第七条
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ナイナイナイーーっッ!
あちゃー、忘れ物って聞こえてはいたけど、よりによって知財六法を忘れるなんて!
桃佳は教室の前で項垂れると、今一度 鞄の中身を確認する。ただでさえ 大森先生とは顔を会わせずらいのに、忘れ物で悪目立ちをするのは避けたいところだ。だけど あのまま部室にいたら、色んな人から色んなことを聞かれそうだし、自衛を優先して虚偽を発言するのは気が引ける。
こんなことなら、今日は授業をバックレてしまおうか。それとも高い買い物にはなるが、生協でもう一冊 六法を買えば丸く収まる?
桃佳が つい邪な感情を抱き始めていると、何やらこちらに駆け寄ってくる一人の影があった。
「あっ、やっと見つけたっッー 天沢さんって、歩くのが速いね? 」
「えっ? あっ、あの高輪先輩? 」
高輪は キョロキョロと辺りを見回しながら、桃佳に近付く。建物の年季の入り方は他学部と違わないが、学生たちが大荷物で歩いている姿が異様な光景に見えたのだろう。
「あの、何故 高輪先輩が法学会館にいらっしゃるのですか? 」
「あはは。天沢さんが#大事な本__知財六法__#を部室に忘れて行ったから、届けに来たんだよ。本当は同学部の田町が適任者なんだけど、ヤツは相変わらず授業がパンパンに詰まっているからねえ。それにしても法学部の人たちは荷物が多いね。毎日、何種類も六法を持ち歩くなんて、肩が鍛えられそうだ 」
高輪は知財六法を手渡すと、桃佳はハッとした様子で受けとる。部室から法学会館は歩くと十分は掛かる距離だから、往復では沢山の時間を煩わせてしまっていた。
「すみません、ありがとうございます。あの、でも どうして私の教室が分かったのですか? 」
「ああ。それは田町から聞いたんだ。アイツは次の時間がゼミで、教室は同じ場所だって言ってたから。でも驚いたよ。法学会館って、裁判所みたいな教室があるんだね 」
「はい。このフロアーの教室は、何ヵ所か模擬法廷があるんです。大森先生の基礎ゼミでも、法廷教室を使ってて…… 」
桃佳は端的に質問に答えると、怪訝な表情を浮かべる。さすがにないとは思うけど、高輪が忘れ物を口実に詰問を続ける可能性を警戒していた。
「あはは。大丈夫だよ。そんなに構えなくても。別に僕は天沢さんのプライベートに干渉するつもりはないし 」
「あっ、いや…… そんなつもりではなかったんですけど 」
「まあ、気にならないって言ったら嘘にはなるけどね。僕としては同期の手前 素直に応援はしないけど、天沢さんの邪魔をするつもりはないってことだよ。あっ、でもまあ面白い事が見られるなら、そこに荷担するのは悪くはないね 」
「はあ? 」
同期の手前って、どういうことだ? 高輪の言っている意味が分からない。桃佳がポカンとしていると、どこからともなく予鈴が鳴り響く。それと同時に学生たちの動きも慌ただしくなって、皆が急ぎ足になっていた。
「あっ、あれって大森先生だよね? 」
「えっ? 」
学生たちに入り交じり、大森も教室にやってきたようだった。顔を会わせたくないと思っていたけど、実際に本人を目の前しても不思議と腹は括れている部分がある。 高輪の存在も気が紛れるし、そもそも深い意味などないと自分に思い聞かせればいいのだ。
「珍しいですね。君たちがこんな場所で二人でいるなんて 」
「僕は天沢さんの忘れ物を届けに来ただけです。大森先生、先日の文化祭では助けて頂き、ありがとうございました。お陰様で文化祭中の依頼は、全て滞りなく完了しました 」
「いいえ、私は顧問として自分に出来ることをしたまでですから。ところで高輪くんは、今日は就活帰りかい? 」
「はい。午前中に局の子会社の説明会に行ってました。制作志望ではあるんですけど、技術職もいいなと思い始めているところです 」
「へー そっかそっか。就活は大変そうだけど、その表情だと満更でもなさそうだね 」
大森は至っていつも通りだった。桃佳を見ても特別な反応は示さないし、高輪とも一般的な会話を交わしているようにも見える。逆にここまで自分の存在を意識をされていないのは、桃佳としては少し悔しい部分があった。
「ええ。緊張はしますけど、説明会は興味深いです。でも現状の自分はまだまだ実績が足りないので。今は発表できる作品を撮って撮って撮りまくって、先方に技術力を認めてもらわないと 」
「そうですか。まあ高輪くんは今度のコンテストでも上位を狙えそうですし、パンクはしないように頑張って下さいね 」
「はい。僕は田町の二の舞にはなりたくないので、学業には支障がないように善処はします。撮影は土日に済ませるようにしてますし、編集は隙間時間で出来ますから。次回作はエフェクトに力を入れた作品を出してみようと思ってまして 」
桃佳は二人の会話に入り込めなかったが、今はこれで問題ない。先生とは込み入った話はしたくはないし、高輪には とにかく刺激になるような話をして欲しくはなかった。
「土日もアクティブに過ごすなんて、若さが成せる特権だね。僕も最近は案件が貯まっていてフル稼働してばかりだけど、どうも体力の低下が気になる年頃で 」
「そうなんですか。先生は土日も稼働が多いのですか? 」
「ええ。職業柄、意匠法関係の相談を受けることが多くて。案件によっては出向かなくてはいけないから、なかなか忙しいよ。まあ、僕は資格があるわけではないから、あくまでも相談ベースだけどね。って、そろそろ時間か 」
大森は腕時計を気にすると、無言で一瞬だけ桃佳に目配せする。もうすぐ本鈴の時間だから、教室に入らなくてはならない。このまま先生と一緒に教室に入るのは少し癪な部分はあったが、桃佳は促されるように高輪に頭を下げた。
「そうだ、天沢さん 」
「はい? 」
「あのさ、今週の土曜日って空いていたりする? 」
「えっ? 」
「被写体を頼みたいんだ。周囲の目を引くような仰々しい撮り方はしないし、二人で街中にいる分には注目度も低い。僕の一世一代の博打に手を貸してくれないかな? 」
「いや、それは…… 」
高輪からの急な頼みに、桃佳は思わず言葉に詰まる。先生からあんなことを言われた手前、異性の作品にサシで撮影に出向くのは如何なものだろうか。でも断る理由は何もないし、現に今は借りを作ってしまったばかりだ。桃佳は横目でチラリと助けを求めたが、大森は目を見開いたまま無反応なままだった。
「…… 」
「…… 」
私は先生に何を求めているのだろう。
やっぱり この前の先生の言葉は自分の聞き間違いだったのだろうか。だってあの言葉が先生の本心なら、きっと二人きりは駄目だと止めるはずだ。
もういい。悩むのは止めよう。甘かったり、塩対応だったり、こちらも振り回されてばかりはいられない。
桃佳は すっと息を吸うと「その話、お受けします」と取り敢えずの言葉を繋ぐのだった。




