第三条
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S大学は東京の郊外に位置する総合私立大学で、広大なキャンパスを誇っている。学園祭が催される四日間は、近隣の住民を筆頭に 受験を検討する高校生なども来校し、体育会の強豪チームはグラウンドや体育館で練習試合を披露する一幕もある。とにかく大学中が大盛り上がりする一大イベントではあるのだが、逆に部活に所属していない学生にとっては四日間の休日が出来るので、遊びや旅行に行ったりと 思い思いの過ごし方がされるのだった。
私も 去年までは あちら側にいたはずなんだけどな……
桃佳は機材室の窓から舞台をチラ見すると、直ぐにカーテンを閉める。学園祭二日目の午前中は箏曲部の演奏会の影ナレ兼緞帳操作兼照明操作の大役を仰せつかっていた。リハーサルの進行を参考にすると、おそらく曲はクライマックスに差し掛かっている。先日の管弦楽部の案件とは異なり、今回は裏方の桃佳をサポートしてくれる存在はない。一人で何とかするしかない。桃佳は 食い気味に舞台を見つめながら、曲の終了のタイミングを、全身全霊で図っていた。
「えっと、最後の音がジャカジャンで…… 出演者全員がお辞儀。よしっッ、舞台はフェーダーを落として、客席の明かりはゆっくりと上げる。そして最後は緞帳ボタンで幕を閉めるっッ 」
桃佳は壮大な独り言を呟くと、真っ暗な機材室を静かに駆け回る。出来ないと抵抗したところで、万年 人員難な放研において、桃佳の主張は通らない。となれば、上に振られた仕事は、全力でやるしかないのだ。
「無事に終わったよね……? 」
幕は閉めた、照明上げた。BGMも薄く流した。これなら…… 箏曲部のメンバーもお客さんも、演奏に集中出来たに違いない。
桃佳はニヤつく顔を必死に押さえると、大きく息を付く。そして一目 客席の反応を確認しておきたいと思ったそのとき、桃佳は右往左往するゲストの姿に驚愕した。
あれ? えっ? って、もしかしてマダダッタ!? っていうか、私ったら、すっかり終演コメントを忘れてるっッーー!
桃佳は慌ててマイクを手にすると、直ぐ様スイッチをオンにするのだった。
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「めっちゃ焦ったーー やっぱり機材室に独りぼっちだなんて、私には荷が重すぎますっッ 」
「まあ、そんなに怒るなよ。何だかんだで一人でやりきれたなら、逆に自信にもなるだろ? 」
「そんな簡単に言わないで下さい。私は元々はコンテストだけの数合わせ要員だったのに、この調子が続けば どんどん逞しくなっちゃいますよ 」
桃佳は息を付く間もなく、放研の出店に舞い戻ると、店番補助に勤しんでいた。桃佳も田町も全く似合わないピンク色のエプロンを装着し、一応は実演販売の要領で客引きを図るも 反応は鈍い。暦の上では立冬も近いというのに、今日の関東地方は半袖になりたいくらいの暑さがある。こんな日が続けばシチューなど売れはしないのだが、皆が依頼で出払っていることを考えると 逆に店が暇な方が都合が良い部分もあった。
「売れませんね 」
「売れないな 」
「田町先輩、何か秘策はありませんか? 」
「ないな。お前が裸踊りでもすれば、売り上げはともかく 集客と注目は伸びるんじゃないか。多少やらかしても、大学内だったら多少は何とかなるだろ 」
「はあ? それは普通に猥褻物陳列罪にあたりますし、第一セクシャルハラスメントが過ぎる発言ですね。それにいくら大学内で起きた事件でも、一般犯罪は普通にアウトですけど 」
「おいおい、そんなに真に受けるなよ。あくまでも冗談の範疇だろ? 」
「それ、冗談と言う割には、全然 面白くないですよ。どうせ言うなら、もっとセンスを磨いて下さい 」
「なっ 」
桃佳は明らかに退屈そうな顔を浮かべると、大きな溜め息をつく。田町はアナウンスだけは素晴らしいけど、その他の要素が一つも尊敬に値しない。これでは低レベルな上に、退屈しのぎにもならないではないか。
誰かお客さんは来ないだろうか……
桃佳は致し方なく シチューの底が焦げないようにレードルをくるくる回してみたが、虚しい気持ちにしかならなかった。
「おっ、この調子だと屋台は盛り上がってはいませんね? 」
「あっ、大森先生? 何故、学校に? 今日は学園祭期間中だから、先生方はお休みですよね? 」
「ええ。今日は午前中に進路相談会の手伝いがありまして、法学部の教員代表で質問コーナーに駆り出されました。教授陣は休日に大学には出てきたがりませんから、毎年若手が交代で出てくるんですよ 」
大森はポケットから財布と取り出すと、クリームシチューを所望する。桃佳は小銭を受け取ると、熱々のシチューを器によそうのだった。
「うわー 毎年安定のクリームシチューですね。懐かしい。うん、コクがあって美味しいです 」
「ありがとうございます。私は野菜を切っただけで、味付けは田町先輩と高輪先輩作ですけどね 」
「俺たちは炒めた小麦粉を突っ込んだだけです。焦がさなければ、誰にでも作れますよ 」
「いやいや、田町くん。ホワイトソースを作るのは、簡単なようで難しいよ? 僕らの時代なんて、掟は破って普通にルーを使っていたし 」
「え゛っッ? 先生たちは、楽をしていたのですか? 」
「ああ。時間を金で買ってましたよ。市販のルーなら味が安定するし、何より失敗がないからね。ただ粗利が減るから、どちらを取るかだけど。僕らの時代も文化祭中は忙しかったですから。そのうち、どのキューシートが どの団体用だったかが分からなくなって、危うく事故になったりしましたね 」
「へー 先生もキューシートが読めるんですね? って、OBだから当然か…… 」
「まあ、今 キューシート通りにフェーダー操作をしろと言われたら、出来ないでしょうけどね。学生時代は それなりに こなしてましたよ。同時に何役もこなすのって、難しいですよね。僕は未だに講義をしながら板書を進めるのが、得意ではないかな 」
「確かに。同時にマルチタスクをこなすのは、頭の中が渋滞しそうになります 」
「でも君は一人で依頼をこなしているんだよね? もしかしたら君はこういう仕事に適正があるかもしれないよ 」
「はあ、そうなんですかね…… 」
桃佳は何か腑に落ちないものを感じたが、仕方なく返事をしておく。何だか現状の自分の立ち位置を考えると、当初の目的である知的財産管理技能士試験から、どんどん遠ざかっている気がしていた。
「ところで、君たちは少しは文化祭は回れているかい? 」
「いえ。今日はラストまで、私と田町先輩は店番です。他のメンバーがラグビー部の撮影とか、イベントのPA業務で忙しくて 」
「そうでしたか。放研は今年も人気者で仕方がありませんね 」
「いや…… それは、ちょっと肯定出来ない部分もある気はしますけど 」
正直なところ、色々な団体のオファーに駆り出されているけど、単純に自分たちが求められているだけではない気がする。大半の部活は裏方に手を回す余裕がなくて、お金で労力を買っているのが本音なような気がしていた。
「では僕はそろそろ失礼しますね。シチュー、ごちそうさまでした。二人とも文化祭を頑張って下さいね 」
「はい。大森先生、ありがとうございます。って、あれ? 」
桃佳が見送りを促そうとしたとき、田町は完全に表に背を向けしゃがみ込んでいた。
「田町先輩? あの、大森先生が帰られますけど無視ですか? 」
「…… 」
桃佳は一瞬 体調不良を疑ったが、田町はスマホを片手にシフト表を眺めている。田町の口調は穏やかではあったが、明らかに横顔は強ばっているように見えた。
「ああ、そうか。でも俺も屋台は離れられないし…… 仕方がない。それなら今日は店は閉めてしまおうか。そしたら#俺と天沢で依頼に行ける__・__#から 」
「「……? 」」
田町先輩の挙動が怪しい?
桃佳は思わず大森と目を合わせると、訝しげに田町を観察する。何かしらトラブルがあったのだろうが、桃佳には事情が読めてはこなかった。
「あの、大森先生。明らかに田町先輩の様子が変ですよね? 何か、突発的な事象でもあったのでしょうか 」
「ええ、そうですかね…… でも店を閉めるって 」
大森は帰りづらくなったのだろう。田町のやりとりを、腕を組んで静かに見守っていた。今日の分のシチューはまだたっぷりと残っているのに、店を閉めると言い出したということは、余程の事情があるのだと思えた。
「田町先輩、あの、何かあったんですか? 」
「ああ。高輪と蒲田のペアから、次の現場に行けないかもしれないって連絡がきた 」
「えっ? 確かこの時間は、高輪先輩と有紗ちゃんは、ラグビー部の親善試合の撮影に行ってますよね? 」
「ああ。何でも うちの大学出身の日本代表選手が試合に飛び入りしたらしくて、イベントが長引いているらしい。あいつら、今日は三時からは大講堂のPA業務の予定だったんだけど、間に合わないかもしれないって 」
「えっ? だってあの二人は、これから英語劇研究会の舞台の裏方の予定ですよね? 」
「ああ。だからラグビー部の案件が終わるまでは、英語劇は他の人間で回すしかない 」
「はあ? そんな無茶な…… 」
「だから今日は屋台は閉める。他の部員たちは全員で払っているし、こうなったら俺とお前で高輪たちが来るまで、劇を繋ぐしかないだろ 」
「ハアッっっ!? 」
田町の突拍子のない提案に、桃佳は思わず声を上げる。劇の開始までは およそ一時間しか猶予はない。その間に店を閉めて、進行を確認する時間が十分に確保できないことは、桃佳にも容易に予想出来ることだった。
「田町先輩、ちょっと落ち着いてくださいっ。私は初見でキューシートをこなせる自信はありません。しかも劇は全編英語ですよね? 」
「ああ。しかも照明操作とBGMが若干複雑らしい。俺は英語は苦手だから、これはかなり苦戦するかもしれない。でも、やるしかないだろ 」
「せめてラグビー部の方の撮影を我々に変わるのでは駄目ですか? 」
「お前はさ、ビデオカメラは回せるのか? 」
「えっ? 私は出来ませんけど、田町先輩は? 」
「俺はラジオ番組レベルの簡単な機材操作は出来るけど、ビデオカメラは一切扱えない。多分、俺の撮影スキルでは、観た人間 全員が酔ってしまうと思う 」
「…… 」
桃佳は奥歯を噛み締めると、思わず息を飲む。
選択肢が無さすぎる。それにどうせ自分が無理だと主張したところで、意見が通るわけがない。第一、放研の事情で舞台を中止にするわけにもいかないから、こうなったら出来る人間でやりきるしかないのだ。
「分かりました。やりましょう 」
「……お前、最近逞しくなったな? 」
「別にそんなことはありません。やらない選択肢がないなら、やるしかないじゃないですか。私も英語の理解はそこそこですが、二人で協力したら何とかなるかもしれませんし 」
桃佳と田町は腹を括ると、ピンク色のエプロンを手解き、寸胴鍋の火を落とす。こうなったら一分一秒でも早く先方と話をしたい。鍋の中身は気掛かりだが、取り敢えずシチューは部室に待避させて後から処遇を考えるしかない。
「君たち、ちょっと落ち着きなさい 」
「「えっ? 」」
桃佳と田町のやりとりに、急に割って入ったのは大森だった。
「君たち、まさかお店を投げ出して大講堂に行くつもりですか? 」
「それは…… 」
「食品ロスはいただけませんね。いくら目の前にピンチがあっても、君たちは学生なのだから、環境問題から目を背けてはいけませんよ 」
大森は一連のやりとりを静観していたが、堪忍袋の尾が切れたのだろう。珍しく桃佳と田町を、強い口調で問い正していた。
そんなことを言われても…… と嘆く訳にもいかず、桃佳と田町は息を飲む。すると大森は自分の胸を指差すと、こう言い放ったのだった。
「僕に一つだけ、考えがあります 」