第100話 三者三様
「ありがとうございました。またお越しください」
そう言って、俺は一人のサラリーマンを見送った。
「お待ちのお客さまー、こちらどうぞー」
声と手は、いつも通りに動いている。
レジ打ちも、袋詰めも、何一つ滞っていない。
――けれど。
俺の意識は、どうしても店の外に引っ張られていた。
ガラス越しに見える、あの青いベンチ。
そこに、
深山と、
桜井さんが、
並んで座っているからだ。
(……なんで、こうなった)
期末テストが終わった、その夜。
一息つけるかと思ったが――
ガラス一枚を隔てたその距離が、やけに遠いようで近いようで。
深山は明らかに緊張したように、少し背筋を伸ばして座っている。
桜井さんはというと、どこか落ち着かない様子で、膝の上の手を何度も動かしていた。
(……なんで俺まで緊張してるんだ)
今は勤務中。外に出るわけにもいかず、かといって、見ないふりもできず。
俺は、モニター越しに二人の様子を盗み見るように確認しながら、次のお客さまを待った。
「……はぁ」
息を吐く。
まったく。
* * *
期末テストが終わって、一息。
私は大河くんに勉強を教えてもらったお礼も兼ねて、今日ここに来ていた。
それに――
一つ、どうしても相談したいこともあったから。
それは……。
「み、澪さん……」
私の右隣に座った彼――深山湊介くんが、緊張した声で口を開く。
「あ、はい!」
反射的に、少し大きめの声で返事をしてしまった。
そう。
期末テスト前。
私はこの深山くんに――告白というものをされた。
それは、生まれて初めてのことだった。
「なに? 深山くん」
できるだけ、普段通りに。
そう思って口にしたはずなのに、声が揺れているのが自分でもわかる。
どうしていいのか、ずっとわからなかった。
それからの一週間、考えようとしても、考えきれなくて。
勉強に集中しようとすればするほど、ふとした拍子に思い出してしまって。
周りの友達は私に口々に言った。
「どうするの?」
「いいじゃん、深山くん!」
「イケメンだし、頭もいいし、将来安泰じゃない?」
……うん。
確かに、そうなのかもしれない。
深山くんは学校内でもちょっと有名なくらいに優秀で、まっすぐで、努力家で。
私に好意を向ける理由だって、ちゃんと説明してくれた。
だから――
嬉しくないわけじゃない。
むしろ、とても嬉しい。
でも。
『……めちゃくちゃ似合ってる。その、すごく……可愛いと思う。うん』
――いつか聞いた彼の言葉。
胸が高鳴るとか、
会うたびに顔が熱くなるとか、
声を聞くだけで安心するとか。
そういう感情とは、どこか違っていた。
『桜井さんは友達だよ。もうずっと前から。そんで、これからも』
ズキンと胸が痛んだ。
これもいつかの彼の言葉――
私はもう、“恋”っていう感情を知ってしまっている。
だから、
深山くんが隣に座っている今も、
私はどこか冷静で、
同時に、罪悪感みたいなものを抱えている。
今なら、少しだけ渚さんの気持ちがわかる。
痛い。
なぜなら、本気の気持ちには、本気で答えないといけないから。
例え、私の言葉で彼を傷つけることになっても。
多分、それが責任を背負うってことなんだと思うから。
「……あの」
深山くんが、もう一度口を開く。
膝の上で握った手に、力が入っているのが見えた。
「今日……来てくれて、ありがとう」
「ううん。こちらこそ」
笑って返した。
「澪さん、あの時の返事。聞いてもいいかな?」
ガラス越しに、店内が見える。
レジの向こうで、大河くんがいつも通り仕事をしている。
視線が合うことはないけれど、
なぜかそこにいるだけで、少し落ち着く。
――勇気をもらえる。
(……ずるいな、私)
深山くんは、真剣だ。
だからこそ、曖昧なままにしてはいけない。
私はそう思って、ベンチの上で背筋を伸ばした。
――ちゃんと、向き合わなきゃ。
そう決めて、深山くんの方を向いた。
* * *
僕は息を潜めて、彼女の言葉を待っていた。
――怖い。
こんなにも怖いと思ったことは、これまで一度もなかった。
勉強なら、やれば結果が出る。
スポーツだってそうだ。
努力は裏切らないし、数字や順位は嘘をつかない。
「深山って、スペック高いよなー」
それは、小学生のときに同級生から言われた言葉だ。
その頃から、僕は薄々気づいていた。
自分が、いわゆる“要領のいい人間”だということに。
理解は早い。
飲み込みも早い。
外見だって、悪くない。
褒められることには慣れていた。
小学生の頃も、
中学生になってからも、
高校に上がってからも。
何人かの女子生徒から、好意を寄せられた。
中学二年のときには、
学年で一番可愛いと噂されていた女子から、こんなふうに言われたこともある。
「深山くん! ずっと気になってました! 私と、付き合ってください!」
「……いいよ。別に」
そのとき、胸は高鳴らなかった。
恋愛感情なんてものは、正直よくわからなかった。
ただの興味。
“周りが言うから”。
付き合ってみたら、何かが変わるんじゃないかと思っただけだ。
でも、現実は違った。
一緒に帰っても、
メッセージをやり取りしても、
手をつないでも。
どこか他人事だった。
彼女が笑っても、泣いても、
僕の心は動かなかった。
恋愛感情というものが、最後まで理解できなかった。
だから、別れは早かった。
理由を聞かれても、
うまく説明できなかった。
――その程度のものだった。
なのに。
今は、違う。
ベンチの僕の隣に座る彼女――桜井澪さん。
彼女の一言を待っている、この時間。
胸が締めつけられる。
息が浅くなる。
あんなに答えを聞きたいはずだったのに、
今では聞くのが、怖い。
結果が数字で出ない。
努力すれば必ず報われるわけでもない。
これは――
僕が今まで、避け続けてきた領域だ。
僕は初めて、
自分の“スペック”が役に立たない場所に立っている。
だからこそ、怖い。
そして同時に――
(……僕は今、本気なんだ)
自分でも、はっきりわかってしまった。
この感情こそが本物の“恋”だということに。




