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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第10章 覚醒の期末テスト編

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第101話 夜のコンビニと僕のブラックコーヒー


 バックヤードのタイムカードに、カードを差し込む。


 ――ガシャン。


 やや旧式の機械の音が鳴って、今日のシフトが終わったことを告げた。


 俺は肩の力を抜きながら、首にかけていたエプロンの紐を解く。

 布を畳み、指定のフックに掛ける動作は、もう完全に身体が覚えていた。


 勤務中に張りつめていた神経が、ようやく少しずつ緩んでいく。


(……今日も平和に……いや、そうでもないか。桜井さんと深山、どうなったかな)


 そんなことを思いながら、バックヤードの奥へ目を向けた。


 店長は、事務用のデスクに座り、パソコンの画面に向かっている。

 その横に――一人、男の子が立っていた。


 見覚えがある。


(あ……)


 少し前、ここで彼が面接に来ていたときに見かけたのだ。

 店長と向かい合って、緊張した様子で受け答えをしていた、あの子。


 多分――高校生くらい。次の春の新入生だろうか。

 黒髪で、背は俺より少し低い。


 店長は、彼の顔を見ながらいつも通りに穏やかな声で話している。


「うん、じゃあ熊野くん。次に来るときまでにこの封筒に入れた書類に目を通して、印鑑を押して持ってきてね」


 男の子は、背筋を伸ばして何度もうなずいていた。


「はい。よろしくお願いします」


「わからないところがあったら、さっき教えて僕の連絡先に電話してくれればいいから。あ、二十四時間営業だからいつ連絡してくれても構わないからね」


「あ、はい!」


(……なるほど)


 どうやら、採用されたということらしい。



 少し前までの俺なら、他人事みたいに流していた光景かもしれない。

 今は目が離せない。


 なぜか。


 新人。


 新しいスタッフ。


 それはつまり、これからこの店で働く“仲間”。


(わかってますよ、先輩)


 俺は、未だ空いているあの人が使っていたロッカーを一度だけ見てから、ゆっくりとバックヤードを出る準備をした。


「お疲れ様です。お先に失礼します」


「うん。お疲れ様、吉野くん。気を付けてね」


 隣の彼もぺこりと頭を下げたのが見えた。


 ――さて。


 今夜は、まだ終わっていない。


 俺は頭を掻いてつぶやく。


「ったく。でも、ま、一応フォローしとくか」



 * * *



 彼女――澪さんは、もういなかった。


 僕はひとり、青いベンチに腰を下ろし、夜空を見上げていた。


 雲は薄く、星が良く見える。

 冬ほど澄んではいないけれど、春の匂いが混じり始めた空気が、静かに胸に入ってくる。


 すると――


 コンビニの裏手の方から、足音が聞こえた。


 振り返らなくても、誰なのかはわかっていた。


「よ」


「やあ、大河くん」


 彼――吉野大河は、どこかぎこちない仕草で、僕の横に立つ。


「これ、やるよ」


 差し出されたのは、黒い缶。

 白い文字で“SAKURA COFFEE”と書かれている。


(澪さん……)


「僕はレモンティー派なんだけど」


「いらねぇなら返せ」


「はは、冗談だよ。ありがとう」


 僕は受け取り、彼も自分のために買った同じ缶を開けた。


 プシュ。


 心地良い音が、夜の静寂に響く。


 手にした缶は、思った以上に熱かった。


 三月になって、昼間はだいぶ暖かくなった。

 それでも夜はまだ冷える。


 吐く息が白くならないだけで、指先や頬は確実に冷えている。


 だから、その熱は今の僕にはありがたい。


 ベンチの後ろには、ガラス張りのコンビニ。

 店内の照明が、隣の歩道を淡く照らしている。


「知っているかい?」


 僕は夜空に向かって、指を伸ばした。


 コンビニの白い明かりから少し外れた先。


 彼も、つられるように空を見上げた。


「あの、大きくて明るい星が三つ、横に並んでる星座」


「ええっと……確か、オリオン座だっけ」


「そう。冬の王者とも言える星座だ」


 大河くんは「へぇ」と声を漏らす。

 興味はなさそうだ。


「オリオン座って、あの三つの星だけじゃなくてさ。上の赤いのが肩で、下の青白いのが足。ちゃんと人の形をしてるんだよ」


 彼はコーヒーを口に運びながら、黙って僕の話を聞いていた。


「あの赤っぽい星がベテルギウスで、

 反対側の青いやつがリゲル。どっちも一等星って呼ばれる、すごく明るい星だ」


「でも色、全然違うよな」


「うん。温度がまるで違うらしい。赤い方は比較的低温で、青白い方はめちゃくちゃ高温」


「……同じ星なのにか」


「そう。同じ。

 でも、お互いに実際は気の遠くなるような距離にあって、性質もまったく違う」


 僕はコーヒーを握りしめた。


 暖かい。


「まるで、人と人の心の距離みたいだろう?」


 彼は、たまに見せるやや皮肉めいた笑顔と同時に言った。


「詩人だな。深山は」


「そうでもないよ。それより――」


「ん?」


「このコーヒー。すごく苦いよ」


「苦くていいんだよ。あったかけりゃさ。俺の時は苦い上に冷たかったんだからな」


 彼がなにを言いたかったのかを読み取るのは難しかったが、僕はあえて追及はしなかった。


 不器用ながらも、僕を気遣って励まそうとしているのだけは伝わるからだ。


 僕の恋は、アルテミスに撃ちぬかれたオリオンのように散ったかもしれない。


 でも、それでも、きっと、この記憶は――


 あの星々のように夜空に輝き続けるだろう。


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