表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホウケンオプティミズム  作者: 高城 蓉理
最終章 発表に関して
31/32

第七条

◆◆◆ 



 桃佳は言われるがままに、目映いネオンが煌めく梅田の街を歩いていた。大阪駅は桃佳たちが宿泊しているホテルからは目と鼻の先だけど、夜の風は耳に冷たく突き刺さる。


 何故、大森先生に呼び出されたのか。

 そして何故、自分はその誘いを断らなかったのか。自分でも理由はよく分からない。

 はっきりと断られるなら、それでもいい。でも矛盾だらけの現状に、しこりを感じているのも現実だ。先生が自分に向けてくれる気持ちは、きっと嫌な感情ではない。でもそれを確かめる気持ちには、とてもなれそうにはなかった。


「…… 」


 一瞬でも油断をしたら、大森の背中を見失ってしまいそうだった。縫い合うように複雑に絡み合ったエスカレーターを乗り継ぎ、上へ上へと昇っていく。やっと平地になったと思った場所はプロムナードになっていて、ガラス張りの壁の下には何十にも渡るプラットホームが並んでいた。


「凄い。ここが日本だなんて、信じられません。まるで異国にでも来たような、近未来の風景です 」


「そうですね。この建物を人間が考えて、形にしているのかと思うと、我々の叡知はまだまだAIに負けられないと思えます。きっと僕たち知的財産権の研究者は、根本に人が造り出す能力の可能性に惹かれているんでしょうね 」


「…… 」


 もしも自分に羽があったら、天井から線路までを急降下して、この空間の端から端までを独占してみたい。真上から線路を眺めたことなんて、今まで一回でもあっただろうか。今は終電間近の時間帯だから、電車の乗降には行き先ごとにバラつきがある。静けさのなかにも帰路を急ぐ者たちは溢れていて、そこにはアンバランスな世界が広がっていた。


「この場所、とても綺麗ですね 」


「ええ。僕も何回か大阪に出張に来ていますが、開放的な風景が好きなんです。何処までも高い天井のなかに、鉄道が整然と入り組まれている。この場所は人間の可能性をを感じられる気がします 」


 大森はこっちです、と桃佳を手招きすると、備え付けの長ベンチに腰を下ろす。桃佳も少しだけ間を空けて着席すると、横目で大森の様子を伺っていた。


「初めての大会はどうでしたか? 」


「そうですね。何だか、とてもあっと言う間の出来事だった気がします。あと、人生でこんなに頑張ったことはないくらいには頑張りました 」


「そうですか。やっぱり君の勉学への姿勢は、本当に素晴らしいものがありますね 」


「いえ。別にそんなことは…… 」


 桃佳は今更ながら罰が悪くなると、言葉を濁していた。本当は先生に近付きたくて、あの手この手を尽くしていた。でも、そんなことを口にするわけにはいかない。元々叶ってはいけない気持ちであるし、何より先生には親しい女性がいるのだ。やっとの思いで手にした「担当教諭と学生」という肩書きまでは失いたくはない。それならば現状維持が一番いい。桃佳はそう思い始めていた。


「ところで桃佳くん、こんな会合に興味はありますか? 」


「はあ 」


 桃佳は大森のスマホを受けとると、細かい文字を拡大して中身を確認する。そこには通常の学部生には縁がなさそうなお堅い内容のトピックが、ずらりと並んでいるのだった。


「これって…… 意匠法のフォーラムですか? 」


「ええ。最近は僕は宝石意匠の研究に取り組んでましてね。来年は君は僕の本ゼミに来るのでしょう? 」


「それは…… 先生が取ってくださるなら、そうしたいですけど 」


「僕は君を落とす選択肢は、最初から持ち合わせてはいませんよ。君は本気だ。それならば今からでも本物に触れておくのがいいかと思いまして。君は優秀で素直だ。それに実行力もある。是非ともうちのゼミナールを盛り上げる力になって欲しい 」


「それは…… 」


 まさかだった。先生の方からゼミナールに誘われるなんて、それは想定外のことだったのだ。

 桃佳は一連の口説き文句みたいな言葉の羅列に、グッと涙を堪える。一方的に追いかけているだけで良かったのに、いざ追いかけられるようなことを言われると、心の整理が追い付かない。学生としてでも眼中に入れば それで充分だったのだ。それなのに 自分にはその先の未来が見通せないのが、悔しくて仕方がなかった。


「……優しくしないでください 」


「はい? 」


「先生にとっては、私はただの学生かもしれません。でも生憎ですが、私はそうではないのです。だから無下に特別扱いをされると、私はとても悲しくなるんです 」


「……そっか。でもそれなら利害が一致していいじゃないか 」


「はい? 」


 利害が一致していると言われても、桃佳としては皆目見当がつかない。さすがに長い時間を外で過ごすと、冷たい風が肌に突き刺さり、桃佳の心は疲弊していた。


「あの…… 先生は一体何を仰っているのですか? 」


「何をって。これはあくまでも推測ではあるけれど、僕は君と同じことを考えていると思うから 」


「ハア? 」


 先生が私と同じことを思っている? そんな訳があるはずない。何より自分はあの現場を目撃している。こうなったら、あの日のことを確認するしか、方法はないような気がしていた。


「じゃあ…… あの、アナウンサーの方は何なのですか? 」


「アナウンサー? って、品川さんのこと? 」


「はい。すみません。偶然ですが、銀座でご一緒にいるところを目撃してしまって 」


「ああ、あれね。成る程。全部、事情が分かりましたよ。なんか変だな、と思っていたんだ。高輪くんも、妙に色々と詳しいしね 」



 大森は堪えていたものを吹き出しながら、「合点がいった。スッキリした」と小さく呟く。そして桃佳の方に少しだけ身体を近付けると、こう話を続けた。


「品川さんはS大放研の同期で、ただの友達ですよ。彼女の親御さんの会社の宝飾品が、意匠侵害の被害に遭いましてね。僕は事実関係を銀座の相手方の店まで出向いて確認をして、その手に強い弁護士と弁理士を紹介していたんですよ。今回の大阪出張は、その顔合わせです。恋人を装った方がジュエラーには入りやすかったのですが、手を繋いだのは、やりすぎだったかもしれませんね。僕に取っても品川さんにとっても、デメリットしかありません 」


「はあ…… 」


 にわかに信じがたい話だが、さすがの大森も一瞬でここまで口から出任せを言うのは無理に近い。そして何より、この少しだけ近付いた距離感が「信じてみたら」と背中を押しているような気がしていた。


「彼女と一緒にいた理由はこれですよ 」


 大森は言いつつ、コートの下の背広まで手を突っ込むと、内ポケットから何かを取り出す。手のひらに剥き出しのまま乗せられていたのはネックレスで、チェーンは僅かな光源を拾ってキラキラと鈍い輝きを放っていた。


「これはルビーのネックレス…… ですか? 」


「ええ。非常に綺麗なので、品川さんの実家のジュエラーで購入しました。オリジナルのファセットカットらしいですよ。僕もこの数ヵ月間で、すっかり宝石に詳しくなりました 」


「オリジナル? ファセットカット? 」


「はい。でもまあ、そこはあまり重要ではないから、今は気にしなくていいです 」


 大森は徐に桃佳の髪の毛を片方に纏めると、慣れない手付きで首に手を回す。多少は指が悴んでいたのだろう。甘い吐息が頬を掠め、少しの沈黙の後に、桃佳は胸元に何かヒヤリとする感覚を得ていた。


「えっ……? 」


「これを君に預けておきます 」


「えっ? あの、これを私に? 」


「ええ。設定としては、このルビーに関しては、クライアントから買い取ったという建前です 」


「えっ、あっ、あのっ 」


 桃佳はアワアワしながら、大森の胸元に手を掛けていた。展開が急すぎて、何が何だか分からない。大森先生が自分にネックレスをくれただけでも混乱しているのに、言い方が回りくどくて分かりづらかったのだ。


「そのうちそのルビーを使って、指輪を作りましょう。あんまり適切な言い訳も思い付かないのですが、それまで大切にして貰えると助かります 」


「あのっ、ちょっ、そんな高価なものを頂くのはちょっと 」


「大丈夫ですよ、桃佳さん 」


「はい? 」


「私は君にルビーを預けておくだけです。僕としては、将来的には()()()()にしてしまいたい。これは僕から君への新しい枷です。この意味が知りたければ、早く大人になって下さい 」


「…… 」


 共有財産なんて単語は…… 今のところは民法Ⅴ(家族法)の講義でしか聞いたことがない。

 って、これは都合よく解釈してしまって良いのだろうか?

 桃佳は遠回しな大森のアプローチに目をパチクリさせると、時間差で状況を理解する。つまりこれは色んな過程をすっ飛ばして、遠回し勝つ大胆に、とんでもない約束を提案されているのだ。


「あの、先生 」


「何ですか? 」


「これって、ドッキリとかではないですよね?  」


「はあ。この期に及んで、僕がそんなことをする訳がないでしょう。残念ですが、僕には そんなに余裕は有りませんよ 」


「でも、何で私なんですか? 」


「それは…… そのうち話します。まあ、君が先に教えてくれるなら、僕も解答しますけどね。ただまあ、僕の場合は何かを口にしたら確実に天秤が振り切れますね。そしたら、桃佳さんも 一緒に人生を棒に振ってください 」


「それは、絶対に却下ですっ! 」


 桃佳は顔を真っ赤にして断固拒否を提示すると、大森の顔を覗いていた。青天の霹靂みたいな出来事はフィクションのように信じがたいけど、いまの自分が生きる世界は全てが現実の時間軸なのだ。


「さて、桃佳さん。僕の提案に対しての返事は頂けますか? 」


「…… 」


 桃佳は思わず口をパクパクすると、大森から一瞬顔を逸らしていた。その言葉を口にしてしまうのが憚られるし、まだ心の何処かで全てを信じられない自分がいる。

 暗号、隠語だらけの約束に、果たして信義則は適用されるのだろうか? 色々なことが些か疑問ではあるけれど、桃佳は呼吸を整えると、絞り出すようにこう言葉を口にした。


「……ありがとうございます。その、最大限に善処します 」


 桃佳は赤面を見られないように、ほぼ反射の域でピタリと大森に身体を寄せていた。

 こんな状況を仮に誰かに見られたら、一発で人生が破滅する。でも幸いここは大阪で、自分たちのことなどは誰も知る良しはない。


 きっと、これから長い旅路になるかもしれない。でも、平気。

 私は一見しっかり者のようで、そうではない。それどころか、おちょこちょいで、早とちりで、ホウケン違いで放送研究会に入部しても流されちゃうし、細かいことは気にしないで順応してしまう。ある意味でいうところの、究極の楽観主義者だ。それに自分の芯さへ揺るがなければ、人生は如何様にも何とかなる。


 寒さが厳しい師走の真夜中、かぐや姫のお迎えはごめん被りたい。そんな二人のささやかな逢瀬は、止まることはないのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ