表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

【第一局】再会、あるいは決別


「林 玥選手が、日本代表として出場を希望……?」


会議室にざわめきが広がった。日本囲碁協会の幹部たちは一様に困惑し、その中心で一人、会長が額に手を当てていた。


「前代未聞だ……」

場の空気を破ったのは、若手理事の声だった。


「いくら日本での活動実績があるからと言って、国際大会の代表に、他国の育成下にある棋士を入れる?」

「 そんなこと、中国側が認めるわけが……」

「……それが、認めたんです」

年配の事務局員が一枚の書面を掲げた。そこには、中国棋院の公式文書が貼付されていた。


《林 玥選手に限り、日本代表選出を容認する》


その文面には、ただ一行、注釈が添えられていた。

《ただし、中国代表選手との対局が保証されること》


「つまり、条件付きの承諾ってわけだな……」

「対局相手の指定なんて、通常ルールではありえないですよ」

「しかし、日本がこのまま欠員のまま出場すれば、戦力的にもメンツ的にも苦しい。最悪の場合、棄権になる」


「……私たちに、選択肢はないのかもしれませんね」

静まり返る会議室。その中で、誰かがつぶやいた。


「林 玥、彼女は、どうして....」



「光志!」

その声に、古賀光志は反射的に振り向いた。


国際囲碁ワールドカップU22、開幕前日の合同練習会場。各国選手が静かに準備する中、ユエが歩いてきた。

白と黒を基調としたいでたちに、すっきりした姿勢と、変わらないまなざし。彼女が日本代表としてこの場所に現れたことは、現実味を帯びながらも、どこか夢のようだった。


「……本当に、出るんだね」

「うん。出るよ。だって、あなたも出るんでしょう?」


光志は小さく息を呑んだ。


「中国は、よく許してくれたね」

「……ちょっと、条件付きだけど」


彼女は苦笑いを浮かべた。


「私の初戦の相手は、もう決まってるの」

「誰と?」

「シェン・シン」


その名に、光志は思わず目を見開いた。

高校時代、ユエと光志が“ペアを組んで負けた”相手。そして、ユエの過去と誇りを知る宿命のライバル。


あのとき、ユエは悔しそうだった。悔しさと同時に、ユエの目にあったのは、シェン・シンに向けられた静かな火花だった。


(……そうか、あのときから、ずっと)


シェン・シンは、ただの実力者ではない。ユエが中国にいた頃から、互いに競い合い、比べられ続けてきた存在。彼女の碁に、陰に日向に追いつこうとし、並び立とうとしていた。


──その想いは、ライバル心であり、あるいは、執着にも近い。


「彼女は、今では、中国女流棋士ナンバーワン。私にとっても、あの時の借りを返すチャンスだと思う」


ユエの瞳は、静かな光を湛えていた。


その後ろで、中国代表の控え席に、ひとりの男が立っていた。魯 ルー・ファン。その名を聞かずとも、光志にはすぐにわかった。


──あのときの、あの打ち筋。


同じく“ユエとペアを組んで負けた”相手。重厚な布石と、冷静無比な読みの応酬。まるで呼吸を奪うような戦いだった。


彼は今、そのときと変わらぬ静けさで、しかし一層鋭さを増した眼差しで、こちらを見ていた。


「魯 凰が、俺との対局を希望したって聞いた」


「うん。でも、たぶんそれだけじゃない」


ユエは一拍おいて言った。


「光志。あなたは、もう“見られてる”んだよ。棋士として。世界に」


その言葉には、尊敬と誇りが滲んでいた。

だが、光志はその視線の向こう、魯 凰の表情に、もうひとつの色を見た気がした。


──静かな敵意。けれど、それは単に碁の強さだけを競う眼差しではなかった。


(……あの人、ユエに……?)


言葉にはならなかった。だが、直感は告げていた。

魯 凰にとって、自分は「盤上の相手」であると同時に、「ユエの傍にいる男」でもある。

ユエはそのことに気づいているのか、気づかないふりをしているのか――その笑顔からは、読み取れなかった。



開会式の舞台に、6カ国の代表選手たちが一列に並んだ。


韓国、台湾、ベトナム、アメリカ──それぞれに個性のある若者たち。眼鏡越しに盤面をイメージしている者、音楽を聴いて集中を高めている者、誰かの言葉に笑う者。


そのなかで、光志とユエは静かに視線を交わした。

誰かと「並んで立つ」ことの意味を、初めて知った気がした。


「……この大会が終わったら、どうするの?」

ふと、ユエが言った。


「わかんないよ。たぶん、とりあえず囲碁部に顔出だしてみるかな?」

「……そっか。私のにも帰れる場所が、あるかな?」

そう言ってユエは、どこか寂しげに、でも優しく微笑んだ。

言葉は少なかった。


彼女がこの舞台に立ったのは、勝ちたいからでも、注目を浴びたいからでもない――


"あのときの借りを返すため?"

"光志のそばで、碁を打つため?"

"次の道を見付けるため?"

想いの答えは、十九路の上にある。


大会が幕を開ける。

再会と決別の物語が、盤面に刻まれていく。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ