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ホウケンオプティミズム  作者: 高城 蓉理
第一章 入部に関して
3/32

第二条

◆◆◆



 トランペットとエレキギターが入り乱れて、不協和音が頭を突き抜けそうっッ。それに何だかよく分からない物体を抱えているのは、一体なんのサークルなんだっッ? 学生会館と聞くと響きはいいけど、中身はただの混沌(カオス)ではないか。

 桃佳は顔をしかめながら陰湿な廊下を歩いていたが、大森がこの空間の異質さを気にする様子はなかった。

 

「ヒイッ!? ここは何の部室なんですかね? 爆音が止まらないじゃないですか? 」


「君、その…… 大丈夫かい? 」


「えっ、あっ、はい。大丈夫です。想像以上に賑やかで、ちょっと吃驚してしまって 」


「お昼を過ぎると、ぼちぼち部活が始まるからね。そこの部室は、ジャズナンバーをメインにした軽音部だよ。君は学生会館には初めて来たのかい? 」


「はい。今まで学内は教室か図書館くらいにしか行かなかったので。あの煉瓦造りの建物は何だろう?くらいにしか思っていませんでした 」


「学生会館は、学内でも一位二位を争う古い建物だからね。すぐにブレーカーは落ちるし、環境的には昭和から時が止まっているといっても過言ではないよ。

学生会館は東側が文化部の部室で、西側が体育会の部室。部室と言っても広くはないけど、ないよりはいいよね。ホウケンは一応、防音ブースもあるんだけど、他団体の音で厳しいときは合宿して活動することもあるんだ 」


「えっ、合宿? 」


「ああ。追い込みの時期は学内に泊まって、夜通しで一次通過の対策をするんだ。雑音があると、どうしても影響があるからね。他にも発表会前の準備でも、合宿をするかな。文化部ではあるけど、ノリは体育会に近いかも 」


「……あの、先生。例年、どれくらいの部員の方が一次に通過されるんですか? 」


「ああ、調子がいい年だと半数は通過しているよ 」


「はっ、半分っッ? 」


 一次に通過って、司法予備試験のことだよね? うちの学部から、そんなに合格者がいるなんて初耳だ。ホウケンは、きっと凄い人たちの集まりなのだろう。

 桃佳は頭の上にはてなマークを並べながら、大森の後ろ姿を追っていた。さすがに法曹研究会には、ヤル気に満ち溢れた部員が揃っている。それならやるしかないではないか。桃佳は決意を新たにすると、自分の心を鼓舞していた。

 

「因みに、ここがホウケンの部室。看板を出してないから、分かりづらいんだけどにね 」


「……はあ 」


 他の部室とは異なり、ホウケンの部室の壁の装飾はシンプルだった。桃佳は一瞬だけ緊張の面持ちを見せたが、大森は気にする様子もなく鉄扉に手を掛けていた。


「おーい。高輪(たかなわ)くん、いま部室にいるかい? 」


「…… 」


 大森はノックもそこそこに部室に入ると、部員と思われるメンバーの名を口にする。寒いくらいに涼しい室内には、ハードディスクがフル稼働する重低音が響いていた。


「無反応か。つーことは、防音室の中かな? 」


 防音室が完備されているなんて、さすがに法曹研究会ともなると勉強に集中できる環境に恵まれている気がする。

 でも……

 室内にはよく分からない機材やジュラルミンケースが山積みになっていて、長机とパイプ椅子が転がっている。床に敷かれた段ボールには、明らかに勉強とは関係なさそうな寝袋らしきアイテムが転がっていた。


「高輪くん、入部希望者を連れてきたんだけど 」


 大森は防音室とやらをノックすると、入り口のハンドルに手を掛ける。重々しい金属のレバーを持ち上げると、中からは空気が漏れるような風の音がした。


「あっ、大森先生? 」


 高輪と呼ばれた男性は 防音室から顔を出すと、桃佳の顔を凝視する。高輪は首にヘッドフォンを下げていて、手元にはノートパソコンを携えていた。


「わざわざ部室に来て頂いて、すみません。合宿の印鑑の件ですよね? 」


「いやいや。彼女を案内がてら、寄ってみたんだよ。ホウケンの入部希望者だから 」


「入部希望者? 」


「こちらは二年の天沢さん。法律学科(うち)の学生なんだ 」


「えっ? 」


 今まで名前を呼ばれたことなど一度もないけど、大森は 桃佳のことは一応は認識しているようだった。でも残念ながら、今はそこを深掘りしている余裕はない。こちらとしては、何としてもホウケンに入れて貰わなくてはならない。桃佳はキリッとした表情を作ると、すかさず自己紹介をした。


「あっ、あの、初めまして。法律二年の天沢桃佳です。将来は知的財産管理技能士を目指してて、ホウケンに入りたいと思ってます 」


「えっ? 知的財産? 」


 高輪は桃佳の発した言葉に、目を点にする。でも直ぐ様ハッとして我に返ると、自己紹介を始めた。


「こちらこそ、初めまして。理工三年の高輪です。ここの部長をやらせてもらってます 」


「理工学部? 」


「はい。学科は化学科ですけど 」


「あの、でも、ここはホウケンですよね? 」


「ああ、それはそうだけど 」


 理工学部から法曹研究会に所属しているということは、この人は弁理士でも目指しているのだろうか。それならば知財技能士を目指す自分とも馬が合いそうだ。

 やっぱり勇気を出してよかった……

 桃佳は目を輝かすと、震える身体を落ち着かせるのでいっぱいいっぱいになっていた。


「あっ、すみませんっッ。感激で取り乱してしまいました。法研って言うくらいだから、てっきり部員は法学部の人ばっかりだと思ってました 」


「えっ? いや、うちは色んな学部がバランス良くいる感じだけど? 」


()()研究会なのに? 」


「……? 」


 高輪は大森に助け船を求めるが、大森はニコニコ笑顔で すかしている。高輪はそんな大森を見て明らかに肩を落とす仕草を見せると、財布から一枚の名刺を取り出した。


「あの、天沢さん。一応念のため 」


「はい? 」


「うちは()()()()()だけど、君がイメージしている部活で合っているかな? 」


「えっ? 」


 桃佳は名刺を受け取ると、高輪の肩書きを見てギョッとする。そこには文化会放送研究会の名の元に、高輪のフルネームがバッチリと刻まれていた。


「ななな…… 放送研究会って、もしかしてテレビとかラジオとか、そっちの放送の研究会ですかっッ? 」


「天沢さんが何を思ってうちに見学に来てくれたかは分からないけど、うちの部活は放送研究会。

残念ながら、法律を研究する部活ではないよ 」


「えっ? 」


 桃佳はあからさまにガッカリとした表情を浮かべると、その場で思わず立て膝を付く。

 恥ずかしい…… 

 思い切り同音異義語を拡大解釈してしまった。でも何よりも次に頭に過ったことは、どうやってこの場から退散するかということだった。


「でも、助かったよ。実は四年生が引退して、主力が減っちゃってさ。部員不足で困ってたんだ。もうすぐ全国大会の予選が始まるし、しっかりとコンテストで結果を出さないと うちは機材を買えないから 」


「全国大会? 」


「ああ。毎年、部員総出で参戦するんだ。僕は映像作品を出すつもりなんだけど、毎年入賞止まりだから今年こそは優勝したくてね 」


 全国大会って、あっさり言っているけど……

 それって、この放送研究会はかなりの強豪部ってことだよね? そんな部に自分がちゃっかり入部するなんて、図々しいし身の程知らずも甚だしい。桃佳は顔面を真っ青にすると、明らかに慌てた様子で先手を打った。


「す、す、すみませんっッ、謝ります! 勘違いしてました。ホウケンって、法曹研究会の略だと思ってたんです。法学の研究をするんだと思ってましたっ。だから、私には放送は畑違いというか、無理だと思われますっッ 」


「まあまあ、最初はみんな素人だから。そこらへんは気にしなくて大丈夫だよ。っていうか、君は声が綺麗だね。練習したらイイ線いけるかもしれない 」


「ハア? って、ちょっ、押さないで下さいっッ 」


 高輪は ここぞとばかりに桃佳の背中を押すと、部室の奥へと誘導する。

 冗談じゃない。放送研究会だなんて一切の興味はないし、ただの部活動に割く時間なんて一分たりともないのだ。


「押し掛けておいて、ごめんなさいっ。恥ずかしながら、私は少々勘違いをしていて 」


 桃佳は恐る恐る踵を返すと、一目散に退散を試みる。でも唯一の出入り口の前には大森がいて、一筋縄では行かない予感がした。


「あれ、もしかして君はもう帰るのかい? あんなに放研(ホウケン)に興味があるって言ってたのに 」


「えっ、いや。それはその…… 」

 

 桃佳はチラリと背後を気にすると、思わず口ごもるしかなかった。いくら自分のミスと早とちりとは言え、部員の人を目の前に、正直に辞退理由を告げることも出来なかった。


 逃げられない、どうしよう……

 桃佳は少し焦っていた。

 でも次の瞬間、大森が発した言葉を聞いた桃佳は、もっと事情が分からなくなっていた。


「仕方ないですね。君の勇気を称えて、今回だけは僕からスペシャルサービスをしてあげましょう 」


「はい? あの、大森先生? 」


 大森は出口を塞ぐように扉の前に立ち塞がる。そして桃佳の前に人差し指を突き出すと、悪戯な笑みを浮かべていた。


「ここからはあくまでも仮定の話ではありますが、十二月に全国大学放送コンテストという、国内最大級の大会があるんです。

君が もしその舞台で立派な成績を残せたら、うちのゼミは確約で、週に一回は知的財産技能検定(国家資格)取得のための 特別授業も付けましょう 」


「特別授業? 」


「ええ、マンツーマンの特別授業です。もちろん無償で構いませんよ 」


「マンツーマン? 二人きり? 」


「ええ。週に一度、しっかりと九十分間、君のために授業をします。

残念ながら、我が母校は昔から課外活動で活躍する部活がなくてですね。放送研究会が全国大会で華々しい活躍をしてくれると、僕も鼻高々なんですよ。僕もこの大学で教授になりたいから、ロビー活動の材料は欲しいし 」


「ハア? 」


「放送研究会はどうしても番組を作るのに機材が必要だから、学校からの援助金が必要なんですよ。所謂 交付金ってやつですね。

文化部は年々縮小傾向にありますが、それでも大学の名前を売るような功績を残すと、予算折衝で有利に働くのでね。

それに 君自身も就職のアピールポイントが増えて有利になりますよ 」


「…… 」


「悪いことばかりではないと思いますけどね。君も僕らと一緒に、放研で頑張ってみない? 」


「えっ? あの、その…… 私は…… 」


 全国大会で結果を残すなんて簡単に言っているけど、そんなに甘い道のりな訳がない。

 それに就活でアピールするのは、勉学だけで十分とは思っていた。でも、特別授業はまるで桃源郷としか言えないパラダイスみたいな条件ではある。


「…… 」


 正義の天秤が揺らぐ理由がなくなってしまった。

 桃佳はしばらく その場で放心すると、取り敢えず仮入部届けにサインをするしかなかったのだった。





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