第105話 うーん、ラブコメしてる。
キーンコーンカーンコーン♪
昼休みのおわりを告げる予鈴のチャイムが、校舎の各所のスピーカーから聞こえた。
俺と桜井さんは、生徒会室から教室へ戻る途中の廊下を並んで歩いている。
「来週はもう、いよいよ卒業式だな」
「うん。私たちが司会進行だし、がんばらなきゃね!」
「だな。……意外に準備やら打ち合わせやらで、大変だったもんな」
「ふふ、そうだね」
そんな他愛もない話をしながら、廊下を進む。
窓の外からは、やっと春らしいやわらかい風が入ってきている。
長い長い冬も、これでまた、去っていく。
「でも桜井さんがいてくれてほんと助かるよ」
「え? 私?」
「ああ。メンタル的に」
「なにそれ」
彼女がクスリと笑う。
そう言って、桜井さんは少しだけ照れたように左の指先を使って、前髪を整える。
この仕草も、もうだいぶ見慣れた。
「派手な仕事もないわけじゃないけど、基本的にはコツコツとした仕事が多いしな。稲葉なんかはそれが楽しそうだけど」
「最初はもっと、かっこいいことするのかと思ってた?」
「まぁ、過去の生徒会長を見てたしな」
「前の生徒会長さんって“河津”さんだったよね?」
「そうそう。いやー、汐乃も負けず劣らずだけど、あの人も大概だったからなあ」
「それって大河くんが一年生のときだよね?」
「そうだけど?」
「そのときの大河くん、って確かそのー……」
「半グレだったって?」
俺は笑う。
「ううん! なんていうか、その!」
「いいって。実際そのとおりだったしな」
「そのときの大河くんってあんまり、交友関係がなかったって言ってたから、気になって」
「ああ、それは――」
『で。お前さんは、このまま枯れて腐っていく気かい?』
一瞬思い出してしまった。
河津さんに言われたあの言葉。
「あー。俺も作る気なんてなかったんだけどな――」
そのときだった。
「吉野先輩!」
階段を駆け上がってきた一人の女子生徒が、俺に向かって声をかけた。
(あ、この子は……)
地毛だと思うが、やや茶色がかった髪色。
少し垂れたその瞳も相まって、誰か身近な人間を思い起こさせる。
そしてなにより――
俺は、この子のことを“少しだけ”知っている。
俺が一瞬きょとんとしていると、桜井さんが静かに口を開く。
「大河くん。この子と、知り合い?」
「ああ……知り合い、ってほどでもないんだけどな。前にちょっと……」
俺が言い淀んでいると、その女の子は少し緊張した様子を見せながらも、元気よく言った。
「あの、吉野先輩! 前は私の気持ち、受け取っていただいて、ありがとうございました!」
そう言って、彼女は一歩、俺との距離を詰める。
「あ、いや。別に俺は――」
「それと! 学期末テストで、あの汐乃様を追い抜いてトップに躍り出るなんて、さすがです!」
「あ、ありがとうな」
勢いに押されて、思わず曖昧な返事をしてしまう。
そのときだった。
(……あれ?)
隣から、ひやりとした空気を感じた。
(桜井さん?)
「桜井さん、あの、この子は――」
俺の言葉が終わるよりも早く、彼女は一歩前に出て、はきはきと頭を下げた。
「あ! 申し遅れました!
桜井澪先輩、ですよね?
私、一年生の深山陽菜といいます!
よろしくお願いします、桜井先輩!」
その瞬間、桜井さんの表情が、はっきりと変わった。
「え……深山って……」
そう。
この子は、深山陽菜。
俺が答えるより先に、彼女はにこっと笑って言った。
「はい! 私、ひとつ年上の兄がいるんです」
「じゃあ、深山くんの……」
「はい。深山湊介は、私の兄です」
最近、俺に何かと突っかかってきていた、あの深山。
その妹。
そして――
「そういえば、なんとなく深山くんに似てる! よろしくね、深山さん!」
「よければ、陽菜って呼んでください!」
「うん、陽菜ちゃん!」
桜井さんがそう言うと、陽菜は嬉しそうにうなずいた。
深山陽菜はくるっと俺のほうを向く。
「あ、吉野先輩も、陽菜でいいですからね」
意味ありげに、ちらっと目配せをしながら。
「あ、ああ……わかったよ、陽菜」
(……あれ?)
どういうわけか、また、隣からひやりと寒気を感じた。
「あ、いけない! もう授業始まっちゃう!」
陽菜はぱっと表情を切り替えると、軽く手を振った。
「じゃあ、私はこれで!」
「あ、うん。またな」
そう言って、彼女は階段を駆け下りていく。
――と、思った次の瞬間。
途中で立ち止まり、振り返って俺に向かって声を投げた。
「あ! 吉野先輩!」
「ん?」
「返事、楽しみに待ってますからね!」
「え……」
そのまま、彼女の姿は階段の向こうに消えた。
そう。
深山陽菜――
彼女は、あのバレンタインデーの日。
俺にチョコレートと手紙を渡してきた生徒のうちのひとりだ。
ホワイトデーは、来週。
返事、というのは……まあ、そういうことだろう。
「あ、おい!」
俺の呼び止める声も空しく、もう誰もいない。
俺は額を押さえて小さく息を吐いた。
「あーいうところ……深山にそっくりだな……。なあ、桜井さ――」
――キーンコーンカーンコーン♪
「え!?」
廊下を見渡す。
……いない。
桜井さんの姿は、どこにもなかった。
(ま、まさか……)
「おい! 吉野ぉ!!」
教室内から響く、腹にくる声。
「なーにやっとるかぁ! もう授業は始まっとるぞぉ!!」
「あっ! す、すみません!!」
俺は慌てて教室へ駆け出した。
そりゃないぜ、桜井さん!
――まだまだ、
俺の波乱万丈な高校生活は続くようだ。




