第110話 「しっかり、青春、楽しめよ」
俺たちは駅前のショッピングモールの中に入り、並んで歩いていた。
「しかしさ」
俺が口を開く。
「“俺の時間をくれ”ってのは、こういうことだったんだな」
桜井さんはうなずいた。
艶のある整った髪が、その動きに合わせてふわりと揺れる。
「そういうこと。だって大河くん、私へのホワイトデーのお返し、すごく悩んでそうだったし」
「よくわかったな……」
「だって、目の下にクマができてたもん」
「え、マジで?」
「うん。期末テストのときは、そこまでじゃなかったのに。なのになんで今になって、って考えたら……なんとなくね」
「全然気づかなかった……。まぁ、悩んでたってのはそうかもな」
俺が正直に白状すると、桜井さんは小さく笑う。
「やっぱり」
「いやさ、正直に言うと――」
言葉を選びながら、歩幅を彼女に合わせる。
「桜井さんにだけは、何を渡せば喜んでくれるかって考えるほど、わからなくなってきてさ。下手なもの渡して、がっかりされたらどうしようとか。そもそも、俺が何か渡す資格あるのかとか」
「資格?」
「だって、俺はまだ……その……ちゃんと“答え”を出せてないし」
桜井さんは足を止めはしなかったけれど、視線を前に向けたまま、考えるように間を置いた。
「ね、大河くん」
「ん?」
「私、前に言ったよ?」
「え?」
「待ってる、って」
一瞬、時が止まったかのように感じられた。
「……あ」
「ふふ、私は約束は守るよ。だから」
「だから?」
「だから、今日は大河くんが約束を守ってね」
彼女は、続ける。
「私も考えたの。今の大河くんから、なにかもらえるとしたら何が一番、欲しいんだろうって」
「それが――時間」
「うん。
一緒に歩いて、話して、笑って。
それだけで、もう十分だよ」
ショッピングモール内の吹き抜けの通り。やわらかい太陽光が降りそそぎ、春の匂いが混じった風が吹く。ガラス越しには、楽し気な人の流れが映っていく。
「それにね」
桜井さんは、ちらっと俺を見上げる。
「大河くんが私のことで悩んでくれるの、嫌じゃないよ」
「……え?」
「むしろ、嬉しい」
たったそれだけの言葉なのに、
今まで抱えていた“正解を出さなきゃいけない”っていう重さが、少し軽くなる。
「じゃあさ」
俺は前を見たまま言った。
「今日一日は、正解とか不正解とか考えないでいいか?」
「うん!」
即答だった。
「いっぱい歩いて、いっぱい話して、いっぱい笑お!」
「それ、俺のセリフじゃないか?」
「えへへ。じゃあ、共同案ってことで」
そう言って、彼女は一歩だけ俺との距離を縮めた。
肩が、ほんの少し触れる。
心臓が、わかりやすく跳ねる。
“その時”の俺の気持ちが『恋』かどうかは、俺には自覚できていなかった。
なにせ、渚先輩の時もそうだったからだ。
俺はどうやら普通の人が感じているよりも、『恋愛』というものに対して臆病だったのだ。
なぜか。
幼少のころから家庭において、父親と母親の関係を見ていたのもあって、ずいぶん長い間、そういった感情とは向き合わずに過ごしてきたのが大きいだろう。
正解のないものは難しい。
人の感情はとくに。
「なに、ぼーっとしてるの?」
そのときの“澪”は俺を容易に現実に引き戻した。
いや――
そのときだけじゃあない。
彼女はこのさき、何度だって、こうして隣に立って、俺を現実へと連れて帰ってくれた。
「あ、いや! なんでもないよ」
「私、見たい映画があるの! ね、いこ!」
彼女が俺の手を引く。
その手は、暖かかった。
「あ、おいおい! 慌てるなって!」
よう、
高校生の俺。
しっかり、青春、楽しめよ。




