第106話 乙女心
リビングのソファで、俺の妹・瑞希は完全にリラックスモードだった。
コンタクトを外し、眼鏡と、だぼっとしたルームウェア。
膝を抱えてクッションに寄りかかり、手に持ったスマホではライバーの配信が流れている。
「はー……ルクくんってば、今日も可愛い」
などとひとりで悶絶している。
その背後、キッチン。
コポコポ、と静かな音を立てて、コーヒーが落ちていた。家で飲むときはカフェインレス。
俺はマグカップを二つ並べ、慎重に湯量を調整している。
(……よし、こんなもんかな)
香りを確認し、一つを自分用に、もう一つを瑞希の前に置く。
「ほら」
「ん。ありがとー」
瑞希は画面から目を離さず、片手で受け取った。
――今だ。
俺はさりげない風を装い、壁にもたれかかって言った。
「なあ、瑞希」
「なにー」
「……女の子ってさ」
「……急にどうしたの」
俺はコーヒーを一口飲み、間を作る。
「ホワイトデーのお返しって、何もらうのが嬉しいもんなんだ?」
次の瞬間。
瑞希は、ルクくんから目を離した。
「お兄ちゃんってば、今回たくさんもらったぶんのお返しは、もう買ってあるじゃん」
「あぁ、まぁ、そうなんだけども」
そう。
その通りだ。
以前、桜井さんとばったり出くわして、駅前のショッピングモールで選んだお返しの品は、もうすでに準備してある。
「……」
「……」
沈黙。
瑞希は、なにかひらめいたように言った。
「あ! わかった! 澪さんの分でしょ!」
(こいつ、するどい!
いや、前に渚先輩や桜井さんが言っていたように、俺がわかりやすいのか?)
「いや! まぁ……ちがう、こともないんだけども」
「わかった! じゃあ今から私が澪さんにラインして聞いたげる!」
「お、おい! やめろ!」
俺は慌てて、妹のスマホを取り上げようとする。
「なーんて。冗談だよ」
「え?」
「だってさ、女の子はね。なにをもらうかよりも――
自分のために時間を使って、悩んでくれることが嬉しいんだから!」
「そういや前に、本人になにが欲しいか聞いたら怒られたな」
「はぁ……」
瑞希は深いため息をついた。
「デリカシーがないんだから、うちの兄は」
「悪かったな」
「とにかく! センスのないものさえ避けて、
お兄ちゃん自身が選んだものなら、なんでもいいと思うよ。とくに、“澪さん”は」
「俺はその“センスのないもの”を聞きたいんだが……」
「料理が上手くない人の、迷惑極まりない手作りお菓子とか」
「おぉ……」
「自分の趣味に合わない、身につけるものとか」
「おぉ……」
「あと、絶対にはずせないのは、おおきすぎるぬいぐるみとか」
「おぉ……」
「……ただ、澪さんの場合は、そこもちょっと例外っていうか……」
「なんだよ。歯切れ悪いなあ」
「女ごころは複雑なの」
「たまーに、女みたいなこと言うなお前」
「女だよ!」
キィーっとなった彼女から逃げるように、俺は部屋を出た。
* * *
「はぁ、去年まではこんなに悩むことなんかなかったのになぁ」
青いエプロンを身に着けた俺の目に飛び込んできたのは、入口付近に設けられた季節限定の特設コーナーだった。
普段は新商品やおすすめ商品が並ぶその一角が、今はすっかり“ホワイトデー仕様”に様変わりしている。
白と淡い水色を基調にしたポップ。
星とリボンの装飾が少し浮かれた空気を演出していて、並ぶのは個包装のクッキー、チョコレート、キャンディ、小さな焼き菓子の詰め合わせ。
「感謝を伝える日」
「さりげないお返しに」
そんな文言が書かれた札が、控えめながらもやたらと主張してくる。
値段も手頃で、袋も最初から可愛らしく、考えるのが面倒な男性たちのニーズにはピッタリだ。
そのすぐ横には、少し格上のコーナー。
箱入りのチョコレートや、有名メーカーの焼き菓子セットが並び、「特別な方へ」の文字が小さく添えられている。
最初はマニュアルにはない手書きのPOPもついていたが、巡回にきたスーパーバイザーに怒られた店長がしぶしぶ取り外したという小ネタもあったりするが、ここでは省こう。
「……こんなんでも、いいのかな」
俺は特設コーナーに並ぶ商品のひとつを手に取り、しばらく眺めていた。
「おや? 吉野くんもお買い上げかな?」
「――っ!?」
背後から聞こえた声に、思わず肩が跳ねる。
振り返ると、そこには案の定というべきか、店長が立っていた。
「びっくりした! だから、後ろから声かけるのやめてくださいって!」
「君を驚かせるのは僕の趣味だからね。最近は特に、君が“心ここにあらず”の時を狙うのが楽しくてさ」
「その趣味、絶対やめたほうがいいですよ……」
俺の抗議など気にも留めず、店長はケラケラと笑った。
「それで? 吉野くんにも、ついに春が来たのかな?」
「べ、別にそういうんじゃないですって。ちょっと……お返しに困ってる相手がいるだけで……」
「ここによく来る、あの子へのお返しだね?」
「うっ……鋭い……」
「わかりやすいよ、君は」
即答だった。
俺は誤魔化すように、手にしていた商品を棚に戻す。
「……店長は、奥さんになにを送るんですか?」
「僕? 来週、ちょっといいところのディナーを予約してあるよ」
「ディナー……ですか……」
思わず、遠い目になる。
大人だ。
ただでさえ余裕のない俺の財布事情では、そんな選択肢は最初から存在しない。
「月並みだけどさ」
店長は、棚に並ぶ商品を一瞥しながら言った。
「君がちゃんと悩んで選んだものなら、何でも大丈夫だと思うよ。あの子ならね」
(……瑞希みたいなこと言うなあ)
俺が内心でそう突っ込んだ、その直後だった。
「あ、でも」
店長は人差し指を立てる。
「大きすぎるぬいぐるみとかは、やめておこうね」
「瑞希みたいなこと言うなあ」
~♪
「いらっしゃいませー」
お客さんが来店し、ふたりで同時にあいさつをするのであった。




