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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第2章 アンバランスな三角関係編

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19/82

第18話 大河の過去


「……吉野くん」


 スマホの画面に映るグループチャットの通知。


 その中にあった“吉野大河”の名前を、私は指先でそっとなぞった。


 しばらく見つめたあと、スマホをぎゅっと握りしめ、走り出す。


 玄関でスリッパを脱ぎ、スニーカーに履き替える。


 扉を開けると、冷たい風が頬を打った。空には雲がかかりすでに雨が降り始めている。


 それでも、迷わず外へ駆け出した。



 * * *



 コンビニ。


 駐車場には車が一台。


 その車の中ではサラリーマンが寝落ちしていた。


「店長~、雨、振ってきましたね。入口に傘出しておきますねー」


「うん、さすが枝垂さん。よろしく頼むよ」


 枝垂渚が手慣れた様子で透明のビニール傘をドア横のスタンドに並べていく。


 ~♪


 軽快なBGMが流れる中、ドアのチャイムが鳴った。


「いらっしゃいま――」

 顔を上げた渚の声が止まる。


「……澪ちゃん!?」


 ドアの向こう、雨に濡れたスウェットの裾。濡れた髪が頬にはりつき、澪は小刻みに肩を震わせていた。


「ちょっと、こんな雨の中……傘も持たないで来たの? いつもの送迎の人は?」


 澪は渚の問いに答えず、ただ視線を下げたまま。


「……しのくん」


「え?」


「吉野くん、いますか?」



 渚は少し驚いたように眉を上げる。


「……大河なら今日は休みだよ。――とにかくちょっと待ってて、タオル持ってくるから」


 そう言い残し、渚はバックヤードへと駆けていった。


 カウンターの明かりが、濡れた床に反射してきらめく。



 * * *



 ――バックヤード。


「じゃあ、しばらく僕は表に出てるから。枝垂さん、この子を頼むね」


「はい、店長。ありがとうございます」


「いいっていいって。どうしても対応できなかったら呼ぶかもしれないけど」


 そう言って店長は軽く笑い、ドアを閉めて出ていった。


 古びた石油ストーブの音が、静かな部屋の中でぽつぽつと鳴っている。


 そんな中、澪はパイプ椅子に腰を下ろし、俯いていた。その後ろで、渚がタオルを手に優しく髪を拭いている。


「……あの、ありがとうございます。急にこんな、迷惑かけて」


「全然。気にしないで。あ、そういえばさ」


 渚はふと笑みを浮かべた。


「昔、大河にも似たようなことがあったんだよ。あの時のアイツもびしょ濡れになってさ」


「吉野くんにも……?」


「そ。澪ちゃんは知らないんだもんね。あいつ、昔は今みたいに真面目じゃなかったんだよー」


 澪は少し驚いたように顔を上げる。


「そうなんですか? 私が知ってる吉野くんは……真面目で、優しくて、強くて」


「そうだね。今はそういう顔してる。でも、あの時の大河は、ちょっと違った」


「……」


 ストーブの灯が小さく揺れた。


 雨音が、少しずつ強くなっていく。


「澪ちゃんは大河の家の話、聞いたことある?」


「えっと……母子家庭ってことまでは、聞いてます」


「そう。それでね……過程は省くけど、大河のとこの両親は色々あって離婚してるの。お母さん、ひとりで育ててるみたいで、結構苦労してるらしいよ」


 澪は小さく息を呑む。


 渚はタオルを動かしながら、静かに続けた。


「大河自身もね、昔はお父さんとずいぶん喧嘩してたみたい。そのせいもあって、ちょっと荒れてた時期もあったんだ」


「……そうだったんですか」


「うん。でも、そんな時期があって今がある。だから私、あの子を見てるといつも思うんだ。――人は、ちゃんと変われるんだってね」


「よし、あとはストーブに当たってれば乾くと思うよ」


「ありがとうございます」


 渚は立ち上がり、ロッカーを開けて青色のカバーがついたスマホを手に取る。


「ちょっとそのまま待ってて。――すぐ戻るから」


「え?」


 そう言い残して、彼女はバックヤードを出ていった。


 残された澪は、温かな空気の中で両手を膝に重ね、ストーブの音を聞きながら、そっと目を閉じた。


 やがて。


 ――コトン。


 白いテーブルの上に、缶が置かれる音。


 澪が顔を上げると、渚が黒いラベルの缶コーヒーを差し出していた。


「はい、これ。澪ちゃんのお気に入りでしょ? 今度こそ一緒に飲も」


「……ありがとうございます。いただきます」


 ふたりの指が、缶のプルタブにかかる。


 プシュッ


 心地いい音とともに、ほのかな湯気が立ちのぼる。


「……あったかい」


「でしょ? 私も缶コーヒーは久しぶり」


 渚は軽く笑いながら、自分の缶を傾ける。


 渚はスマホを手に取って画面を確認すると、眉をひそめた。


「あーもう! 大河のやつ、こんな時に限って電話出ない。ほんとタイミング悪いなー。たぶん期末テスト開けでもう寝てるんだきっと」


「ふふ……。いいんです、もう。渚さんのおかげで、少し落ち着きました」


「そっか。

 ――でも、さっきの話ね。大河って、自分の昔のことを話されるのあんまり好きじゃないの。だから、聞かなかったことにしてあげて」


「はい、わかりました」


 澪は素直にうなずく。


「それにね、完璧な人なんてどこにもいないんだよ。私だって、ふたりから見たら“大人”に見えるかもしれないけど、私には私の悩みがあるし」


「……そういうものなんですね」


「そういうものです」


 渚は笑顔でそう言って、缶を軽く掲げた。


 外ではまだ雨が降り続いていた。けれど、澪の中の冷たいものは、少しずつ溶けていくようだった。


 やがて澪は立ち上がり、深く頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしました。……もう大丈夫です」


「もういいの? 何かあったんなら、私でよければ話を聞くけど」


「ありがとうございます。でも、あんまりここにいると……また家で騒ぎになっちゃうので」


 渚は少しだけ眉を下げて笑う。


「そっか。じゃあ――せめて、私と連絡先交換しよ」


 スマホを取り出し、アプリのQRコードを表示する。


「今回みたいに大河がいない時は、私が力になるから」


 澪は目を瞬かせたあと、ゆっくりとうなずいた。


「……はい。その時はお願いします」


 読み取り音が小さく鳴る。


「よし、登録完了。じゃあ、これ」


 渚はロッカーの横から一本の傘を取りあげた。


「何年も前のお客さんの忘れ物だけど、ちゃんと使えるから。持っていって」


「ありがとうございます。……何から何まで」


 澪は深く頭を下げ、ストーブの前を離れる。


「コーヒー、ごちそうさまでした」


「うん、またおいで。今度は晴れた日にね」


「はい」


 ――そう言って澪は帰っていった。


 一人になったバックヤードで、渚は片づけをしながらふっと息をついた。


「大河……今度は、君が誰かを助ける番だよ」


 その小さな独り言は、ストーブの音にかき消されるように静かに消えていった。



 * * *



 そのころ――主人公こと吉野大河はというと。


「んー……もう食べられない……」


 こたつに突っ伏したまま、寝言をつぶやく主人公・大河。


 テーブルの上には、食べたあとのラーメンのカップとみかんの皮。


「ほんとに……もう」


 母がため息をつきながら彼に毛布をかけた。


 今夜だけは寝かせてあげましょう。この主人公を。


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