第二条
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初めてのコンテスト、かつ全国大会という晴れ舞台にも関わらず、本番前日に一人で京都入りすることになろうとは考えてもいなかった。しかも頭の中がモヤモヤする要素が多すぎて、イマイチ集中しきれない苛立ちもある。この印鑑を貰うだけの単純な作業も、何となく田町に図られている感が否めない。
桃佳はすきま風が堪える廊下を歩きながら、ハアと思わず溜め息をつく。年明けには後期試験が行われることもあり、師走の時期の研究室は 落ち着かない様子の学生たちで溢れていた。
「おっ、天沢さん。こんなところで会うなんて奇遇だね 」
「あっ、日笠くん 」
日笠は背中にバイオリンケースを背負いながら、片手には六法全書を携えていた。風の噂でら日笠は国際租税法の基礎ゼミに入ったらしく、学部内では実は良いところのお坊ちゃんなのではないかと真しやかな噂が立っていた。
「天沢さんも教授に質問しに来たの? 年明けには直ぐに試験だからね。成人式の翌日からテスト祭りだなんて、本当に酷なシステムだよ 」
「ううん。私は顧問に印鑑を貰いに来たの。書類に不備があったみたいで 」
「ふーん。あっ、それって 遠征届だよね? もしかして例の全国大会の書類か何か? めっちゃ凄いじゃん 」
「いや、凄くなんてないよ。今回は本当にラッキーが重なっただけだから 」
「いやいや、それは実力があったからだよ。そんな凄い人に演奏会の影ナレをして貰えたなんて、僕としては鼻高々だね。ちなみに本選の会場はは何処なの? 」
「鼻高々は言い過ぎだよ。大会の会場は京都市内なんだ。明日#こっち__東京__#を出発して、明後日が本番 」
「そっか。京都だと旅行の距離感だね。家族は応援には来ないの? 」
「ううん。家族の応援どころか、先輩たちとも現地集合。けっこうライトな感じなんだ。それに この時期の京都はホテルがどこも満室で、私たちは梅田から毎日通うことになってるし 」
「それは毎日大変だね。まあ、大阪からなら新快速で二十分で京都駅に着くから、ドアトゥードアでも一時間もあれば問題ないか。そう言えば、関西って聞いて思い出した! 天沢さんは、もうこの記事は見た? 」
「えっ? 」
日笠はポケットからスマホを取り出すと、桃佳にディスプレイを向ける。画面には週刊誌が掲載しているインターネットの記事が載っていて、見覚えのある建物と人物のシルエットが並んでいた。
「これさ、どう見ても大森先生だよね。大森先生が品川アナと知り合いだったなんて、知らなかったよ 」
「…… 」
白黒な上に 写真がボヤけて見辛かったが、この二人は先日銀座で見かけた大森先生と連れの女性に違いない。あの時、まさか週刊誌の張り込みがいたとは予想外なことだった。
「たしか品川アナって、関西を代表するテレビ局アナウンサーだよね。うちの大学の有名OGと大森先生の組み合わせは吃驚だけど、意外性はないよね 」
「うん…… 宝飾店で写真を撮られるなんて、親密そう 」
桃佳は明らかに声のトーンを下げながら、必死に冷静さを保っていた。思わせ振りなことを言っておいて、この仕打ちは酷過ぎる。桃佳は自分自身を同情せずにはいられなかった。
「でも品川アナの実家って、大阪の有名な貴金属の販売店みたいなんだよね。それなのに全然関係のない銀座の宝石店に入っていくのは、少し違和感はあるけど 」
「交際中の男女なら『ちょっとアクセサリーでも見ようよ』って、気軽な感じでお店に入るのは普通じゃない? それにほら、この二人 お店の中でも手を繋いで親密そう 」
「まあ、確かに。二人とも忙しいだろうし、関西在住のアナウンサーがわざわざ#こっち__都内__#に出向いてくるんだから、テンションは爆上がりだよなあ 」
「うん。私も…… そう思う 」
あれから大森先生とは、必要以上に喋ってはいない。先生のプライベートを覗き見る形になったのは申し訳ない部分はあるが、これは完全に不可抗力だ。
桃佳はスマホを返却すると、ギュッと唇を噛む。四方八方から事実を突きつけられると、さすがに堪える。ここまでくると悲しい、悔しい、腹立たしいという気持ちすら芽生えなかった。
「天沢さん…… 今日はいつもより大人しいね。やっぱり全国大会を前に緊張してる? 」
「えっ、いや。そんなつもりはなかったんだけど…… 」
元気がないのは こんな記事を見せつけてきた日笠のせい、かつ大森の謎行動のせいだが、そんなことを口に出すわけにもいかない。大森のことは一旦忘れて、今はコンテストに集中する。むしろどうしても一等を取りたいとギラギラした感情が湧かない分、心情的には落ち着いている気がしていた。
「でも確かに、少し固くなっているのは事実かも。今までの私は人前に立って何かを発表した経験が殆どなかったから。だからまさかまさかの大抜擢で、現状の自分の立ち位置が まだよく分かっていないし 」
「へー それは意外だね。子どもの頃は、控えめな性格だったの? 」
「子どもの頃というより、今も目立つことは得意ではないよ? 学校の行事で合奏をするときは木琴ではなくてリコーダーを選んでいたし、文化祭の出し物は主役より村人その一。アナウンスを始めたのも勢いみたいな感じだったから 」
「そっか。でもその割には、天沢さんは放研にすっかりド嵌まりしてるみたいじゃん 」
「まあ、確かに。それは否定は出来ないね。最近は勉強よりも、放研での活動に比重をおいてばかりだし 」
桃佳は この半年の苦行の数々を思い出すと、一人で感傷に浸っていた。先生とのマンツーマン授業は気まずいし、それを拒否するなら 自分が放研でアナウンスに勤しむ理由もなくなってしまう。そうなると明後日の京都での発表が、自分の人生において最初で最後の晴れ舞台になってしまうのだ。
「僕は放送部の大会の雰囲気は分からないけど、舞台は楽しんだもの勝ちだと思うよ 」
「えっ? 」
「舞台に立っている間は、お客さん全員が僕だけに集中してくれる。それが最高に気持ちがいい。スポットライトを一度浴びると、それは病みつきになるんだよ 」
「私が…… そんなふうに感じる日が来ると思う? 」
「なるさ。お客さんっていうのは、シビアだから最初から観客受けを狙ってきているものや、自信がなさそうにしている人間に対しては、心は震えない。でもそこを開けたときの達成感は、他の何物にも変えられない。僕は自分が納得できるパフォーマンスが出来れば、お客さんたちにも伝わると思うけどな 」
「…… 」
私が大会を楽しめる? そんなことはあり得ないだろう。
だけど もし万が一、自分が舞台の高揚感に魅了されたら、今度は どんな理由で取り繕おうか。
……って、あれ?
いや、ちょっと待て。そんなことを言ってしまったら、自分は先生とか不可抗力だとかの事情を抜きにして アナウンスが好きみたいになってしまう。
「私はもしかしてアナウンスをするのが好きになっていたのかな? って、あっ…… 」
心の声が音になっていた。
桃佳は一瞬 口ごもると、思わず日笠を確認する。日笠は今にも吹き出しそうになっていて、困惑気味に笑みを浮かべていた。
「あはは。天沢さんったら、今さら何を言ってるの? 」
「えっ? 」
「僕でも知ってることだよ。君は前からアナウンスが好きじゃないか。きっかけは何であれ、君が一生懸命にアナウンスを続けているのは君の意思だし、それは他の誰にも止められないことだよ 」
「…… 」
桃佳は言葉を失うと、思わずその場に立ち尽くす。
今まで何かと周囲に感化され、流されながらやってきた。そのつもりだった。でも端から見ればそんなことはなくて、他人から見れば自分は十分に主体的にやっていた。つまりはそれが結論であるならば、あとは先生と決別するだけなのだ。
「日笠くん、ありがとう。何だか少しスッキリした 」
桃佳は日笠に礼を伝えると、エレベーターホールへと足を運ぶ。
退路は断つ。そして逃げ道も作らない。こうなったら、自分自身にアナウンスを続ける理由を求めるのだ。
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エレベーターに揺られる時間が、いつもよりも心なしか長く感じた。
緊張する……
桃佳は手を構えては引っ込めてを繰り返し、大森研究室の前で右往左往する。それでも決死の覚悟で拳を握ると、ゆっくり三回ドアをノックした。
「はい、どうぞ。って君でしたか 」
「大森先生。お忙しいところ、失礼します。遠征届けに不備があったので、再度判子を頂けますでしょうか 」
「ああ、それは構わないけど。廊下は寒いですから、中にどうぞ 」
「いや、すぐに帰りますから大丈夫です。って、ちょっとっッ 」
大森は桃佳の返事最後まで聞かずに、無理矢理ドアを閉めると、「まあまあ」と言いながら部屋の中に誘導する。二人の間合いは 一瞬だけパーソナルスペースを割るような距離感になっていた。
「いよいよ明日は京都に出発ですね。練習の進捗はどうですか? 」
「進捗は可もなく不可もなく、といった感じです 」
桃佳はやや塩対応気味に答えると、ぶっきらぼうにクリアファイルを突き出す。大森には事情がさっぱり読めてこなかったが、そこは深追いはせずに書類を受け取った。
「……もしかして君はいま機嫌が悪いか、緊張をしているかい? そうだ、コーヒーでも入れようか 」
「いえ、大丈夫です 」
「まあ、そう釣れないことを言わないで。本当のことを言うと、既にサーバーにドリップコーヒーを準備をしてるんです。さっき田町くんから、君がここ来るって連絡がありましたから 」
「はあ、そうですか 」
田町と大森先生は、何故これほどまでにツーカーな仲なのだろう。
桃佳の頭には些細な疑問が浮かんだが、今はそんなことはどうでもいい。桃佳は致し方なく大森から紙コップを受け取ると、恐る恐る口元に運ぶ。コーヒーは喉元や胃の感覚が分かるくらいに熱々になっていて、苦味と酸味のなかに仄かな甘さが混ざっていた。
「実は僕も明日から大阪に行くんです。明後日に大阪市内で用事があるのですが、午前中には終わるので。午後には京都の会場に顔を出させて貰いますね。見知った顔があったほうが、安心するだろうし 」
「えっ、いや、大丈夫ですっ。先生に来て頂かなくても 」
「えっ? 」
「あっ…… 」
桃佳は反射で拒絶の言葉を口にすると、あっと声を上げていた。ここまで言い切るつもりではなかったのに、八つ当たりしたバチが当たったのかめしれない。こうなったら、もう後には引けなかった。
「あの、私は一人で頑張れます。先生はお忙しい方ですし、もっと自分のために時間を使ってください。田町先輩や高輪先輩の作品を観にいらっしゃるなら、無理には言いませんが…… 」
「はあ 」
大森は桃佳の一方的な言い分に、言葉も出なかったようで、思い切り目を見張っている。
研究室のテーブルには、相変わらず資料が散乱していたけれど、一番上には全国放送コンテストの日程表が転がっていた。
「君、最近ちょっと様子が変だよ。いったいどうしたんだ? 」
「…… 」
「もしかして、僕がこの前 言ってしまったことを気にしている? 」
「それは 」
「申し訳ない。僕もそんなつもりはなかったんだけど、ポロっと本音が出てしまったんだ。君にとって迷惑だったら、忘れてもらって構わないから 」
「はあ? 」
桃佳は口調を強めると、震える声を圧し殺していた。
「恋人はいない」と言っておきながら親しい女性はいるみたいだし、更には「この前のことは忘れてくれ」と、重要な言葉までなかったことにしようとする。桃佳はあまりの大森の不誠実さ加減を目の当たりにして、開いた口が塞がらなくなっていた。
もう知らない、私はこれからは自分のために生きてやるっッ。桃佳は頭に血を上らせると、まだ熱いコーヒーを一気に煽る。そして空になった紙コップを潰すと、勢いよくこう言い放った。
「コーヒー、ご馳走さまでしたっっ。大森先生っっ、私は大丈夫です。心配されなくても、私は頑張って先生のロビー活動に貢献できるように励みますから 」
「あっ、君。ちょっと、待ちなさいっっ 」
桃佳はそそくさとクリアファイルを強奪すると、勢いよく席を立つ。そして一切後ろを振り向かないで、研究室を後にしたのだった。




