Chap1 ep2-長い長い、空の旅
「よし、ゴンドラに乗ってくれ。飛行中に座席を立つことはお勧めしない」
御者の指示に従い、ゴンドラに乗り込んでいく。最大搭乗人数は8人、かなり余裕があった。
「飛び立つぞ! 揺れに注意しろ!」
御者の掛け声に合わせて四翼獣が離陸する。凄まじい揺れに襲われ、ルアナとサンティアは互いに抱き付いた。地上との距離はみるみるうちに広がっていく。
青年が健気に手を振っていることに気付いたラドエフは、手を振り返してやった。高度が安定するまでは揺れが続き、ある程度の高さまで来るとぴたりと収まった。しばらくすると前進し始める。ラドエフは、直前に渡された航路予定図を眺めた。
「到着予定は早くても夕暮れ頃、か。途中ファデミアを休憩地点とするらしい」
興味を示したジャックも航路図を眺める。
「やっぱりゲレイデル上空を横断するんだな。撃墜されないといいが」
「はっ、民間の旅客船だぞ。そんなことあってたまるか」
確かに現在、ゲレイデル地方は情勢が不安定だった。動乱の世を乗り越えた魔界が抱える懸念の1つがこのゲレイデル問題だ。ゲレイデル地方中央部に位置するトレイセル帝国が軍事力によってゲレイデル統一を試みたが、周辺の中小国が団結して抵抗したことにより阻止された。
それどころか今となっては中小国側がトレイセル帝国へ攻め入る形で紛争が起きている。八帝に数えられる程の大国であるトレイセルが崩壊する日も、そう遠くはないのかもしれない。
大陸北部の山岳地帯出身のラドエフは南部の情勢に疎かった。反対にジャックはそういった類の事について詳しい。それは彼が今は無きクーペル王国出身者であることが影響しているのだろう。
飛行船が前進し始めると、班員達は手持ち無沙汰に陥った。これが宿舎の班室であれば何かしら暇潰しになるものがあったが、生憎ゴンドラ内には何もない。航路図は何周も回し読みし、すっかり見飽きてしまっていた。すると、ジャックが立ち上がり地上を見下ろす。そして唐突に語り始めた。
「皆さん右手側に見える塔をご覧下さい! あれが『分かち合いの搭』です。レトリア=ウィルート連合帝国の成立を記念するあの塔は、国内の建築家を総動員して建設されたと言われています!」
退屈な時間を紛らわす搭乗員付きとは、かなり豪華なものである。
「その奥に見えますのは、ネレーデ王国が誇る王宮・ゼノレタ宮殿です。初代ネレーデ王妃であるゼノレット・ネレーデからその名が付けられました」
ジャックもとい搭乗員の豊富な知識に皆感心を示している。
「そして左にあるのが独立国家・クーペル共和国です! 私はクーペル人ですが、故郷に帰ると少数派としての扱いを受けることができます。約7割を移民が占める、非常に国際色豊かな素晴らしい国です!」
急な、どぎついジョークにゴンドラの空気は凍りついた。次々と披露される知識に拍手を続けていたサンティアは反応に困っている。ルアナも苦笑いするしかなかった。しかし一瞬のロード時間の後意味を理解したラドエフは笑い出す。
「はっはっはっ。そういうことか。お前最高だよ」
なんとか笑ってもらえて命拾いしたジャックは、座席に戻った。このままラドエフも黙り込んでいたら、ただただ空気を悪くする嫌な奴になるところだった。再び手持ち無沙汰に襲われ、静寂の時間が訪れる。
ナリヤ湖上空を過ぎた頃、異変が起こり始めた。飛行船の速度が一気に低下したのだ。
「なんか遅くなってない?」
ルアナが疑問を呟くと、サンティアが答えた。
「長距離の移動で、疲れちゃったのかしら」
「その心配は要らないと思うけどな。奴は俺の帽子を食いやがったんだ」
「きっと美味しそうに見えたんですよ」
四翼獣を擁護するサンティアに、ジャックは呆れたように溜息を漏らす。しかし原因は疲労ではなかった。予測に反する向かい風が吹いたのだ。ゴンドラと操縦席を繋ぐ通話口から御者の男が状況を伝えた。
「畜生、向かい風が吹いてやがる。生憎この辺りに飛行場はない。悪いが少し待ってくれ」
日は落ち始めている。恐らく予定よりも遅れているであろうと予想したラドエフは、賭けに出ることを決意した。
「なるべく姿勢を低く」
「は? おい、まさか―――」
ジャックの予想は大的中。ラドエフは風魔術によって風向きを操ることを試みる。強風の制御に努めるが中々安定しない。離陸時のような大きな揺れが襲う。ゴンドラで1人直立姿勢を保っていられるのはラドエフだけだった。ジャックが静止しようと叫ぶ。
「おい! 無理するな! 墜落するかもしれないんだぞ!」
しかしラドエフに届くことはなかった。ゴンドラの揺れは一層増し、御者の男も異変に気付き始める。
「もう少し、もう少しで・・・・・・」
その瞬間、凄まじい勢いの追い風に押された。向かい風を相殺できれば十分だったが、追い風を吹かせることに成功した。御者は奇跡が起きたのかと感動を隠せない。今までとは比べ物にならないほどの速度で飛行船が進んでいった。
膨大な量の情報を処理し、魔力を送り続けるラドエフは極度の疲弊に陥った。しかしそれを感じない程の集中力により、追い風を吹かせる。通話口から声が鳴り響いた。
「まもなく休憩地点に着陸する!」