」
「だね」
カフェを出たばかりの私たちは感想を共有しあった。
続けて私は思いきって切り込む。
「さっきは話が飛んじゃいましたけど――うちの兄のこと、どう思ってます?」
「え、吉野くんのこと?」
「そうです!」
「えっと……吉野くんには内緒にしてくれる?」
「もちろんです! 女と女の約束です!」
澪さんは目を瞬かせ、少しだけ前髪をいじった(可愛い)。
照れ隠しみたいに俯きながら、ゆっくりと言葉を選んでいるみたい。
「吉野くんには色々とお世話になりっぱなしで、すごく感謝もしてるし……その、仲良くなりたいなって思ってるよ」
「それは、ただのお友達としてですか? それとも異性として……ですか?」
いくら私でも、この質問には少し勇気がいった。
でも、ここで聞かなきゃ絶対に後悔する。
だって――桜井澪さんって、こうでもしないと本音を話してくれなさそうなんだもん。
澪さんはしばらく黙り込んだあと、コートの袖をきゅっと握って、ぽつりと漏らした。
「吉野くんは頭もいいし、目標もあってすごい人だもん。私なんかじゃ、きっと振り向いてもらえないよ」
……本音が出た!
よし、聞けた! ここからが私の出番だ!
「澪さんっ!」
私は思わず彼女の手をぱしっと取った。
「え、えっ!? 瑞希ちゃん、ちょっと!?」
「こっちです! さ、行きますよ!」
澪さんの戸惑いをよそに、私は手を引いて駆け出した。
通りを抜けて、専門店街の方へ。冬のショーウィンドウにはセールの文字と、きらめくライトが踊っている。
「はぁ、はぁ……そんな走らなくても」
「さぁ、着きました!」
「ここって……服の専門店街のエリアだよね?」
「そうです! ここで今から――澪さんを変身させます!」
「へ、変身……!?」
澪さんが目を丸くする。
私は胸を張って宣言した。
「将来スタイリスト志望の私に、ぜーんぶ任せてください! 今日、澪さんが変わるきっかけを私が作ります!」
冬のモールに流れるポップソングと、きらびやかな照明。
まるで映画のワンシーンみたいに澪さんの瞳がきらりと揺れた。
「……瑞希ちゃん。ど、どうしてそこまでしてくれるの?」
「うーん……なんででしょう。でも、なんとかしたいと思ったんです!」
澪さんは驚いたように瞬きをして、それから今日一番の笑顔を見せてくれた!
「あはは!」
「どうしたんですか澪さん!?」
「ふふ、ごめんごめん。でも、なんだかそういうとこ、吉野くんに似てるなって」
「そうです! 家族揃ってお人好し家系なんです! さ、行きますよ澪さん! まずはそこのお店からです!」
「うん!」
私たちは並んでアパレルショップの中に入った。
木目調の床に、淡い照明。壁際にはマネキンが並び、冬物のコートやマフラーが整然と並べられている。
店内には柔らかな音楽が流れていて、背伸びした世界の空気が漂っていた。
「うわぁ……かわいい。こういう場所、あんまり来ないんだよね」
「ですよね! 澪さんのファッションって、どっちかというとナチュラル派ですよね。落ち着いた色とか、無地が多い気がしますし」
「うん。昔からいつも“無難なのが一番”って言われてきたから」
澪さんが寂しそうに笑った。
私はその横顔を見ながら、ハンガーを一つ手に取る。
「じゃあ、今日からは真逆でいきましょう!」
「ま、真逆?」
「そうです。澪さんの“かわいい”を、私が見つけます!」
私はショート丈の白いニットを手に取って、彼女の胸元の前に当ててみる。
「ね、これ絶対似合いますって。澪さん、肩のラインきれいだから!」
「え、えぇ!? こ、こんな可愛らしいの……!」
頬を真っ赤にして慌てる澪さん。(可愛い)
「……どうですか?」
「うん……悪くないかも。こういうの、着たことないけど」
「ですよね! じゃあボトムは……うーん、このピンクの刺繍が入ったプリーツスカートなんてどうです? 派手過ぎないギリギリを攻めましょう!」
「瑞希ちゃん、本当に詳しいね」
「当たり前です! “スタイリスト瑞希”ですから!」
「頼りになる!」
ふたりで笑い合う。
澪さんの表情がさっきより柔らかくて、なんだか私まで嬉しくなっちゃう。
「澪さん、やっぱり笑ってる顔が一番似合います」
「そうかな? ありがとう、瑞希ちゃん」
その瞬間――私は確信した。
澪さんは本当は“変わりたい”と思っている。ただ、きっかけがなかっただけなんだ。
会計を終えた澪さんが、両手に紙袋を抱えてお店の外へ出てきた。
「瑞希ちゃん、ほんとにありがとう。なんだか、着るのが怖いけど」
「大丈夫です! 私が付いてます! よし、次行きましょう!」
「え? つ、次って?」
「今度は澪さん“自身”を変身させます!」
「え、えぇぇ!?」
私の宣言に、澪さんは目を丸くした。
けれど有無を言わせず、私は彼女の手を取って再び歩き出す。
エスカレーターを降りると、そこはモールの一角にある美容室エリア。
ガラス張りの店内では、ドライヤーの音とヘアミストの香りが混ざり合い、明るい照明が鏡の中で何度も反射していた。
「こ、ここって……」
「今人気の美容室です! さっき澪さんのお会計待ってる間に電話して、空きがあるって聞いたんです!」
「す、すごい手際の良さ……」
「段取り力は私の取り柄ですから!」
私は受付のスタッフに名前を伝え、あっという間に手続きを済ませる。そのまま澪さんをセット面へ案内した。
「さ、座ってください!」
「……う、うん」
澪さんはおそるおそる椅子に腰を下ろした。
周りの鏡に自分の姿が映るたび、どこか落ち着かない様子で指先をいじっている。
後ろから、美容師さんが柔らかい声で話しかけた。
「こんにちは。あら、可愛らしいお嬢さんね! 今日はどんな感じにしましょうか?」
私はすかさず身を乗り出す。
「えっとですね! ちょっとだけ大人っぽく見える感じでお願いします!」
「ちょ、ちょっと瑞希ちゃん!? わ、私まだ心の準備が――」
「大丈夫です! 任せてください!」
美容師さんが笑ってうなずく。
「じゃあ、前髪を含めて髪の長さを少しだけ短くして……ミディアムくらいかなあ」と言って、ハサミを手に取った。
「は、はい」
「そうですよ! 澪さんは目がおっきくて綺麗なんですから、もっと見せた方がいいです!」
「……うん、わかった!」
しゃき、しゃき――。
規則的な音が響く。
鏡越しに見える澪さんは、緊張しているようで、それでも少しずつ表情が和らいでいく。
「澪さん、髪きれいですね。艶があってうらやましいです」
「え、あ……ありがとう。特別なことはしてないけど」
「あ、じゃあ私、終わるまで外で待ってますね!」
「うん、ごめんね」
「気にしないでください!」
鏡の中で澪さんは、自分の変化を見つめながら、どこか夢を見ているような目をしていた。そんな姿を見た後、私は一旦外に出た。
私は外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ふぅ。あと少し!」
澪さんの“変身計画”は順調。
仕上がりを待つ間に、次の段取りを考えようとしたそのとき――
視線の先、向かいの通りを歩く人影に目が留まった。
「……あっ! お兄ちゃん!?」
思わず声を上げると、その人――吉野大河がきょとんと立ち止まった。
兄は周りを見渡して、私の姿を見つける。
「あ、瑞希……! なんだよ、こんなところで」
「それはこっちのセリフ! お兄ちゃんこそ、なんでモールに?」
「え? いや、その……お前が“たまには外に出ろ”って言ってただろ? 暇つぶしにな。ま、ついでに欲しかったゲームと参考書を買いに来たんだ」
「ふーん、怪しい……」
「なんだよその目は。いいだろ俺がどこに居たって」
「あ!」
私はにやっと笑って、指を立てた。
「もしかしてさぁ――澪さんのこと、気になってきたんじゃない?」
「なっ……なんでそうなる! んなわけないだろ!」
反射的に兄の声が裏返った。
あ、図星っぽい。
これはチャンス!
「そういや桜井さんは? いないのか?」
「澪さんは今……うーん、内緒かな!」
「は? なんだよそれ」
私は一瞬考えて、ある“いいこと”を思いつく。
「あ、そうだ! お兄ちゃん、どうせこのあと暇でしょ?」
「いや、別に暇ってわけじゃ――」
「なら決まり! 午後四時に中央広場の噴水前に来て!」
「話を聞いてくれないよこの妹! なに言ってんだよ、せめて説明しろよな」
「いいからいいから! 絶対だよ!」
お兄ちゃんは完全に私にペースを崩されている。そして私はニコッと笑って念を押した。
「すごいのを見せてあげるから!」
「……?」
「来てのお楽しみ!」
首をかしげながらも、結局お兄ちゃんは私の勢いに押されてうなずいた。
――午後四時。ショッピングモール内の中央広場の噴水前。
そこで、“運命が動き出す”。私にはそんな直感があった。
あ、これはさっきみた映画のナレーションね。




