表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホウケンオプティミズム  作者: 高城 蓉理
第一章 入部に関して
2/32

第一条

◆◆◆


 

 大人の男性の後ろ姿って、とても素敵だと思う。

 スラリとした立ち姿に、時折 レジュメを覗く真っ直ぐな瞳。チョークの粉を叩く何気ない仕草すら、同級生からは決して感じられない色香がある。


 格好いい。迷惑なのは百も承知。絶対に振り向いて貰えないのも理解はしている。


 だけど……

 その背中を追ってみたくて、仕方がない。少しでも気を引きたいし、私のことを覚えて欲しい。学生であるうちは 勉強を頑張ることが、私が出来る唯一にして最大のアプローチなのだ。 



◆◆◆




「あのっッ、大森先生っ! 質問がありますっッ 」


「んんっ? また、君ですか? 」


 桃佳(ももか)はチャイムが鳴り止まぬうちに階段を駆け降りると、憧れの人の元へと急いでいた。この瞬間のために、今週も練りに練って、無理やり質問を編み出した。好機を逃す訳にはいかないのだ。


「先生っ、少々お時間を頂戴してもいいですか? 」


「ええ。それで質問とは何ですか? 」


「あの、この部分意匠と意匠法三十条二項に基づく損害額の算定に関しての部分なのですが、解説の文章で説明が難しいところがありまして。今日の授業とは直接的な関係はないのですが、教えて頂きたいです 」


「ああ、ここですか。確かにここは分かりづらいですからね この部分は……  」


 大森と呼ばれた講師は 鞄の中から判例集を取り出すと、勢いよく頁を捲る。付箋だらけの本は、端から見たら意味が分からないメモでいっぱいだった。

 よかった……

 これで今週も五分は先生とお話が出来る。

 桃佳がついつい頬を緩めていると、何かを察したのか、大森がパタンと資料を閉じたのだった。


「えっ? あの、大森先生? 」 


「危ない危ない。今週もうっかり流されるところでしたよ。大事なことだから、もう一度だけ言っておきますね 」


「はあ 」


「本授業の知的財産法は三年生からの履修科目ですよ。この時間は二年生ならば民Ⅰ(民法Ⅰ)の時間でしょう? 」


「えっ? あっ、まあ、確かにそれはそうなんですけど…… 」


 桃佳はあっさりと図星を付かれ、思わず萎縮する。何故、先生が自分のことを二年生と把握しているのかはよく分からないけど、先週も先々週も全く同じやり取りで大目玉を喰らったばかりだった。


「私は将来は知的財産管理技能士を目指しているので、いまから知財法を深めて学びたいんです 」


「……君の熱意は分からなくもないですけど、いい加減に(モグ)ってばかりいないで、必修の授業に出なさい。民法は基礎の基礎ですからね。民法の理解がないと他の科目だって分からないままになってしまいますよ? 」


「それは 」


 桃佳は返す言葉もないまま、大森先生から視線を逸らす。仕方がないのだ、一目惚れをしてしまったのだから。それに相手が大学の講師ならば、こうアプローチするのが唯一にして最大に手っ取り早いのだ。


「君はきちんと正規の授業に出るべきだ 」


「でも民Ⅰはテスト一発勝負だから、出席は単位には関係ありません 」


「……そういう問題ではないんだよ 」


「大丈夫です。民法Ⅰは自主学習で何とかしますから 」


 桃佳は口から出任せなことを言ってはみたが、根拠のないことを並べても勝ち目はない。大森は眉をしかめながら 少しだけ溜め息を付くと、こう話を続けた。


「もし知財に興味があるならば、後期の基礎ゼミから歓迎しますよ。取り敢えず今日のところは質問には答えますから、来週からはキチンと自分の正規の授業に出なさい。分かりましたか? 」


「……はい 」


 桃佳は言い返す言葉もなく玉砕すると、黙って質問の回答を聞くしかなかった。 



◆◆◆



 「大学を卒業した」という事実自体には、大した価値はない。要は学生のうちに どれだけの勉強や経験を積み重ねたかが、今後の人生の糧になる。大学生活は自由気ままだけど、自分から行動を起こさないと何も起きない。でもだからといって、興味がないことを手当たり次第で始めるのも話が違う気がしていた。


 大森先生とお喋りすることだけが、私が頑張る理由だったのに……

 

 桃佳は小脇に判例集を挟みながら、溜め息混じりに学内を彷徨いていた。どうせ次の時間は教養科目だから、席の後ろで内職(自習)するに限る。そんな邪念を抱きながら学内を移動していると、ふと残りの学生生活に一抹の不安が湧くことがあるのだ。

 大森先生に会いたくて、授業に潜っていたのは本当だ。でも先生の気を引きたくて勉強しているうちに知的財産管理技能士という職業に興味を持ったことは嘘ではない。


 構内の桜はすっかりと散り果てて、新緑が目映い とある昼下がり。渡り廊下から吹きすさぶ風は湿気を帯びていて、心も幾らか憂鬱になる。朝イチは閑散としている構内も、お昼を過ぎれば学生たちがグループ連れで歩いている。そんな彼らをついつい目で追いかけてしまう自分が少し悔しい。

 学習は充実している。だけど目標が遠いい。ここ最近は特にだけど、何となく一人ぼっちで頑張ることに疲れていた。

 

 「ん……? 何だ? これ? 」


 こんなポスター、いつも貼ってあったっけ?  しかも今時 手書きの藁半紙だなんて珍しい。

 気付いたときには、桃佳は階段の踊場で 思わず立ち止まっていた。週に一度は通り過ぎる大教室の道のりなのに、掲示板の中身など今まで目に留まったことはなかった。


 【ホウケン、部員募集中!】って、サークルの勧誘のポスターだろうか?


「うーん 」


 桃佳は中身を凝視すると、思わず腕組みをして考え込む。

 まず、気になったのは でかでかと片仮名で書かれた“ホウケン”の四文字。っていうか、“ホウケン、部員募集中”って、一体 何の団体だろう? しかも他に書いてある情報が『みんなで楽しく研究中。顧問の大森先生の指導で、部員は着実にレベルアップしてます!』って、これでは何が何だか意味が分からない。


「…… 」


 “ホウ”はともかく“ケン”は おそらくサークルや部活動に有りがちな 研究会の略称だ。ついでに言うと、大森先生と名乗る教員は、この学内ではやっぱり ()()大森先生しか思い浮かばない。


 ということは……

 この“ホウケン”という団体は おそらく()()()()()と推測できる。それなら法学部講師の大森先生が顧問なのは納得だし、詳細を伏せてお堅い研究会に誘導を図る作戦にも納得だ。


 運命だ。

 これならば一石二鳥で合法的に大森先生と仲良くできるし、勉強仲間まで手に入る。

 私はホウケンに入るしかないかもしれないっッ。それにこんなに心が踊ったことなど、今までに果たしてあっただろうか? 

 桃佳は震え上がる何かを押さえつつ、段々と駆け足になる。そして込み上げる笑みを全力で堪えると、研究室棟へとフルダッシュを決め込んでいた。 



 

◆◆◆



 桃佳が通うS大学は、都内郊外にある私立大学だ。規模はそれ程大きくはないが、総合大学としては珍しく、全学部が四年間同じキャンパスで学べることが売り要素の一つでもある。それ故に学内は広くて移動時間は掛かるけど、用事が一ヶ所で済むのは有難い限りだ。


 桃佳は研究室棟のエレベーターホールでソワソワしながら、一人で冷や汗をかいていた。己のテンションと勢いに身を任せて研究室棟まで来てしまったが、大森の部屋に押し掛ける勇気はない。法学部の研究室は五階だけど、課外活動の用件では、幾らなんでも忍びなかった。


 ええいっ…… 

 こうなったら、大森先生を待ち伏せするしかないっッ。効率を考えたら最悪的な選択だけど、いつかは絶対に帰宅するのだから、研究室から出るだろうし、会えないことはないはずだ。

 桃佳はスマホを取り出すと、法学部シラバス(授業計画)から大森の担当授業を確認する。この時間は空き時間、ならば待っていればワンチャン降りてくる可能性があるかもしれない。


 桃佳はポスターに引っ掛かっていたビラを片手に、キョロキョロと目当ての人影を探していた。学生主体のサークル活動に教員が絡んでいるのには違和感はあるが、きっと本気の法曹研究会だからこその采配なのだろう。


 桃佳がロビーに待機してからは、まだ五分も経過していない頃合いだった。 


 んんっ? あれは、もしかして? 

 あのピシッとしたスーツの着こなしに、メガネ姿の横顔。それに手にして入る判例集の厚さと冊数の多さは、法学部の教員特有の出で立ちだ。

 やっぱりね。あの向こうの柱にいる人は……

 

「ああのっッッッ、大森先生っッッ!  」


「あっ? 君は…… 」


 桃佳の勢い任せな声掛けに反応して、大森だけでなく ロビーにいた学生たちが一斉に振り返る。

他人の視線を集めても、桃佳が怯む様子はまるでない。大森が足を止めたところで、桃佳はすぐさま側に駆け寄った。


「大森先生。あの、お願いがあるんですっッ 」


「お願い? 」


「……あの、私はどうしても知的財産権管理技能士になりたいんです。知財法は三年からしか履修が出来ないけど、どうしても先んじて勉強したくて 」


「それは、また確かに素晴らしい心意気だけど。でもさっきも言ったけど、ルールはルールだから 」


「違うんです。民Ⅰには来週からは きちんとと出ます。だから、先生。私を法研(ホウケン)に入れて欲しいんです 」


「ハイっッ? 」


「このビラを見て、先生が顧問をされていると知って、いてもたってもいられなくなりました。一刻も早く先生に指導を仰ぎたいし、同じ志を持つ仲間と一緒に頑張りたいって思ったんです 」


 桃佳は クチャクチャになったビラを先生の前に差し出すと、顔を真っ赤にして懇願していた。


「ホウケンのビラ? いや、別に僕は指導っていうほどの指導は出来ないよ。一応この大学の出身でホウケンのOBでもあるから顧問をしているだけで 」


 大森は軽く桃佳の勢いに圧倒されていたが、取り敢えず言葉を飲み込む。そして少しだけ頭を下げて沈黙すると、こう話を続けた。


「入部希望者それなら直接 部室に行けばいいよ。どうせ一人か二人は自主休講(サボり)がいるだろうから、誰かしら人はいるだろうし 」


「自主休講? 」


 法曹研究会って、そんな不真面目が集まるような団体なのだろうか? いや、もはや授業に出なくても、みんな独学で本気の司法試験対策室化しているって凄すぎない? 桃佳は一瞬 頭上に はてなマークを浮かべたが、直ぐに邪念を書き消した。


「君さ 」


「はい? 」


「実は前から思ってたんだけど、君は声が綺麗だよね。透き通っていて、()()()()()も良さそうだし 」


「マイク乗りですか? 」


「丁度いい。今日はたまたま部員が合宿の資料を見せに、僕にアポを取ってるんだ。書類のサインをしがてら、君をホウケンの部室に案内するよ。昔はホウケンも大所帯だったんだけど、今は動画投稿サイトが発達したせいか、なかなか人が集まらなくてね。出来たら前向きに入部を検討してくれると嬉しいよ 」


「はい。もちろん入部します。私の心はビラを見つけたときから確定してますので 」


「そう。それは助かるね 」


 大森は一瞬だけ笑みを浮かべると「ついておいで 」と桃佳を手招きする。先生が資料を抱えたままなのは少し気になったが、桃佳は迷わず大森の後を付いていくのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ