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ホウケンオプティミズム  作者: 高城 蓉理
第二章 依頼に関して
4/32

第一条

◆◆◆



 人間は笑うことが出来て、地球上で唯一 笑いを作り出せる生き物だと言われている。

 娯楽の価値を知り、生きる目的を増やしていく。人とは不思議な生き物よ。

 「楽しい」を生み出す才能は、誰もが与えられるものではないかもしれない。でも人間が生み出した「かたち」には見えないアイディアは、努力をすれば誰でも守る立場にはなれる。


 私は人間の作り出したモノの価値を大切にしたい。それが私が社会で成し遂げたいことの目標なのだ。

 



◆◆◆



 結局、上手いこと言いくるめられて、仮入部届けにサインをしてしまった。私ったら、めちゃくちゃ押しに弱過ぎるっッ……


 その日 桃佳は頭を抱えながら、オープンスペースでポケット六法を眺めていた。

 こう毎日毎日 雨が降ってばかりいると、気分が滅入るし 六法も湿気を帯びる。でもそんなことよりも目下の桃佳の悩みの種は、先日 交わした仮契約の内容だ。

 

 大森先生とのマンツーマン授業は、人生最大級に魅力的だ。でもドドド素人が、いきなり全国大会に出て結果を残そうなんて、無理に決まってるでしょ?


「…… 」

 

 民法は全ての契約の基本となる法律だ。そこには#信義誠実の原則__信義則__#というものがあって、権利の行使及び義務の履行は 信義に従い誠実に行わなければならないと定められている。つまり法律家である大森先生は、コンテストとやらで入賞した暁には、約束を果たしてくれることは間違いない。


 でも待てよ?

 そもそも あの逃げ場のないような状況で交わされた約束は有効なのだろうか?

 残念ながら、自分が大森先生と交わした約束は公序良俗には反していないから無効にはならない。それに自分が勝手に勘違いをしていただけで、先方が詐欺や強迫を受けて契約したわけでもないから、一方的な取り消しも不可能だ。おまけに法改正で十九歳の自分は未成年者ではないから、保護者を盾にすることも出来ない。


 そんなことを言われても、私が全国大会に出られる訳がない……

 そもそも自分には人前に出て何かを発表できる才能はないし、結果を出そうとするならば、素人の自分は普通の人の倍以上の努力が必要だ。それに勉強時間も削がれるのは、単純に困る。

 最悪、クーリングオフで対抗するしかない?これなら一方的に解約できるし。でも仮入部に関しては、訪問販売でも、電話勧誘販売でも、特定継続的役務提供でも、訪問購入でもないか……


 桃佳は盛大な独り言と共に時刻を確認すると、手早く荷物を纏め始めた。今日は放研のアナウンスユニットがメインに活動する日で、四限終わりから空き教室で活動をするらしい。桃佳は致し方なく重い腰を上げると、ゆっくりとした足取りで目的地へと向かった。



◆◆◆



 ……私はいったい何をしているのだろう?


 待てど暮らせど、誰も来ない。A棟の630教室で待っておけと言われたけど、本当にここで合ってるよね? 何だか、ここまでの放置プレイを食らうと、さすがに腹が立っていた。


 桃佳は挙動不審になりながらも、指定された教室で一心に人を待ち続けていた。

 既に指定された時間からは三十分は経っているけど、部員は誰も来る気配がない。そもそも自分は高輪部長以外に会ったことはないし、他の部員が何人いるかも分かってはいない。放研って本当に存在しているかも怪しく感じるし、アナウンスチームの部員たちのやる気の部分も考えものだ。


 時間が勿体ない。つーか、あと三十分経っても誰もこなかったら、帰っていいかな?

 窓の外を眺めてみると、まだポツリポツリと時折雨音が聞こえてくる。運動場の向こうには体育会の人たちが水飛沫を上げながら、部活動に精を出しているようだった。



「オイ、そこの人 」


「あっ 」


 桃佳は不意に声を掛けれ、思わずその場に立ち上がる。年季の入った教室のドアには、何故か白衣を着た学生が立っていて、手には大量のレジュメを携えていた。


「あんた、もしかして仮入部の天沢さん? 」


「えっ、あっ、はいっッ。お疲れ様です、私が天沢です 」


「俺はアナウンスチーム三年の田町(たまち)。遅くなって悪かったな。コピー機が混んでたから 」 


「はあ…… 宜しくお願いします  」


 何で、この人は白衣を着ているんだ? それに絶望的に身形が整ってないっッ。こんなに鬱蒼とした髪型で、ちゃんと前は見えてるのだろうか?

 桃佳は明らかに怪訝な表情を浮かべていたが、ここはグッと言葉を堪えるしかない。田町は教室内に入ると、桃佳の前にドサリと資料を突き出した。髪や額は水滴が付いていたが、レジュメは無事なようだった。


「これが発声練習の原稿と、早口言葉集。それと外郎売の台本がこれだから。見なくても唱えられるくらいに、毎日練習しろ 」


「はっ? 」


「一応、事情は聞いてるよ。お前は全国大学放送コンテストを目指してるんだろ? 」


「えっ? まあ、それはそうですけど 」


「一次審査までには三ヶ月もない。兎に角、間に合わせるためには、今日から毎日必死にやるしかないだろ 」


「あの、それは無茶だとかは言わないんですか? 」


「ハア? 俺がお前の限界を決めて、どうするんだよ? 」


「…… 」


 田町の一方的な物言いに、桃佳は思わず呆気に取られる。レジュメには発声メニューのルーティーンや、聞き馴染みのあるものからないものまで、ざっと百行近くの早口言葉が並んでいた。


「じゃあ、早速だけど発声練習から始めるか 」


「えっ? あの、私たちだけでやるんですか? 」


「ああ。時間もないし、お前の実力も確認しておきたい。大丈夫だ。後から一年の女子が来る。サシではないから、安心しろ 」


「なっ、実力もなにも…… 私はアナウンス経験なんでゼロのスーパー初心者なんですけど 」


「それがどうした? 」


「えっ? 」


「別にアナウンスの練習と言ったって、特別なことではない。お前だって 毎日何かしらの自分の意思を、他人に伝えてるだろ 」


「まあ、それは確かに 」


「アナウンスはその相手が不特定多数になるだけだ。奥は深いけど、難しく考えなくていい。どちらにせよ技術があった方が表現の幅が広がるから、俺たちは訓練するだけだ。ちなみにだけど、お前の出身地ってどこ? 」


「えっ? 出身地は一応 都内ですけど  」


「そう。それなら、何とか間に合うか 」


「……? 」


 田町はそう言いながら首回りを少しだけストレッチすると、鞄の中からストップウォッチやメトロノーム、アナウンス辞典を取り出した。アナウンサーって、爽やかな好青年のイメージが大半だけど、この田町に関しては微塵もそれを感じさせない真逆のオーラを纏っていた。


「じゃあ、先ずは#続音__ぞくおん__#からやってみるか 」


「ぞくおん? 」


「ああ。続く音って書いて続音。続音ってのは、息が続く限りアーって発声し続ける練習だよ。まあ、発声練習の基本みたいなやつだな 」


「何だか、本当にアナウンサーっぽいですね 」


「……まあ、うちはそういう部活だからな。腹に手を当てて、腹式呼吸で声を出す。喉から声を出すと痛めるから、腹から出せよ。じゃあせいので、一緒に発声な 」


「わかりました 」


 桃佳は席を立つと、見様見真似で自分の腹に手を当てる。腹から声を出せと言われても、正直なところ それが一体どういうことなのか、あまりピンとは来ていなかった。


「先ずは呼吸を整える。それでしっかりと息を吸って、三十メートル先の人間に 自分の声を届かせるイメージでやってみろ 」


「……? 」


 田町は自己紹介もそこそこに一方的に話を畳むと、目を閉じてスーハースーハーと深呼吸を始める。いくら発声練習と言えど、妙齢の男女が数十規模の教室で二人きり。静寂の中に吐息が行き交う様は、落ち着いて考えると異質な光景にも感じられた。

 

 何だか とても集中出来ない……

 もうこうなったら、自分を客観視しては駄目だ。心を無に、心を無にっッ!

 桃佳は必死に自分の奥底から溢れる陳腐な感情を必死に押さえると、心の中を空っぽにすることに集中する。そして次の瞬間、意識を取り戻したときは、田町の掛け声だった。



「じゃあ行くぞ。せーの 」

「「アーーーーーーーーーーー 」」


 お腹の中から声が出ているかは分からない。桃佳は必死に口を開くと、身体の底から何かを振り絞るように声を上げていた。一息で声を出し続けるのは、殊の外苦しくて、あっという間に自分の音は途切れてしまったように思えた。


 ハアハア……


 酸欠とまではいかないが、桃佳は思わず肩で息をしていた。今まで意識してきたことなど丸でなかったが、全世界の空気という存在に感謝したくなる気持ちでいっぱいになってきた。


 んっ……? えっ……?

「アーーーーーーーーーーー 」

 

 桃佳はふと我に返ると、直ぐ様 田町の姿を確認していた。

 あれ? 一緒にアーーと言い始めたはずなのに、田町の声は何事もないように続いていて、加えて音圧が揺らぐことはなかった。


 凄い。この人、いったい どのくらいの間 息をしてないんだ?


 桃佳はしばらくの間、田町の声色の中にいた。“あ”の音自体には特に何の意味を持たないはずなのに、その力強さに身震いがする。

 暫くして田町は発声を止めると、手にしていたストップウォッチを確認した。


「十五秒 」


「えっ? 」 


「あんたが出来た続音の秒数。初めてにしてはまあまあだけど、これでは厳しい戦いだな 」


「なっ 」


「一息が短いと、原稿をブツ切り状態で読む羽目になるからな。基礎練習に関してはチートはないから、今日から毎日 練習しまくるしかない 」


「田町さんは、今はどれくらい声が続いていたんですか? 」


「俺は今は四十五秒くらいだった。調子が良いと一分くらいは持つときもあるけどな 」


「えっ、四十五秒!? 」


 田町はストップウォッチを桃佳に向けると、ニヤリと笑みを浮かべた。

 いきなり初心者に発声練習をさせておいて、直ぐ様ダメ出しをするなんて酷くないか? 

 桃佳は明らかに不機嫌な表情を浮かべると、田町を鋭い視線で見つめていた。


「取り敢えず、今日は あと二十本は続音の練習。それから早口言葉のアクセントとイントネーションの確認をするか 」


「えっ、二十回もやるんですか? 」


「ああ。技術を得るのに近道なんてないからな。

腹から声を出せるようになれば、自ずとタイムは伸びるよ 」


「そんなことを言われても…… 私は今まで腹式呼吸なんてした経験はないんで、何が正解なのか分かりません 」


「まあ、確かにそれはそうだな 」


 田町は難しい表情を浮かべると、腕組みをする。そしてポンと手を叩くと、自分の下腹部を押さえたのだった。


「へその下に指三本分のところに、#丹田__たんでん__#呼ばれる部位がある。発声したときに、そこが固くなれば腹式発声ができている証拠なんだ 」


「はあ…… 」


 桃佳の納得いかないとばかりに、あからさまにしかめっ面を浮かべていた。世の中には一定数の言葉では説明しきれないことがあるのは承知しているが、感覚で理解するなんて器用なことは出来なかった。


「じゃあさ…… 触ってみるか? 」


「……えっ? 」




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