第113話 男と男の友情
春休み。
窓際のレースカーテンが、ゆるやかな風に揺れている。
外はもうすっかり春で、冬の名残はどこにも見当たらない。
部屋の中に響いているのは、ゲームのコントローラーを叩くボタン音と、スティックを倒す、かちかちという音。
俺はベッドに腰を下ろし、橘は床に座って、テレビの画面を見つめていた。
――ドォン。
効果音とともに、画面いっぱいに表示される文字。橘の操るキャラクターが敵のモンスターのブレスの直撃に遭い、体力が尽きてしまったのだ。
『ゲームオーバー』
「あー……」
俺が小さく声を漏らす。
俺はコントローラーを置いて、画面から視線を外した。
「おい、橘」
「ん」
「なんかさっきから、動き悪くね?」
彼は返事をしなかった。
「橘……?」
レースのカーテンが、また揺れる。
少しの沈黙のあと、彼がぽつりと口を開いた。
「なぁ、大河よ」
「なんだ?」
「今年も、ありがとな」
急に、あらたまった言い方だった。
「……なんだよ、急に」
「もうすぐ新学期で、クラス替えがあるだろ?」
「だな」
俺はベッドに身体を倒し、天井を見つめる。
「お前とは運よく、一年と二年、続けて一緒だったけどさ。さすがに、次はないだろ?」
「まぁなー」
「だからさ……世話になったな」
「って、クラスが変わったくらいで何言ってんだよ。同じ校内なんだし。大袈裟だな」
「あと、大河。お前に、ずっと言いたかったことがある」
「なんだ?」
「リア充、爆発しろ!」
「最近は聞かなくなった言葉を……」
「お前なぁ、桜井さんって人がいながら、あんなにチョコレートもらいやがって……。
校内人気男子ランキングでも、上位らしいし」
「……なんだよ、そのランキング」
聞いたこともない。
というか、そんなものが存在していること自体、信じたくない。
「って! 桜井さんと俺は、べつに!」
俺は思わず、ベッドから身体を起こした。
「俺はなぁ、お前の真後ろの席だから、よーくわかるんだよ」
「なにがだよ」
「お前、授業中でも休み時間でも、桜井さんのことばーっかり見てる」
「……っ」
言葉に詰まる。
そ、そうだったのか……?
まったく自覚がなかった、とは言えない。
ホワイトデーのことで悩んでいたときも、そうだった。
挙げ句の果てに、あの必殺・不意打ちビンタまで食らったわけで――。
あれは痛かった。
(……心当たり、ありすぎだろ)
「ま、桜井さんも可愛いからなぁ。
こないだも深山のやつに公開告白されてたくらいだし」
ここで一度言葉を切ると、彼はこちらを見上げて言う。
「俺も――告っちゃおうかな」
その瞬間だった。
俺は反射的に身を起こし、目の前にいる橘の肩をつかんでいた。
「……本気、か?」
自分でも驚くくらい、声が低くなっていた。
一瞬の静寂。
ゲームの画面には、まだ『ゲームオーバー』の文字が残ったまま、下には『リトライ』と『ゲームをやめる』が表示されている。
橘は、そんな俺を見て――
ふざけた顔をせず、まっすぐに目を見つめ返してきた。
「どっちだと思う?」
……こいつ、やっぱり、食えない。
普段は軽口ばかり叩いて、冗談ばかり言うくせに。
こういうときだけ、急に核心を突くような言葉を投げてくる。
冷静に考えれば彼の冗談だということくらい、すぐにわかるはずなのに。
逃げ道を用意しない、
でも答えも教えない。
橘は、そういうやつだ。
そして――
思った以上に反応してしまった自分自身に、俺は少し驚いていた。
「わっかりやすいなぁ、お前」
橘はケラケラと、いつもの調子で笑った。
「…………」
何も言い返せない。
「で、どうすんの?」
軽い口調。
でも、逃がさない問い。
俺は小さく息を吐いてから、言った。
「……お前だから言うけどさ」
橘は何も言わず、続きを待つ。
「俺、少し前まで、コンビニにいた“とある先輩”のことが好きだったんだ。
これは、嘘じゃない」
「わかるって」
即答だった。
「で、フラれた。
ありゃ、人生で一番の衝撃だったかもな」
「そうか」
「そのあと……バレンタインの日に、桜井さんに好きだって言われた」
「そうか」
短い相槌が、逆に胸に残る。
「俺は今、彼女に……返事を待ってもらってる」
「なんで?」
間髪入れずに。
「その……俺の気持ちが……まだ」
言い切る前に、橘が口を挟んだ。
「だっせー」
「な!?」
彼は、再び真剣な目で俺を見た。
――コイツの“この目”を見るのは、一年のとき以来だ。
「お前さ」
低い声。
「その先輩に告ったんならさ。
桜井さんが、どんな気持ちでお前に告白してきたのか、想像できねぇのかよ?」
「そ、それは……」
「好きな人に告白するってのはな」
橘は一度、言葉を区切る。
「勇気がいるんだよ。
怖いんだよ」
逃げ場を塞ぐように、続ける。
「それくらいの想像力はあんだろ?
学年トップの脳みそは、張りぼてか?」
「…………」
言葉が、出てこなかった。
――その通りだったからだ。
渚先輩は、俺のことを考えて。
俺と自分、両方のことを考えて――あの場で、俺を振ってくれた。
わかっていたはずなのに。
わかっていた、つもりだったのに。
「……お、俺……」
声が、かすれる。
「なーんて」
空気が、ふっと緩んだ。
「びびって好きな人に告白できねぇ俺が、偉そうに言うことじゃねぇけどな!」
橘はそう言って、いつもの調子でニコッと笑った。
「んじゃ。
このあと、どうするかわかるよな?」
橘は、顎で画面を示した。
「え?」
ディスプレイには、二つの選択肢。
『リトライ』
『ゲームをやめる』
……決まってる。
俺は一瞬も迷わず、コントローラーを握り直し、
ひとつのコマンドを選んだ。
「ありがとな橘」
「なにがだよ」
横を見ると、橘が満足そうに笑っていた。
その笑顔を見て、俺も少しだけ、肩の力が抜けた。
「って!」
空気を壊すように俺が続ける。
「お前! 好きな人いたのかよ!!」
その声が、春休みの暖かい昼下がりの空に響いた。




