第114話 あなたのための花道
春休みの、ある日。
午後一時。
地元の駅は、静かだった。
三両編成の電車が、すでに停まっていて、次の運転に備えていた。
そんな駅の外では――
渚先輩が、友達や家族と別れの挨拶をしていた。
笑っている。
寂しさや、不安を感じさせながらも、そこには期待や希望を感じる。
俺と桜井さんは、少し離れた場所に立っていた。
「大河くん、いいの?」
「ん?」
「せっかくなんだし、一緒に挨拶してきたほうがいいんじゃない?」
「……まぁ、俺はあの人の門出を見送りにきただけだしな。
って、桜井さんこそ、俺のところにいなくても行ってきてくれていいけど」
「……ううん。ここにいるよ」
「そうか?」
今日は、枝垂渚が東京へ旅立つ日だ。
彼女の周りには、友人や家族らしい人たちが集まっている。
笑顔と、少しの名残惜しさが混じった輪。
そのとき、ひらり、と一枚の花びらが桜井さんの肩に落ちた。
「あ、桜井さん」
「なに?」
俺はそっと、その花びらを指先ですくい取る。
「ほら、乗ってた」
「……大河くんも、ほら」
「え?」
今度は彼女が、俺の頭から花びらを一枚、すくい上げた。
「おあいこ」
「だな」
地元の駅の側道沿いには多くの桜の木が植えられており、毎年この季節になると、そこは自然と花の道になる。
陽が差し、鳥が鳴き、花が舞う。
先輩の旅立ちには――
これ以上ない日だった。
「こーんなとこで、何してるの?」
桜に気を取られていた俺たちは、同時に声のほうを振り返った。
そこに立っていたのは――
見慣れた笑顔を浮かべた、枝垂渚だった。
「先輩……」
「ふふ。なに、その顔。ちゃんと見送りに来てくれたんだ」
彼女はそう言って、軽く手を振る。
その仕草はいつもと変わらないのに、どこか少しだけ遠く感じた。
「はい。そりゃもちろん!」
「ありがと」
桜井さんも、続けて口を開く。
「渚さん、私もやっと、進みたい進路が見つかりました。だから、東京で頑張る渚さんに負けないように、私も頑張ります!」
「うん。その意気だよ、澪ちゃん」
二人は、自然に笑顔を交わした。
「渚先輩」
「なに、大河?」
「俺は、やっぱり東大を目指します。今度は……ちゃんと、自分自身のために」
「――大河。うん、いいと思う」
先輩は、しばらく俺を見つめたあと、静かに鞄へ手を伸ばし、財布を取り出した。
「澪ちゃん。あそこの自販機で、温かい飲み物を三人分、買ってきてくれない?」
「え? あ、はい」
桜井さんは先輩からお金を受け取ると、小さくうなずき、自販機のほうへ向かっていった。
渚先輩は、桜井さんが遠ざかっていく背中を見送りながら、ぽつりと言った。
「澪ちゃんは、大河のことが好きだね」
「え……。あ、はい」
思わず、変に間の抜けた返事になった。
「大河のほうは、どうなの?」
「俺……ですか」
「……あ、もしかして」
先輩は、少しだけ目を細める。
「私のこととか、気にしてる?」
「い、いえ。そんなことは……」
「ふふ」
小さく笑ってから、続ける。
「少なくとも、さっきまでの二人は――すごくお似合いだったけどなー」
「先輩……」
「大河。いい?」
渚先輩は、楽しそうに、でもどこか真剣な声音で言った。
「青春はね、ぼーっとしてたら、ほんっとに、あっという間に過ぎ去っちゃうからね」
満面の笑みでそう言う彼女自身、青春が“過去のもの”だなんて、まるで感じさせない。
「ま、とにかく」
渚先輩は俺の正面に立つと、人差し指で、俺の胸のあたりを軽く指した。
「大河はさ。頭でばっかり考えるクセがあるでしょ?」
「……」
「たまには、思った通りに言葉にしてみなよ。私にそうしたみたいに」
「……はい」
「よし!」
その一言で、先輩は満足そうに笑った。
やがて、桜井さんが飲み物を抱えて戻ってきた。
「コーヒーですけど……大丈夫ですか?」
「もちろん」
「ありがとう、桜井さん」
桜井さんが缶を渚先輩に手渡した、そのときだった。
「あ、いけない!」
先輩ははっとしたようにスマホを取り出す。
「もうすぐ、出発の時刻じゃん」
「え!? 間に合います?」
「うん、大丈夫大丈夫。だけど――」
渚先輩は少しだけ残念そうに笑った。
「三人で乾杯するのは、またの機会にね!」
「あ、渚さん! おつり、おつり!」
「いいのいいの」
先輩は軽く手を振る。
「私からのお見送りのお礼。大河と使って」
「先輩……」
「それじゃ、いくね!」
そう言って、渚先輩は鞄を抱え、足早に歩き出した。
青いピアスがきらりと揺れ、
艶のある髪が春風になびく。
その背中は、迷いなく前を向いていて――
もう、振り返らなかった。
俺たちは、しみじみとその時間を噛み締めていた。
「……やっぱり、渚さんって――」
桜井さんが言葉を探すように、視線を遠くへ向ける。
「ああ……いろいろと、すごい人だよな」
その「いろいろ」には、
尊敬も、憧れも、感謝も、
そして――別れの痛みも含まれていた。
「そうだ、大河くん」
「なに?」
「このあと間に合うなら――」




