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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第10章 覚醒の期末テスト編

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第96話 わがまま


「夜道は暗いから、気を付けて帰るんだよ」


 陽一さんはそう言いながら、サクラコーヒーの扉を開けてくれた。


「はい。ごちそうさまでした」


 俺が一礼して店を出ようとした、そのときだった。


「吉野くん」


「はい」


 振り返ると、陽一さんはいつもの穏やかな表情のまま、俺を見ていた。


「さっき、君は言っていたね。

 小さな承認欲求のために、自分は頑張ってきたんだって」


「あ……はい」


「最初は、それでいいんだ」


「……そう、でしょうか?」


 正直、まだ腹落ちはしていなかった。

 でも――


「だまされたと思っていい」

 陽一さんは、はっきりと言った。

「一度、“極めて自分勝手な動機”で動いてごらん」


「自分勝手な動機、ですか」


「わがままになりなさいってことさ。人にとって、それが一番わかりやすくて、そして一番大きな力になるんだよ」


 これはきっと、経験からくる言葉だった。


 俺は少し考えてから、うなずいた。


「……はい。わかりました。考えてみます」


「うん」

 陽一さんは、満足そうに微笑んだ。

「楽しみにしてるよ」


 俺はもう一度頭を下げて、夜の駅前へと足を踏み出した。



 * * *



 俺はその後、忘れずに駅前のアイスクリーム屋でアイスを買い、紙袋を手に下げて帰路についていた。 


 暖かいコーヒーを頂いたおかげか、心なしかさっきまでよりも足取りは軽いような気がする。

 頭の中では、先ほど陽一さんに言われた言葉が、何度も反芻されていた。


「――わがままになれ、か」


 口に出してみると、なんだか不思議な響きだった。


 確かに俺は、物心ついたときから

 こうあるべき、とか

 こうしなければならない、とか

 そういう枠の中で自分を縛って生きてきた気がする。


 家族のこと。

 進学のこと。

 人との距離感。


 それが悪いとは思わない。

 でも――それだけじゃ、足りなかったのかもしれない。


 そのときだった。


 ポケットの中で、スマホが震える。


 ――ブブッ。


「ん?」


 立ち止まって取り出すと、画面に表示されていた名前に、思わず目を瞬かせた。


『桜井澪』


 なんだろう。


 通話ボタンをタップして、耳に当てる。


「もしもし?」


『あ、大河くん? 今、大丈夫? テスト期間中はほとんどアルバイトお休みだったよね』


 受話器越しに聞こえてくる、少し遠慮がちな声。


「ああ、大丈夫だよ。どうした?」


『よかった。あのね……明日の数学のテストなんだけど。出題範囲の後半のところで、どうしても一問だけわからなくて……』


 夜道を歩きながら、俺は少しだけ笑った。


「なんだ、そんなことか。どの問題?」


『えっとね――』


 そう言って説明を始める桜井さんの声を聞きながら、俺は思う。


 ――ああ、これか。


 これが今の俺の“原動力”。


 誰かに必要とされること。

 頼られること。

 そして、それを素直に嬉しいと思えること。


 俺は小さくつぶやいた。


「……これか――」


『え?』


「これだったんだ。俺が、わがままになるべきこと」


『大河くん? 急にどうしたの?』


「いや。なんでもないよ」


『変な大河くん』


「桜井さんほどじゃないよ」


『もー、なにそれ』


「はは」


 そんなやり取りをしているうちに、俺は自分のアパートの前まで来ていた。


 ――そのときだった。


 通話口から少しだけ意識が逸れる。


 家の前に、誰かが立っている。


(……こんな時間に?)


 やや郊外にあるこのアパートは、夜になると人通りも少ない。

 街灯も等間隔にしかなく、敷地の前は影が多い。


 俺は歩調を緩め、距離を詰める。

 暗がりの中に浮かび上がる、人影。


 男――だ。


 背は俺と同じくらいか、少し高い。

 やや年季の入ったレザーの上着を羽織っていて、顔はまだよく見えない。


『大河くん? どうしたの?』


 電話越しの声が、少し不安そうになる。


「あ、ごめん。ちょっとだけ待って」


『うん……』


 俺は通話を切らずに、そのまま男に近づいた。


 数歩、また数歩。


 街灯の光が、ようやく男の横顔を照らす。


 その瞬間――


(……あ)


 見覚えのある顔。


 いや、見間違えるはずがない。


 こんな時間に、

 こんな場所で、

 いったいどうして――。


 その男は、スマホの画面を見ながら、アパートの一室を見上げていた。

 けれど、俺の視線に気づいたのか、ふっと顔を上げ、こちらへ向き直る。


 間違いない。


 俺は、通話口に向けて、声のトーンを落として言った。


「あ、桜井さん。今、俺ちょっと外でさ……」


 彼女に余計な心配をかけないように、言葉を選ぶ。

「少ししたら、俺からかけ直すから。待っててくれるか?」


『あ、うん……。わかった』


 通話が切れる。


 俺の前に立つその男――


「その声……もしかして……大河、か?」

「……ああ。親父」


 俺たちは、しばらく無言で向き合った。


 どこか遠くで、赤ん坊の泣き声が聞こえた。


「大河――」


「……なんで来たんだ?」


 俺は、自分の脳がひどく冷えていくのを感じていた。その一方で、体の奥では、じわじわと体温だけが上がっていく。


「わかってるよな。俺たちは、面会交流は拒否する姿勢だって」


 言葉を選ばず、はっきり言う。


「少なくとも、瑞希が成人するまでは」


 父は、その場に立ち尽くしたままだった。


 今年の初詣のとき、久しぶりに姿を見た。あのときはあまりにも突然で、ろくに記憶に残っていない。


 ――でも今、こうして改めて見ると。

 少し、痩せたようにも見えた。


 今はあの時とは違って夜の時間だ。

 それに、さっきまで桜井さんと話していたせいか、俺自身も前回よりは落ち着いて状況を整理できていた。


 父親は、かすれた声で言う。


「もちろん、これがわがままなのは……わかってる」


「だったら悪いけど、帰ってくれよ」


「待ってくれ、大河!」


 俺は一歩も動かず、続けた。


「連絡なら、母さんとは最低限とってるんだろ?」


 俺が、ちらりと親父を見ると――


「……え?」


 その瞬間、親父は深く頭を下げていた。


「……すまなかった。この通りだ、大河」


「なんのつもりだよ」


 思わず、声が低くなる。


「やめろよ。こんなところで」


「……もちろんだ。

 こんなことで、許してくれとは思っていない」


 親父は、頭を下げたまま続けた。


「だが、せめて……せめて、瑞希にも謝らせてほしい」


「……いいから、帰ってくれ」


 喉の奥が、ひりつく。


「……頼むから」


「っ……」


 親父の身体が、震えていた。


 しばらくの沈黙のあと、親父はゆっくりと頭を上げた。



「……そうか。わかった。だが、またくる」


 それだけをつぶやく。


 踵を返し、アパートの前から一歩、また一歩と離れていく。街灯の届かない場所へ向かうたび、その背中は闇に溶けていった。


 足音が、遠ざかる。


 やがて、それすらも聞こえなくなる――

 

 俺は、その場から動けずにいた。


(……俺はやっぱり怒ってる)


 それは、間違いない。

 許せない気持ちも、消えていない。


 それなのに――


 胸の奥に、言葉にできないものが残っている。


 突き放したはずなのに。

 正しいことを言ったはずなのに。


(……なんでだよ)


 後味の悪さが、じわじわと広がっていく。


 俺は息を吐き、拳を握った。



 * * *


「ただいまー」



 陽一さんに人生相談をしていたのもあって、帰りは思った以上に遅くなってしまった。


 当然といえば当然だが、家に入るなり――


「遅い!」


 と、瑞希から文句を言われた。


 しかもその勢いが、なかなかのものだった。

 これは長期戦になるな、と思った、その瞬間。


 俺は黙って、手に提げていた袋からそれを差し出す。


「……はい」


 駅前のアイスクリーム屋で買ってきた、あいつが前から欲しがっていたアイスの――いわゆる“プレミアムバージョン”。


「……え」


 一瞬、瑞希が固まる。


「……プ、プレミアムじゃん!」


「これで文句ないだろ!」


「……む」


 数秒の沈黙。


 そして。


「……良かろう。今回は、許してあげる」


 どこか恩着せがましく言われたが、文句のマシンガンが発射されなかっただけで十分だ。


 父親に会ったことは今は母さんにも、瑞希にも言わない方がいいだろうな。俺にとっては、この平和を壊さないことのほうが重要なのだ。


 やがて自分の部屋に戻り、机の前の椅子に腰を下ろす。


 静かになった部屋で、ようやく一人きりになる。


「……ふぅ」


 自然と、ため息が漏れた。


 俺はスマホを手に取り、画面を操作する。


 かける相手は、決まっている。


 桜井さん。


 通話ボタンを押しながら、俺は椅子の背にもたれた。

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