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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第1章 夜のコンビニのあの子編

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第10話 なんだか距離が近い!


 彼女の白く小さい手のひらの温度が、服越しに伝わってくる。


 熱で火照った身体に、そのぬくもりは優しすぎた。


 しかし距離が近い――


 桜井さんの息の音が、小さく聞こえる。彼女の茶色がかった髪が頬に触れて、かすかにシャンプーの香りがした。


 時間が止まったように感じた。


「……ごめん、本当に」


 声がかすれて、自分でも情けなくなる。

 けれど桜井さんは小さく首を振った。


「いいの。私のせいでもあるし。さ、ゆっくり座って」


「ああ、悪い」


 彼女は俺を支えながらベッドへと座らせた。視線がまたぶつかって、互いに一瞬だけ呼吸を止めた。


「……桜井さん」


「なに?」


「近い……」


 その言葉に、彼女がハッとして距離を取る。頬が一瞬で赤くなった。


「あっ、ご、ごめん! その……」


「いや、いいけどさ。その……せっかく風邪治ったのに移るぞ」


 ――その瞬間だった。ドアががちゃりと開く。


「お兄ちゃん! これから買い物に行ってくるけど、なにか欲しいものある?」


 妹の瑞希は固まった。彼女の視線の先には、まだ俺のそばに座っている桜井さんの姿。


(しまった。桜井さんに気を取られてて、全然気づかなかった)


「あ、瑞希。お、おかえり」


「お、お、お、お兄ちゃんが――女の人を部屋に連れ込んでる!?」


「ちょ、落ち着け瑞希!」


「バイトと勉強が恋人のはずのお兄ちゃんに女性の影が! ま、まぶしい!」


「勝手に変な設定作んな!」


 両手で顔を覆いながら騒ぐ妹を前に、俺は心の底からため息をつく。


「あのなぁ……。この人はクラスメイトの桜井澪さん。

 今日はわざわざ学校の宿題を届けに来てくれたんだ」


 桜井さんは少し戸惑いながらも、ぺこりと頭を下げた。


「は、初めまして。吉野君のクラスメイトの桜井澪です。よろしくね」


 瑞希はぴたりと動きを止め、数秒の沈黙ののち――


「あ、はい! 吉野瑞希です。……なんか、すごく気品のある人! お兄ちゃん、もっと早く紹介してくれればいいのに!」


「いや、そんな言い方やめろって失礼だろ」


「ううん。可愛い妹さんがいるんだね。吉野くん」


 桜井さんが笑ってそう言った瞬間、瑞希のテンションが爆上がりする。


「か、可愛い!? やばっ、めっちゃいい人! ねぇ澪さん、このあと時間あります? 一緒にスーパー行きません?」


「え? スーパー?」


 桜井さんが目を丸くする。


(距離の詰め方エグすぎだろ)


「お兄ちゃん、風邪で寝込んでるでしょ? 今日はお母さんの帰りも遅いから、なにか食べられそうなものを買ってこようと思って!」


「おい瑞希、勝手に巻き込むな。桜井さんを困らせるなって」


「えー、だってせっかく来てくれたんだし」


 そのやり取りに彼女は笑って答えた。


「ううん。ありがとう。でも、帰りが遅くなると家の人に怒られちゃうから」


「そうですかぁ」


 しゅんとする瑞希だった。


 しかし、そのあとにふと付け加える。


「……その代わり、ってわけじゃないけど。冷蔵庫、見せてもらってもいい?」


「冷蔵庫?」


 俺と瑞希が同時に首をかしげる。



 * * *



 俺達はキッチンに居場所を移していた。


 桜井さんは冷蔵庫のドアをゆっくり開けた。


「ごはんもあって……鶏肉と卵があるんだね。じゃあ雑炊なんか良さそう」


「澪さんはお料理、得意なんですか?」


 瑞希が目を輝かせて聞く。


「得意ってほどじゃないけど、作るのは好きかな。良かったら、キッチン借りてもいい?」


「もちろん! ね、お兄ちゃん!」


「ま、まぁ……いいけど、桜井さんも無理しなくていいからな」


「うん。吉野くんには迷惑かけたし、これくらいはさせて」


 その一言に、俺は何も言えなくなった。


 フライパンを温める音が鳴り、油の香りが部屋に広がる。


 彼女は慣れた手つきで鶏肉を切り、卵を割った。


 瑞希は横でメモを取りながら、「すごい……手の動き、早いですね!」と感嘆の声を漏らす。その姿は完全に料理番組のアシスタントの姿だった。


 コンロの火が照らす桜井さんの横顔は、コンビニに来ている夜の桜井澪の顔に近く、学校で見る顔よりもずっと穏やかで、妙にこの場に馴染んでいた。


 その光景を見ているうちに、なんだか胸の奥がくすぐったくなる。


(……なんだろうな、この感じ)


 自分の家のキッチンに、クラスメイトの女の子が立っている。その現実がまだ信じられないまま、俺はリビングの椅子に腰を下ろして二人を眺めていた。


 桜井さんは袖を少し上げ、髪を耳にかけながら鍋の中をのぞき込んでいる。火加減を調整する手つきが丁寧で、家事慣れしているのが分かった。


(桜井さんの家は家政婦さんが居るはずなのに、家で料理をつくることなんてあるのかな)


 瑞希は隣でおたまを持ちたがり、「これ混ぜてもいいですか?」と聞いては、彼女に優しく笑われている。


「……いい雰囲気じゃん」


 思わず口に出してしまったら、ふたり同時にこちらを振り向いた。


「い、いや、なんでもない」


 そんな俺を見て瑞希がにやにや笑う。


「お兄ちゃんは部屋で寝てなよ。まだ熱あるんでしょ? ここは女子に任せて!」


「そうそう。吉野くんは無理しちゃだめだよ」


 桜井さんまで同じことを言う。


「そーだそーだ!」


 瑞希が腕を組んで同調する。


「……はいはい」


 俺は両手をあげて降参のポーズを取り、立ち上がって部屋へ戻ることにした。


 ドアを閉める前、ふともう一度キッチンを見た。明るい照明の下、二人の姿が並んでいる。


 ――その光景が、どうしようもなくあたたかく見えた。


 布団に戻り、天井を見上げながらつぶやく。


「……なんだよこれ、夢みたいだな」


 台所から、かすかにおたまの音と笑い声が響いていた。



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